和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

イギリス像が、ようやく。

2015-02-09 | 他生の縁
新田次郎・司馬遼太郎・山本夏彦。
この3人による、本の紹介を聞ける楽しみ。

その対象の本は、藤原正彦著の
「遥かなケンブリッジ」「若き数学者のアメリカ」。


では、まず
「浮き世のことは笑うよりほかなし」にある
山本夏彦・藤原正彦対談の箇所から

山本】 ・・・この間出版なさった
『遥かなケンブリッジ』と、その前の
『若き数学者のアメリカ』この二冊を拝見したら
実に面白い。ご当人を目の前に置いて
褒めるのは失礼ですが感心しました。
・ ・今までどうして読まなかったのかと
残念に思った位です。・・・
『若き数学者のアメリカ』が出た時
お父さんはさぞお喜びだったでしょう。

藤原】 すごく喜びましたね。
自分の小説が売れるより喜びました。
この本が出る前、父に読んでもらったんです。
そしたら『お前がこんなに書けるとは思わなかった。
でも親のひいき目もあるから俺の意見は信用するな』
って言うんです。そこで父のところに出入りしている
編集者に読んでもらおいうとしたら、皆逃げるんです。
・ ・・新潮の人が勇をふるって読んでくれた。・・

山本】 岡潔さんはずいぶん書きましたが所々
わかりません(笑)。ぼくはイギリスを夏目漱石が
書いたので知っています。それから池田成彬の子息
でケンブリッジで学んだ池田潔。
藤原】 「自由と規律」ですね。
山本】 漱石はイギリスで実にいやな思いばかり
したと書いている。池田さんのは昭和24年に出た
本で、イギリスはどんなにいい国か、自分がどんなに
いい学校生活を送ったか書いてある。いま読めば
何ともないでしょうけれど、当時はいやな感じが
した。皆が飢えかつえていた時ですからね。
今度の藤原さんのご本で、イギリス像がようやく
落着きました(笑)。
(p233~235)

以上が山本夏彦と新田次郎の本の紹介。
以下は司馬遼太郎。

以前にも紹介したので
重複となりますが、「以下、無用のことながら」
に「本の話 新田次郎のことども」があります。
その文の最後をすこし長く引用。

「枕頭で本を読んでいるうちに、
飛びあがるほどおどろいた。
著者である数学者――お茶の水女子大数学科の
教授――が、文部省の長期在外研究員として、
数学の淵叢であるイギリスのケンブリッジにゆく。
そこで一年間、著者は家族とともに滞在した。
そのことの実景と実感の文学的報告書だから、
数学のことはなまでは出て来ない。
ともかくも、上質の文章が吸盤のように
当方の気分に付着してきて眠ることを
わすれるうちに、この本の著者の藤原正彦が、
あの『赤ちゃん』ではないか、とふとおもったのである。
あわてて本の前後を繰るうちに、やはり新田次郎氏
の息であることがわかった。巻末の略歴に、
1943年のおうまれとある。・・・
新京時代の藤原家の赤ちゃんの著作を、七十を
越えた私が夜陰夢中になって読んでいたことになる。
この偶会のよろこびは、世にながくいることの
余禄の一つである。同様に、本のありがたさの
一つでもある。えらい数学者になられたあの
『赤ちゃん』のよき文章によって、つまりは
時空を超え、1987、8年のケンブリッジの町を
――文明としか言いようのない人びとの秩序
のなかを――臥せながらにして歩くことができる。
数奇というのは、読書以外にありうるかどうか。」


はい。あらためて
『遥かなるケンブリッジ――1数学者のイギリス』
お宝を取り出すように、
本棚から抜き出す二月(笑)。
コメント (2)
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