和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

西行桜。

2014-11-04 | 詩歌
謡曲「西行桜」がたのしい。
まるで、落語の花見見物のような
出だしがおかしい。

頃待ち得たる桜狩、
頃待ち得たる桜狩、
山路の春に急がん。


そういえば。
と「山家集」(岩波文庫)を
出して来て、最初にある春の歌を
パラパラとひらくと。

桜の歌のなかに、花見見物の人が登場する
歌があるのだな、これが(笑)。


  閑ならんと思ひける頃、
  花見に人々のまうできければ

花見にと
むれつつ人のくるのみぞ
あたら桜のとがにはありける

花もちり
人もこざらむ折は又
山のかひにてのどかなるべし


ちらぬまは
さかりに人もかよひつつ
花に春あるみよしのの山


 さて、桜見物の一行が
西行の庵に、入ってもいいかと
尋ねる箇所が、
落語の大家さんと店子みたいで、
この箇所も、桜が取り持つおもしろさ。

  かしこまって候。
如何にかたがたへ申し候。
よき御機嫌に申して候へば、
見せ申せとの御事にて候程に、
急いで此方へ御出で候へ。


うん。ここで、ドナルド・キーン対談集
「日本の魅力」(中央公論社)から引用。

芳賀】 ・・・それを文学作品として
評価することは少なかったのじゃありませんか。

小西】 少なかったというよりも、悪い評価を
したわけですよ。あれは綴れ錦、つまりつぎはぎの
細工で、つまらぬ文章だというふうに、普通、
評価しましたね。

キーン】 私の尊敬できない本には、まだよく能の
文章は綴れ錦のようなものだと書かれていますね。
しかしそれは私にいわせるとまったく違うんです。
いくら『古今集』などの引用があっても、独特の文章です。


芳賀】 ぼくは謡曲を文学作品として読むというのは、
アメリカの大学に行って、初めてそういうセミナーに
出席してみて、なるほどと思った。・・・・・

小西】 日本人は謡曲を普通まともに読みませんね。
謡の技術を増進するために読むとか・・・・。



芳賀】 最近でも謡曲を文学作品として読む
ということは、まだ普通にはなっていませんね。

小西】 そうですね。まだ能の台本として読む
ようですね、日本の国文学者は。

  (1973年1月)


ということで、対談集も、別の視点から、
いろいろと、考えさせられるのでした。
コメント
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