和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「小見出し」は。

2014-11-06 | 本棚並べ
鷲尾賢也著
「編集とはどのような仕事なのか」に


「ベストセラーの唯一共通している特色は、
誌面に白地が多いことだなどと、あたかも
大発見のように語った評論家がいた。
もちろんたいした発見ではないが、
活字がぎっしり詰っていると、読もうという
意欲をどうしても失わせてしまう。
それは事実である。
漢字とひらがなの比率、あるいは適度の改行が、
整理する場合の大事なポイントになるのは
そのためである。」

うん。『それは事実である』。
というと、すぐに頷く(笑)。

さてっと、そのあとを読んでゆくと、
こんな箇所があったのでした。

「ふつう、章、節によって目次ができあがっている
・ ・・・・節までは著者の構成に含まれる。ところが
小見出しは、著者が考えるのではない。編集者が読者の
ために挿入するものなのである。なぜそのようなことを
するのだろうか。
ひとつには眼の休息をとり、読みやすい印象をつくる
ためである。・・・小見出しはそういった装飾的側面
だけではない。人間の思考能力は高いものがあるが、
じつは2、3ページ以上、誌面を眺めつづけていると、
誰しもが少し飽きてしまうところがある。」

「読み手、書き手の意向が合致して、書き手は思考が
転換するところ、読み手は少し眼が疲れ、読むのに
飽きる地点に区切りをいれる。これが小見出し
ということになる。眼を休ませると同時に、
いままでとちがうはなしが再びはじまりますよ、
という予告といってもよい。編集者が入れるのは、
読者のための配慮からスタートしているからであろう。」

「あくまで、小見出しは読者サイドに立った行為である。
そのような場合は著者の意向に沿いながら、かつ読者の
読みやすさを考え、少し強引に推し進めていってよい。
小見出しはある程度の長さのところで挿入せざるを
えない。だから文章の流れを強引に切断する。しかし、
それによって著者の意図とは異なった新たな意味あい
が生じることもある。コンテキストが変化するのである。
小見出しには編集者と著者の格闘のような側面がある
のはそのせいである。義務的、形式的につけている
のでは意味がない。小見出しにも創意工夫が試され
なければならない。次はどうなるかなと読者を
ひっぱってゆく機能を、小見出しは担っている。
だから前もっての要約であってはならない。どこか
気になり、何かがはじまりそうな気分を小見出しで
作りたい。小見出しを見ただけで、おもしろそうに
感じさせたい。そういう二重三重の意図で
小見出しはつけられるのである。
新書、選書などは小見出しを頻繁につける。
おそらく見開きにひとつぐらいを原則に
しているのではないか。・・・」


うん。小見出しは、
私のためにあったのだと思い当ります。
コメント
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