雑誌「WILL」の今年新年号から
坂崎重盛氏の新連載がはじまっておりました。
この7月号になって、ようやくチラリと読む。
そういえば、
坂崎重盛著「粋人粋筆探訪」(芸術新聞社)を
買ってあったんだ。この人と、雑誌連載の人が
同一の人だと、結びつかずにおりました(笑)。
ということで、
あらためて「粋人粋筆探訪」をひらく。
その「まえがき」を引用したくなります。
「・・・・
ことのすべては古本屋さん巡りから始まった。
これまでの、ぼくの著作のほとんどは、
東京・下町、家の近くの小さな古本屋さんや、
神田・神保町、あるいは中央線沿線の古書店、
また古書会館やデパートで催される古書展、
古本市で、好奇心のおもむくままに入手してきた
雑本(もちろんホメ言葉です)類の
力を借りてのことです。
散歩がてらの古本屋さん覗きや、退屈しのぎの
古書市巡りで、さしたる目的もなく気ままに入手して
きたこれらの本が、あるときぼくに
一つのテーマを囁きかけたりする。
万年床をぐるっと囲むように立つ本棚を見やると、
高校生のころに手に入れた本や、オトナになって
から少々懐に痛い思いをさせて獲得した本の
背文字を認めることができる。
それらをボーッと眺めていると、本そのものは
昔の姿のままに本棚に納まっているのに、
それを買い求めたその店は、
とっくになくなってしまっている
ということも珍しくない、ということに気づく。
思えば、本は火にも水にも弱い、
紙でできているのに意外と長寿で、それを
所有する本人よりも何倍も長生きしたりする。
ぼくも、地を這う蟻のように、せっせと自分の
部屋に運び込んだ愛しの雑本類を残したまま、
早晩、この世を去るだろう。しかもご多聞にもれず(?)
集まってしまった本のほとんどは、
きちんと読んでないし、ザッと目をとおしたとしても、
その内容は、われながら面白いくらいに忘れている。
そんな古本買いや雑本遊びをしていると、
いつともなく本の群れが生じ、やがて、
あるテーマが浮かび上がってくる。
本たちが示し合わせて、ぼくに囁きかけるのだ。」
(p4~5)
ちなみに、
坂崎重盛氏は1942年東京生まれ。
坂崎さんの聴いた本たちのささやき。
それを聴きたくて、さっそく、
ネット古書店で、坂崎さんの
安い新書と文庫、計3冊注文(笑)。
坂崎重盛氏の新連載がはじまっておりました。
この7月号になって、ようやくチラリと読む。
そういえば、
坂崎重盛著「粋人粋筆探訪」(芸術新聞社)を
買ってあったんだ。この人と、雑誌連載の人が
同一の人だと、結びつかずにおりました(笑)。
ということで、
あらためて「粋人粋筆探訪」をひらく。
その「まえがき」を引用したくなります。
「・・・・
ことのすべては古本屋さん巡りから始まった。
これまでの、ぼくの著作のほとんどは、
東京・下町、家の近くの小さな古本屋さんや、
神田・神保町、あるいは中央線沿線の古書店、
また古書会館やデパートで催される古書展、
古本市で、好奇心のおもむくままに入手してきた
雑本(もちろんホメ言葉です)類の
力を借りてのことです。
散歩がてらの古本屋さん覗きや、退屈しのぎの
古書市巡りで、さしたる目的もなく気ままに入手して
きたこれらの本が、あるときぼくに
一つのテーマを囁きかけたりする。
万年床をぐるっと囲むように立つ本棚を見やると、
高校生のころに手に入れた本や、オトナになって
から少々懐に痛い思いをさせて獲得した本の
背文字を認めることができる。
それらをボーッと眺めていると、本そのものは
昔の姿のままに本棚に納まっているのに、
それを買い求めたその店は、
とっくになくなってしまっている
ということも珍しくない、ということに気づく。
思えば、本は火にも水にも弱い、
紙でできているのに意外と長寿で、それを
所有する本人よりも何倍も長生きしたりする。
ぼくも、地を這う蟻のように、せっせと自分の
部屋に運び込んだ愛しの雑本類を残したまま、
早晩、この世を去るだろう。しかもご多聞にもれず(?)
集まってしまった本のほとんどは、
きちんと読んでないし、ザッと目をとおしたとしても、
その内容は、われながら面白いくらいに忘れている。
そんな古本買いや雑本遊びをしていると、
いつともなく本の群れが生じ、やがて、
あるテーマが浮かび上がってくる。
本たちが示し合わせて、ぼくに囁きかけるのだ。」
(p4~5)
ちなみに、
坂崎重盛氏は1942年東京生まれ。
坂崎さんの聴いた本たちのささやき。
それを聴きたくて、さっそく、
ネット古書店で、坂崎さんの
安い新書と文庫、計3冊注文(笑)。