和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

夏彦文章作法。

2015-02-08 | 古典
山本夏彦著「世は〆切り」(文春文庫)を
パラリとひらくと、
「寄席育ち清水幾太郎」と題した文がある。
そこに、こんな箇所。

「書くのと話すのはまるでちがう。
対談や座談のよく出来たものは分かりやすい。
難解な岩波用語で書いた哲学書も、
平談俗語で話したら誰にも分かるはずである。
元来哲学は居間や街頭で話しあわれたものである。
文字は言葉の影法師である。
その影法師で育ったものが、もとの話に
もどせないだけのことである。
清水さんはそれが出来る僅かな人のひとりである。」
(p189)


う~ん。とあれこれ思います。
例えば、「影法師」とある。
そういえば、夏彦の息子さん山本伊吾氏の本に
「夏彦の影法師 手帳50冊の置土産」(新潮社)
というのがあったなあ。このp103に

「父は、『室内』の新人には必ず清水さんの
『私の文章作法』という本を読ませたそうだ。
『実にきれいな東京弁』だと、
東京生れ、東京育ちの父は、再三コラムに
書いている。」

うん。私が清水幾太郎著「私の文章作法」を
読んだのも、夏彦さんのコラムの指摘からでした。

もとにもどって、
「寄席育ち清水幾太郎」の文の最後はというと

「夏目漱石の『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』
はその目で見れば全文ことごとく落語である。
漱石以後文章上の落語育ちは激減したと思っていたら、
はからずも清水さんと対談して、またそのご少しく
文通して交際が生じたから、こんどは私の文庫本の
解説を頼んだら、はじめうんと承諾したのに、
まもなく書けないと断って来た。プロにはあるまじき
ことだが、私はその気持分るような気がした。」

ここに対談したとある。
ちなみに、山本夏彦さんは
2002年10月29日亡くなっており、
享年87歳。
2009年3月に
「浮き世のことは笑うよりほかなし」
(講談社)が出ております。
「本書は、工作社刊行の月刊誌『室内』に
掲載された対談『人物登場』で、山本夏彦氏
が聞き手を務めたものから17編を選んだ・・」
という一冊。
目次をひらくと
「誰も聞いてくれない地震の話」清水幾太郎
があり、あと
「時代遅れの日本男児」藤原正彦
という対談もありました。

まず、読み返そうと思ったのは
山本夏彦著「愚図の大いそがし」にある
「私の文章作法(一)(二)」をひらく。

そこには、こんな箇所

「好きな文学者の文章をまねせよと
清水は言っている。つまらぬ文学者のまね
したらその域を出られないから、だれを選ぶか
はすでに才能のうちなのである。」(一)

「清水はのちの『60年安保』の立役者で
さらに大転向した人だから、まさかと思うが
よく見ると文章の根底には講談落語がある。
耳に慣れた言葉以外は使うまいぞと決心している
ようである。・・」(二)

この(二)の最後に木下是雄氏の本を
紹介していたのでした。

「ここに一人木下是雄著『理科系の作文技術』
がある。これは谷崎清水両人に劣らぬ好著で、
理科系も文科系も帰するところは同じだが、
違うところに尽きない興味がある。・・・」

そうか。夏彦の
「私の文章作法」の最後に
木下是雄をもってきている。
『選ぶ才能』は、ここですね(笑)。


コメント
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