思潮社・現代詩文庫1044「竹中郁詩集」。
安水稔和さんの編でした。文庫の最後に、
安水さんの「詩人さんの声」が載ってます。
その文の最後を引用。
「・・・最後の詩集になった第九詩集
『ポルカ マズルカ』は昭和54年刊。・・・
読売文学賞を受賞。井上靖は推薦の文章で、
『象牙海岸』以来のこの詩人の本質が少しも
変わらず、さわやかな到達を見事に示している
と評した。しかも文学的表現の困難な老いを書き
『静かに少しだけ華やかに人生の哀感が素知らぬ
形で語られている』と結んでいる。
本詩集刊行後二年余で詩人は他界した。
四十年前、詩人のたまごであったわたしたち
『ぽえとろ』の仲間は、竹中郁のことを詩人さん
と呼んでいた。神戸で詩人といえば竹中郁。
そこで詩人さん。今日町で詩人さんに会ったよ。
詩人さんが元町通りを歩いていたよ。
詩人さんが電車に乗っていたよ。
どこででも詩人さんは目立った。
若い頃からの見事な白髪。
遠くからでも聞える闊達な声。
竹中郁はずっと詩人さんでありつづけた。・・・
亡くなって十年、神戸の街角を歩いていると、
今日も詩人さんの声がはっきりときこえる。
「生きましょうよ」
向いあったあなたとわたし
「しゃべりつづけて生きましょうよ」
( 「桃・麦・あなた」冒頭 ) 」
ちなみに、この現代詩文庫には年譜があります。
1904(明治37年)生まれ。
1982(昭和57年)満77歳11か月で死去。
安水稔和さんの編でした。文庫の最後に、
安水さんの「詩人さんの声」が載ってます。
その文の最後を引用。
「・・・最後の詩集になった第九詩集
『ポルカ マズルカ』は昭和54年刊。・・・
読売文学賞を受賞。井上靖は推薦の文章で、
『象牙海岸』以来のこの詩人の本質が少しも
変わらず、さわやかな到達を見事に示している
と評した。しかも文学的表現の困難な老いを書き
『静かに少しだけ華やかに人生の哀感が素知らぬ
形で語られている』と結んでいる。
本詩集刊行後二年余で詩人は他界した。
四十年前、詩人のたまごであったわたしたち
『ぽえとろ』の仲間は、竹中郁のことを詩人さん
と呼んでいた。神戸で詩人といえば竹中郁。
そこで詩人さん。今日町で詩人さんに会ったよ。
詩人さんが元町通りを歩いていたよ。
詩人さんが電車に乗っていたよ。
どこででも詩人さんは目立った。
若い頃からの見事な白髪。
遠くからでも聞える闊達な声。
竹中郁はずっと詩人さんでありつづけた。・・・
亡くなって十年、神戸の街角を歩いていると、
今日も詩人さんの声がはっきりときこえる。
「生きましょうよ」
向いあったあなたとわたし
「しゃべりつづけて生きましょうよ」
( 「桃・麦・あなた」冒頭 ) 」
ちなみに、この現代詩文庫には年譜があります。
1904(明治37年)生まれ。
1982(昭和57年)満77歳11か月で死去。