三上慶子著「私の能楽自習帖」(河出書房新社)。
そこに、こんな箇所がありました。
「世界の舞台芸術の中で、能には注目すべき
特色がある。それは老女物という美のジャンルを
作り上げたことである。・・・」(p214)
ちょうど、『鸚鵡小町』を読んでいると、
なるほどと感心してしまいます。
ワキ
・・・・小野の小町、彼はならびなき
歌の上手にて候が、今は百年(ももとせ)
の姥となりて、関寺辺に在る由聞し
召し及ばれ、・・・・
サシ
むかしは芙蓉の花たりし身なれど、
今はレイデウ(あかざ)の草となる。
顔ばせは憔悴と衰へ、膚は凍梨の梨の如し。
杖つくならでは力もなし。・・・・
注:藜デウ=アカザ。草の名。その茎で作った
杖は軽く、老人用とされ、わが国
では中気よけという迷信がある。
曲の中心には「この返歌を只一字にて申そう。」で、
まあ、その紹介は、はぶくとして(笑)。
そして、最後はというと
シテ
小町も今は是までなりと、
地謡
杖にすがりてよろよろと、
立ち別れ行く袖の涙、
立ち別れ行く袖の涙も関寺の、
柴の庵に帰りけり。
そこに、こんな箇所がありました。
「世界の舞台芸術の中で、能には注目すべき
特色がある。それは老女物という美のジャンルを
作り上げたことである。・・・」(p214)
ちょうど、『鸚鵡小町』を読んでいると、
なるほどと感心してしまいます。
ワキ
・・・・小野の小町、彼はならびなき
歌の上手にて候が、今は百年(ももとせ)
の姥となりて、関寺辺に在る由聞し
召し及ばれ、・・・・
サシ
むかしは芙蓉の花たりし身なれど、
今はレイデウ(あかざ)の草となる。
顔ばせは憔悴と衰へ、膚は凍梨の梨の如し。
杖つくならでは力もなし。・・・・
注:藜デウ=アカザ。草の名。その茎で作った
杖は軽く、老人用とされ、わが国
では中気よけという迷信がある。
曲の中心には「この返歌を只一字にて申そう。」で、
まあ、その紹介は、はぶくとして(笑)。
そして、最後はというと
シテ
小町も今は是までなりと、
地謡
杖にすがりてよろよろと、
立ち別れ行く袖の涙、
立ち別れ行く袖の涙も関寺の、
柴の庵に帰りけり。