産経新聞と読売新聞を今年は購読してます。
まずは、
田原総一朗氏の言葉から
雑誌WILL3月号の「テロと朝日『第三者委員会』」
と題して、第三者委員になった田原さんは
こう指摘しております。
「日本の新聞界は、はっきりいえば
安倍政権に批判的な朝日、毎日と、
安倍政権に肯定的な読売、産経が
きそい合っている。」(p68)
はい。私は、
安倍政権に肯定的な2紙を講読しております(笑)。
ところで、
2月1日の読売新聞の4コマ漫画「コボちゃん」
2月3日の読売一面コラム「編集手帳」
2月4日の産経連載コラム「透明な歳月の光」
これが、つながりをもって読めるめでたさ。
これも、2紙を講読していた余得でした。
ここでは、二つのコラムを紹介。
2月3日の編集手帳は、こうはじまります。
「パパ耕二さんがラジオの競馬中継を聴いている。
当たった!『何か欲しい物あるか?』。上機嫌で
尋ねた。テレビのニュースを見ながら小学生の
コボちゃんが答えた。『一刻も早い世界平和だね』。
パパ、自己嫌悪にうなだれる。・・・・」
全文引用しないといけないのでしょうが、
そそくさと、つぎに行きます。
2月4日「曽野綾子の透明な歳月の光」は
こうはじまっておりました。
「2月3日付の読売新聞朝刊の『編集手帳』で、
おそらくマンガと思われる『コボちゃん』という
一家の話を教えてもらった。私はこのマンガを
見たことがないのだが、パパは競馬ファンらしい。
馬券が当たって喜ぶパパ。コボちゃんに
『何か欲しい物があるか?』と聞いた。すると
コボちゃんは『一刻も早い世界平和だね』と
答えるというのである。
コボちゃんは何歳くらいなのかにもよるけれど、
いずれにせよ、不自然な会話だ。
こういう答えをする子供がいたら、
私だったら反射的に、『要注意』と思う。
子供は抽象的な命題からものごとを考えない。
そこに発達の余地があるのだ。
虫や犬を見たらいじめてみたい、
と思ってやってみたりもするが、それが
あまり楽しくない、どころか、次第に
かわいそうになってきてしまう。そこで
初めて、幸福感とか、命の継続というものに
対して、重大な発見をするのである。
もしコボちゃんが18歳とか20歳とかだったら、
その幼さにもあたらしい危険がある。・・・」
こうはじまり、
全文引用したいのですが、
ここでは、最後を引用。
「ルネサンス期イギリスの思想家トマス・モアは
ギリシャ語で理想郷を意味する言葉『ユートピア』
を作ったとき、『ウ・トポス(どこにもない場所)』
という語をあてた。『理想郷』などというものは
どこにもないことを原著者モアが誰よりもよく
知っていたのだ。しかし現実に、紛争を『減らす』
ことはできる。持つものが持たない者に、医療手段
や食料を分けることは、多くの場合可能だ。
ただ、分けることは実はかなり辛いことなのだ。
だから修道院生活の基本精神にもなっている。
自分たちが持っているお金や労力や安全を、
深い配慮の元に現実に差し出すことのできる人が、
ほんとうの平和主義者なのだと学校で教えてほしい。」
うん。四コマ漫画も面白かったけれど、
2つのコラムが、言葉の喋る(じゃなかった)
言葉のシャベルで、掘り下げてゆくのを
筋道をたどれて、2紙講読もまんざらじゃない(笑)。
ということで、多くの方は2紙の古新聞を
辿るのはめんどうでしょうから、
すこし長く引用させてもらいました。
うん。私はというと、きっかけの
四コマ漫画を、あらためて、見直すのでした。
惹かれて、ここから物語の世界へと
入って行く表紙絵を眺めるように(笑)。
まずは、
田原総一朗氏の言葉から
雑誌WILL3月号の「テロと朝日『第三者委員会』」
と題して、第三者委員になった田原さんは
こう指摘しております。
「日本の新聞界は、はっきりいえば
安倍政権に批判的な朝日、毎日と、
安倍政権に肯定的な読売、産経が
きそい合っている。」(p68)
はい。私は、
安倍政権に肯定的な2紙を講読しております(笑)。
ところで、
2月1日の読売新聞の4コマ漫画「コボちゃん」
2月3日の読売一面コラム「編集手帳」
2月4日の産経連載コラム「透明な歳月の光」
これが、つながりをもって読めるめでたさ。
これも、2紙を講読していた余得でした。
ここでは、二つのコラムを紹介。
2月3日の編集手帳は、こうはじまります。
「パパ耕二さんがラジオの競馬中継を聴いている。
当たった!『何か欲しい物あるか?』。上機嫌で
尋ねた。テレビのニュースを見ながら小学生の
コボちゃんが答えた。『一刻も早い世界平和だね』。
パパ、自己嫌悪にうなだれる。・・・・」
全文引用しないといけないのでしょうが、
そそくさと、つぎに行きます。
2月4日「曽野綾子の透明な歳月の光」は
こうはじまっておりました。
「2月3日付の読売新聞朝刊の『編集手帳』で、
おそらくマンガと思われる『コボちゃん』という
一家の話を教えてもらった。私はこのマンガを
見たことがないのだが、パパは競馬ファンらしい。
馬券が当たって喜ぶパパ。コボちゃんに
『何か欲しい物があるか?』と聞いた。すると
コボちゃんは『一刻も早い世界平和だね』と
答えるというのである。
コボちゃんは何歳くらいなのかにもよるけれど、
いずれにせよ、不自然な会話だ。
こういう答えをする子供がいたら、
私だったら反射的に、『要注意』と思う。
子供は抽象的な命題からものごとを考えない。
そこに発達の余地があるのだ。
虫や犬を見たらいじめてみたい、
と思ってやってみたりもするが、それが
あまり楽しくない、どころか、次第に
かわいそうになってきてしまう。そこで
初めて、幸福感とか、命の継続というものに
対して、重大な発見をするのである。
もしコボちゃんが18歳とか20歳とかだったら、
その幼さにもあたらしい危険がある。・・・」
こうはじまり、
全文引用したいのですが、
ここでは、最後を引用。
「ルネサンス期イギリスの思想家トマス・モアは
ギリシャ語で理想郷を意味する言葉『ユートピア』
を作ったとき、『ウ・トポス(どこにもない場所)』
という語をあてた。『理想郷』などというものは
どこにもないことを原著者モアが誰よりもよく
知っていたのだ。しかし現実に、紛争を『減らす』
ことはできる。持つものが持たない者に、医療手段
や食料を分けることは、多くの場合可能だ。
ただ、分けることは実はかなり辛いことなのだ。
だから修道院生活の基本精神にもなっている。
自分たちが持っているお金や労力や安全を、
深い配慮の元に現実に差し出すことのできる人が、
ほんとうの平和主義者なのだと学校で教えてほしい。」
うん。四コマ漫画も面白かったけれど、
2つのコラムが、言葉の喋る(じゃなかった)
言葉のシャベルで、掘り下げてゆくのを
筋道をたどれて、2紙講読もまんざらじゃない(笑)。
ということで、多くの方は2紙の古新聞を
辿るのはめんどうでしょうから、
すこし長く引用させてもらいました。
うん。私はというと、きっかけの
四コマ漫画を、あらためて、見直すのでした。
惹かれて、ここから物語の世界へと
入って行く表紙絵を眺めるように(笑)。