和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

炎天をいただいて乞ひ歩く。

2015-07-30 | 道しるべ
昨日のブログは、
「本の山の中」という話題でした。
そのつづきになります(笑)。

句集のつぎに、思い浮かんだのは、
田中冬二の詩「書棚」。

その詩「書棚」の一行に、

「まだ見ぬ書物は僕にとつて あの大山系の処女雪である」


とあるのでした。
谷沢永一氏は、この詩について、

「本を読んで、何かに役立てようとか・・・
そんなけちな根性はない。ただひっそりと、
書物というもののありがたさ、輝き、重みを、
じっと精神の奥底に持ちこたえている。
そんな気持ちが、この詩には出ています。
私はこれこそ、詩というものだと思う。」
(「知的生活の流儀」PHP研究所・p159)


うん。詩を全文引用しましょ。


  書棚

僕は毎夜 書棚の下へ寝ることにしてゐる
万巻の書物に埋れている碩学者を夢みるためでもない
寝てゐて横着に書物をとり出してみるためでもない
また一冊一冊の内容を想つてみようといふわけでもない
何もない陋屋に 書棚だけが燦然と輝いてゐる
まだ見ぬ書物は僕にとつて あの大山系の処女雪である
さうして書棚の下に寝るといふことは
厳しいが慈愛ふかき父の側にねるやうに
僕にはたいへん心づよいからである


つぎに思い浮かんだのは、
谷沢永一著「紙つぶて【完全版】」(PHP文庫)
の解説・渡部昇一氏の文でした。
そのはじまりは

「平成7年1月17日午前5時46分、ドドーンという音と共に、
大地震が関西を襲った。・・・この時、この大地震帯の
真上にあった兵庫県川西市花屋敷一丁目二十四番地の
谷沢永一邸はどうであったか。
主人永一は午前3時頃から書物を相手に仕事をしていたが、
2時間半以上もの集中のあと、ほっと一息つくため、
食堂に出て一服吸っていた。書庫に入っていたままだったら
圧死した可能性がある。・・・」(p551)



「定本 種田山頭火句集」(弥生書房)には
最後に「種田山頭火年譜」がありました。
山頭火は明治15年生れ。昭和15年59歳で死去。

大正12年(42歳)東京にて関東大震災に遭う。熊本に帰る。
大正14年 三月、報恩寺にて義庵和尚を導師として出家得度す
(曹洞宗)。・・坐禅修行、肥後植木町在味取観音堂守となる。
大正15年 四月、山林独住に堪えかね味取を去る。
一鉢一笠の行乞行脚に上る。


 「大正15年4月、解くすべもない惑ひを背負うて、
  行乞流転の旅に出た」と書いたあとに三句


 分け入つても分け入つても青い山

 しとどに濡れてこれは道しるべの石

 炎天をいただいて乞ひ歩く


うん。そうすると、この炎天は、
関東大震災から、3年目の夏。
コメント
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