伊藤正雄著「文章のすすめ」(春秋社)は
前篇が、文字の知識。
後篇が、言葉の智恵。
となっての2冊。
たとえば、前篇をぱらりとめくると
「社会学者清水幾太郎氏は、学者に似合わぬ
達文家である。その著『論文の書き方』と
『私の文章作法』(潮新書・昭和46)は、
自己の体験を土台とした文章論で、
私の知る限り、最も若い人に推奨したい良書といえる。」(p16)
なんて、さりげなく出て来る(笑)。
さてっと、後篇に手紙の章がありました。
そこから一部を引用。
「福沢諭吉は書簡の名人で、どんな相手にも
手紙を出すことを怠らなかった。『福翁百話』にも、
社交上文通の必要な事を力説し、次のように
戒めている。
『人に交はるの法甚だ多端なれども、
これを簡単に約して云へば、
文通・面会・談話・遊戯・会食、
また品物の贈答等に過ぎず。(中略)。
以上述べたる交際法は、易きやうにして
決して易からず。心身活発にして万事に
行き届き、あくまで根気よき人にして
始めて能くすべし。天下の大人は細行を顧みず、
など称して独り自得し、用事もなき人には
文通せざるは勿論、要用の来書に対して
返事せざる者さへ多し。本人の不利のみか、
社会の全面を殺風景にするものと云ふべし。
(58話「交際も亦小出しにす可し」)
・ ・・・・・・・
歴史家の森銑三氏などは、私の本が届くと、
とりあえず受取ったという簡単な礼状を寄越され、
それから暫く後に、改めて読後の感想を詳しく
書いて来られるのが常である。礼状一つで
人間の値打ちが分るのだから、
ゆめゆめ疎かにはできない。」(p262)
ここに、森銑三とある。
さてっと、伊藤正雄氏が森さんへと
送った本は、これかもしれないと
思える箇所がありました(笑)。
「新版忘れ得ぬ国文学者たち」(右文書院)
この解説を坪内祐三氏が書いております。
その解説のはじめに「森銑三は、こう書いていた」
という文を引用しておりました。
その引用箇所を引用しておきます。
「戦後岩本素白翁を通して知った伊藤正雄氏から、
『忘れ得ぬ国文学者たち』一冊を贈られた。
その『国文学者たち』というのは、上田万年・・・
の八人で、岩本翁もまたその中にはいっている。
そしてまた、翁よりも先に亡くなったけれども、
翁同様に私には忘れ難い人となっている沼波先生も、
またその中にある。それで私は、飛びつくように、
まず、沼波、岩本両氏に就いて記された部分を
読んだ。そして他の先生方についての各章は、
読むのをしばらく見合せたままで、
私だけの感慨に耽っている。」
こうして、感慨が綴られたであろう、伊藤正雄氏への
礼状を思い描いてみるのでした。
前篇が、文字の知識。
後篇が、言葉の智恵。
となっての2冊。
たとえば、前篇をぱらりとめくると
「社会学者清水幾太郎氏は、学者に似合わぬ
達文家である。その著『論文の書き方』と
『私の文章作法』(潮新書・昭和46)は、
自己の体験を土台とした文章論で、
私の知る限り、最も若い人に推奨したい良書といえる。」(p16)
なんて、さりげなく出て来る(笑)。
さてっと、後篇に手紙の章がありました。
そこから一部を引用。
「福沢諭吉は書簡の名人で、どんな相手にも
手紙を出すことを怠らなかった。『福翁百話』にも、
社交上文通の必要な事を力説し、次のように
戒めている。
『人に交はるの法甚だ多端なれども、
これを簡単に約して云へば、
文通・面会・談話・遊戯・会食、
また品物の贈答等に過ぎず。(中略)。
以上述べたる交際法は、易きやうにして
決して易からず。心身活発にして万事に
行き届き、あくまで根気よき人にして
始めて能くすべし。天下の大人は細行を顧みず、
など称して独り自得し、用事もなき人には
文通せざるは勿論、要用の来書に対して
返事せざる者さへ多し。本人の不利のみか、
社会の全面を殺風景にするものと云ふべし。
(58話「交際も亦小出しにす可し」)
・ ・・・・・・・
歴史家の森銑三氏などは、私の本が届くと、
とりあえず受取ったという簡単な礼状を寄越され、
それから暫く後に、改めて読後の感想を詳しく
書いて来られるのが常である。礼状一つで
人間の値打ちが分るのだから、
ゆめゆめ疎かにはできない。」(p262)
ここに、森銑三とある。
さてっと、伊藤正雄氏が森さんへと
送った本は、これかもしれないと
思える箇所がありました(笑)。
「新版忘れ得ぬ国文学者たち」(右文書院)
この解説を坪内祐三氏が書いております。
その解説のはじめに「森銑三は、こう書いていた」
という文を引用しておりました。
その引用箇所を引用しておきます。
「戦後岩本素白翁を通して知った伊藤正雄氏から、
『忘れ得ぬ国文学者たち』一冊を贈られた。
その『国文学者たち』というのは、上田万年・・・
の八人で、岩本翁もまたその中にはいっている。
そしてまた、翁よりも先に亡くなったけれども、
翁同様に私には忘れ難い人となっている沼波先生も、
またその中にある。それで私は、飛びつくように、
まず、沼波、岩本両氏に就いて記された部分を
読んだ。そして他の先生方についての各章は、
読むのをしばらく見合せたままで、
私だけの感慨に耽っている。」
こうして、感慨が綴られたであろう、伊藤正雄氏への
礼状を思い描いてみるのでした。