和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

知的要約の朝日。

2015-07-28 | 産経新聞
朝日の古新聞を貰ってきたので、
せっかくなので、7月14日 に掲載されている
衆院平和安全法制特別委員会の中央公聴会での
5人の有識者が語った新聞要約を比較してみることに。

ちなみに、5人の有識者とは、
与党推薦が2人。野党推薦が3人。

ここで、注目したいのは、
岡本行夫(外交評論家)の要約でした。

産経新聞ではこうです。

「1987年にイランの攻撃から商船隊を守る
国際護衛艦隊が組織された。護衛の対象の
7割は日本関係船舶だったが日本は
集団的自衛権行使にあたるとして参加を断った。
94年にイエメン内戦で96人の日本人が孤立したとき
救ってくれたのは独仏伊の軍隊だった。
85年、イラン・イラク戦争で日本人215人が孤立したが、
日本の民航機は『危険だ』と言って飛ばず、
トルコ政府が自国の2機のうち1機を日本人に充ててくれた。
2004年、日本のタンカーが自爆テロボートに襲われた。
身をていして守ったのは米海軍軍人と沿岸警備隊員だった。
法制の大きな意義は、外敵から身を守り合うコミュニティーに
日本も参加することにある。各国の善意と犠牲の上に
日本を守ってもらうことを良しとしてきた国のあり方を
転換できるかの歴史的な分岐点にいる。」

さて、産経のあとに、朝日新聞を読めば、
具体的・歴史的な判断材料は、見事に消さている。
きれいに消毒された、要約の怖さ。
朝日新聞の「注目!安保国会」での、
岡本行夫氏の要約全文はこうです。

「日本は、1980年ごろから変容した国際情勢に対応できなくなった。
日本と日本人を守るための集団的自衛権の存在を認めなったからだ。
世界が助け合っている時に『われ関せず』という態度をとり続けることは、
日本人の命と財産を守る負担を他の国に押しつけることを意味する。
我々は今、『それで良し』としてきたこの国のあり方を転換できるかどうか
の歴史的な分岐点にいる。」


安全保障の問題を、抽象化する際の朝日新聞の要約ぶり。
うまいなあ。でも、私は、決して真似はすまい(笑)。
抽象化の度合いが濃くなると、反比例して判断材料が希薄になる。
ここが、憲法論議へ集中させるための見事な伏線(笑)。
たとえば、朝日の要約の『それで良し』という言葉から、
どなたも『それで』が
「各国の善意と犠牲の上に日本を守ってもらうことを良しと
してきた国」へとつながってゆくとは、
朝日の要約だけからは想定外。
私には、どうしても、そうとしか読めない(笑)。



ここで繰返したいのは、
大学紛争の際の、手応えとして養老孟司の言葉。

「私の親は『朝日新聞』をとっていたが、
大学紛争以降、私自身は『朝日新聞』をとらないし、
読まないのである。それは朝日の人にも申し上げた。
紛争のときには、朝日が記事にするたびに、
紛争が深刻化したという思いがあるからである。
つまり新聞記者はある意味で紛争の当事者だったのだが、
その後始末はほとんど私たちがしたという思いがある。
・・そのとき以来の癖で読まない。」
(「こまった人」中公新書・p156)


困ったなあ。朝日の記事とは、何か。
うん。後始末をしない、紛争の当事者の言い分。


「それは朝日の人にも申し上げた。
紛争のときには、朝日が記事にするたびに、
紛争が深刻化したという思いがある」


どうか、養老さんの思いが、
この夏の正夢にならないように。


ちなみに、養老さんの言葉は、
養老孟司著「こまった人」(中公新書)から
引用したのですが、
この引用箇所は「奇妙なNHK・朝日騒動」
という文のなかからとりました。
その文の最後には、小文字で、
その頃の政治状況が紹介されております。
その小文字を引用すると、

【 2005年1月12日、『朝日新聞』は自由民主党の
安倍晋三議員、中川昭一議員の圧力によって、
NHKが2001年1月に放映した従軍慰安婦を扱った
特別番組の内容を改変したと報道、
安倍、中川両議員とNHKがこれに抗議した。
『朝日新聞』は、7月25日にも、この番組改変問題と
その取材過程についてあらためて報じた。】

この「奇妙なNHK・朝日騒動」は2005年の文でした。
その10年後の2015年。
この養老さんの文から10年たった、今年の夏。
従軍慰安婦問題は、朝日によって、どう要約されたか?
さてっと、朝日新聞の知的要約を覚えておられますか。






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