伊藤正雄氏の著作を読むのが、
現在の、マイブーム。
ということで、古本。
井筒屋古書部(福岡市城南区南片江)
『引かれ者の小唄』(春秋社)が
今日届く。
900円+送料170円=1070円
ぱらり。
と開くと、ご自身の著書への
言及がありました。
『俳諧七部集 芭蕉連句全解』を
語っております。
「自家広告めいて恐縮だが」と
はじまっておりました。
「私が七部集の連句に関心を持つに至ったのは、
大正13年東大に入った年、沼波瓊音先生の
『芭蕉の研究』といふ名講義に接した時からである。」
「宣長を隔世の師と仰いだ幕末の歌人橘曙覧には、
有名な『独楽吟』五十二首がある。独楽吟は、
わが恩師沼波瓊音先生も愛誦措かれなかった
ようであるが、その中に、次の一首がある。
楽しみは世に解き難くする書(ふみ)の
意(こころ)を独り悟り得し時
これこそ私の心境そのものにほかならない。」
こうして次に、ご自身の『自適吟』なるものを
録しておられます(笑)。
その最後の二首を、ここに引用。
嬉しさはわが書を誰が愛づらむと
心昂(たかぶ)り眠れざる時
嬉しさはわが亡き後もわが筆は
生きてあらむと思ひ見る時
こうして4頁ほどの文の最後はというと、
「私は数へ七十五歳、今年、昭和五十一年
五月十七日をもって満七十四歳を迎へた。・・
願はくは私の死後も、日本の国が亡びぬ限り、
日本の国語が生きてゐる限り、図書館の埃の中
からこの本を見つけ出して、利用してくれる
殊勝な『神様』が、全国にせめて五人か十人は
絶えませぬやうに、――さういふ遠大な、否、
遠小な抱負のもとにこの本は成った。
百年の大計ならぬ、百年の小計の産物である。」
うん。ころころ変わるマイブームですが、
次に読む本が、決まりました(笑)。
現在の、マイブーム。
ということで、古本。
井筒屋古書部(福岡市城南区南片江)
『引かれ者の小唄』(春秋社)が
今日届く。
900円+送料170円=1070円
ぱらり。
と開くと、ご自身の著書への
言及がありました。
『俳諧七部集 芭蕉連句全解』を
語っております。
「自家広告めいて恐縮だが」と
はじまっておりました。
「私が七部集の連句に関心を持つに至ったのは、
大正13年東大に入った年、沼波瓊音先生の
『芭蕉の研究』といふ名講義に接した時からである。」
「宣長を隔世の師と仰いだ幕末の歌人橘曙覧には、
有名な『独楽吟』五十二首がある。独楽吟は、
わが恩師沼波瓊音先生も愛誦措かれなかった
ようであるが、その中に、次の一首がある。
楽しみは世に解き難くする書(ふみ)の
意(こころ)を独り悟り得し時
これこそ私の心境そのものにほかならない。」
こうして次に、ご自身の『自適吟』なるものを
録しておられます(笑)。
その最後の二首を、ここに引用。
嬉しさはわが書を誰が愛づらむと
心昂(たかぶ)り眠れざる時
嬉しさはわが亡き後もわが筆は
生きてあらむと思ひ見る時
こうして4頁ほどの文の最後はというと、
「私は数へ七十五歳、今年、昭和五十一年
五月十七日をもって満七十四歳を迎へた。・・
願はくは私の死後も、日本の国が亡びぬ限り、
日本の国語が生きてゐる限り、図書館の埃の中
からこの本を見つけ出して、利用してくれる
殊勝な『神様』が、全国にせめて五人か十人は
絶えませぬやうに、――さういふ遠大な、否、
遠小な抱負のもとにこの本は成った。
百年の大計ならぬ、百年の小計の産物である。」
うん。ころころ変わるマイブームですが、
次に読む本が、決まりました(笑)。