和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

戦後は絶無に。

2015-02-15 | 短文紹介
宮本常一著「民俗学の旅」(講談社学術文庫)
の最後の方をめくっていると、
佐渡のおんでこ(鬼太鼓)学校のことに
ふれた箇所がありました。

「この仲間の集団としての生活ぶりはまことに
見事であった。酒を飲まず煙草を吸わず
新聞を読まず、ラジオ・テレビも視聴せず、
砂糖も用いなかった。太鼓を叩くことに
集中すると、できるだけ雑音のはいらない
生活をしたくなるという。
テレビも新聞も見なければ時代おくれになる
ように考え勝ちだが、時代おくれというのは
創意工夫を失って物まねだけで生きてゆく
ことではなかろうか。・・・」(p215)

「ラジオ・テレビも視聴せず」とあります。
う~ん。テレビ漬けの私には耳が痛い。
そういえば、
「『夏彦の写真コラム』傑作選1」(新潮文庫)に
「秋の夜ながなくなる」という題の文がありました。
そのはじまりは

「『テレビのない家庭』を本誌で読んで、そんなうちが
まだあったかと乗りだしたら川嶋紀子嬢のうちだと
知っていかにもと思った。失礼ながらあの顔というより
あの表情、挙措進退は戦前のものである。戦前なら
ずいぶんないではなかったが、戦後は絶無になった。
ことにジョギング中をカメラに待ちぶせられ、
他意なく立ちどまって会釈なさった写真はよかった。
微笑をたたえている。」(p219)

興味深いので、もう少し引用をつづけます。

「テレビを見ないで育つとああいう表情になるなら、
今後はテレビを見ないことがステータスになって、
あの表情を回復するなら、女子のためにも男子の
ためにも、大げさに言えば邦家(ほうか)のため
にもめでたいが、ダメだろう。
私はテレビぎらいというよりほとんど憎んでいる。
あんなもの百害あって一利がない、
ないほうがいいと思っているが、出来たものは
出来ない昔に返らぬこともよく承知している。」

この文の最後は、こうでした。

「川嶋家の家長はテレビ好きだそうだ。
それがどうしてテレビを見せないことに
成功したのか、いずれゆっくり承りたいと
思っている。」
コメント (2)
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