ドナルド・キーン著「わたしの日本語修行」(白水社)。
そこに、「教え子の思い出を聞かせてください。」
という質問に、キーン氏が答えており印象に残ります。
「一番に思い出されるのは、
ロイヤル・タイラーさんのことです。・・
タイラーさんは、わたしが56年間コロンビア大学
で教えた中でも最も優れた学生ですが、別の意味で
も忘れがたい印象を残しています。ある日突然、
彼はあらゆる過去のこと、自分の祖先や家族が
嫌になったのです。彼はニューヨークを離れ、
ニューメキシコの50人ほどしか人の住んでいない
砂漠の村で生活を始めました。使われなくなった
古い列車の車両の中で、奥さんと二人で暮らし
始めたのです。25歳ぐらいだったでしょうか。
彼はわたしにすさまじい手紙を寄こしました。
『お前は学問をすばらしいものだと思っている
ようだが、我々はそうは思わない』というような
調子です。びっくりしたでしょう。本当のことです。
そして彼はどこかの工場で働いたり、ガソリンスタンド
で働いたりして、『これが本当の生活だ』などと
言い出しました。自分の祖先や学問の伝統を否定した
のです。わたしは何度も彼に手紙を書きました。
どんなにひどい手紙が来ても、わたしは彼に
『帰ってきてください、帰ってきてください』と
言い続けました。タイラーさんは、まだ博士論文を
書いていませんでしたが、その資格は十分にあり
ました。そして、やっとのことで、彼は少しずつ
心を開くようになったのです。わたしはかろうじて
彼を説得し、あの『謡曲二十選』の共著者として、
ニューヨークに戻ってもらいました。彼は『松風』
とか『江口』といった幽玄の能を読んで感動しました。
そうして、だんだんわたしの世界に再び近づいて
きてくれたのです。今、彼はわたしの教え子の中で
最もたくさん手紙をくれます。」(p299~230)
そこに、「教え子の思い出を聞かせてください。」
という質問に、キーン氏が答えており印象に残ります。
「一番に思い出されるのは、
ロイヤル・タイラーさんのことです。・・
タイラーさんは、わたしが56年間コロンビア大学
で教えた中でも最も優れた学生ですが、別の意味で
も忘れがたい印象を残しています。ある日突然、
彼はあらゆる過去のこと、自分の祖先や家族が
嫌になったのです。彼はニューヨークを離れ、
ニューメキシコの50人ほどしか人の住んでいない
砂漠の村で生活を始めました。使われなくなった
古い列車の車両の中で、奥さんと二人で暮らし
始めたのです。25歳ぐらいだったでしょうか。
彼はわたしにすさまじい手紙を寄こしました。
『お前は学問をすばらしいものだと思っている
ようだが、我々はそうは思わない』というような
調子です。びっくりしたでしょう。本当のことです。
そして彼はどこかの工場で働いたり、ガソリンスタンド
で働いたりして、『これが本当の生活だ』などと
言い出しました。自分の祖先や学問の伝統を否定した
のです。わたしは何度も彼に手紙を書きました。
どんなにひどい手紙が来ても、わたしは彼に
『帰ってきてください、帰ってきてください』と
言い続けました。タイラーさんは、まだ博士論文を
書いていませんでしたが、その資格は十分にあり
ました。そして、やっとのことで、彼は少しずつ
心を開くようになったのです。わたしはかろうじて
彼を説得し、あの『謡曲二十選』の共著者として、
ニューヨークに戻ってもらいました。彼は『松風』
とか『江口』といった幽玄の能を読んで感動しました。
そうして、だんだんわたしの世界に再び近づいて
きてくれたのです。今、彼はわたしの教え子の中で
最もたくさん手紙をくれます。」(p299~230)