和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

どうせ教えるなら。

2014-11-17 | 古典
ドナルド・キーン著「わたしの日本語修行」。
そこに、ケンブリッジ大学で日本語会話を
教えることになった頃のことが語られています。
そこから引用。

「当時、ケンブリッジ大学では、
日本語を初めて学ぶ入門のクラスで
『古今和歌集』の序文(仮名序)を
読むのが習慣でした。・・・・
『古今和歌集』の序文の語彙は限られて
いますし、漢字もあまり使われていません。
その上、文法は文句なしに規則的で、
例外がないと言っていいほどです。
ですから学びやすいのです。
これをしっかり身につけてから、二年目に、
学生たちは初めて現代の日本語に出会うのです。
それがケンブリッジ大学での日本語教育の
方法でした。」(p178)

うん。いいなあ。あらためて仮名序を
読み返してみます(笑)。

「当時ケンブリッジ大学で日本語を教えていた
人は二人いましたが、一人は文法だけを教え、
もう一人は歴史の研究者で、特に日本の農業の
歴史に興味をもっている人でした。わたしは
会話を教え、後には『古事記』や『方丈記』
など日本文学を教えることになりました。」

あ~。私はまだ古事記を読んでいません。


「1952年の春、どうせ教えるなら少しでも
多くの人に教えたいと、大学生だけでなく
一般の人々をも対象にした日本文学に
関する五回の講義を行ないました。
二百五十人入る大教室でしたが、
集まったのはわずかに十人ほどでした。
十人しか集まらない。
しかもその中に、下宿の奥さんとその
ご主人がいて、わたしを応援しようと
来てくれたのでしょうけれども、
講義の時間、そのご主人はずっと寝て
いました。本当の意味でわたしの話を
聞きたいと思う人はほとんどいないと
いう現実に、わたしは心底がっかり
しました。教師として充実感を得る
ことはできませんでした。・・・・
この仕事には将来がないのではないか、
わたしは間違った仕事をやっているのでは
ないかという気持ちになりました。
思い詰めたわたしは、日本語をやめて
ロシア語に切り替えようと思い、
ロシア語の勉強を始めました。・・・・
しかし、ことば、単語が、なかなか
覚えられませんでした。あまりにも
覚えられないもので、わたしはその
理由を求めて自分の頭を分析しようと
しました。そうして、こんなことを
考えました。日本語の場合はことばの裏に
漢字があるのです。よく調べたら漢字が
頼りになります。それで覚えやすいのです。
ロシア語にはそれがないから、何も頼りに
なるものがないのです。だから覚えられない。
・ ・・・英語にも漢字がないと言われれば
そのとおりなのですが、わたしは漢字が好き
なのです。日本語を覚えるときには、漢字を
頼りに覚えるのがおもしろいのです。
ロシア語にはそのおもしろさがなかったの
です。わたしの頭は日本語に向いていて
ロシア語には向いていないと思うほか
ありませんでした。そう思えばもう学生の
少なさを嘆いてもいられません。たとえ
教室に二、三人しかいなくても、わたしは
これでやっていくほかないのだと、
心に決めました。」(~p182)
コメント (2)
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