山口仲美著「すらすら読める今昔物語集」(講談社)。
その「はじめに」で、山口仲美さんは
この物語集は、複数の人で執筆したのではなく、
ひとりで書いたのではないかと推測しております。
これが印象深いので引用することに。
「『今昔物語集』は、平安末期に成立した。
だが、未完成の古典。作者は、作品を完成させずに、
あの世にいってしまった。だから、31巻から成る
のだけれど、途中の巻8、巻18、巻21の3巻には、
説話が集められていない。巻名だけがある。
それから、目次に説話の題名だけあって、
肝心の本文がないという説話もある。
こういう本文のない説話を除いても、
全部で1040話の説話が集められている。
おそらく作者は、1300くらいの説話を
集める予定であったのだろう。・・・・・
・・・・
残念ながら、作者は分からない。
いろんな説があるけれど、わたしは大寺院に
所属していた無名の坊さんという説が、
真実に近いように思われる。・・・・
坊さんは、寺院内にある身近な図書室によく
出入りした。たくさんの書物に目を通している
うちに、彼は一大野望を抱いた。
インド・中国・日本という三国の説話を集めて
書き記してやろうと。彼は構想を立て、
それに従って説話を集めては、一人コツコツと
書き記していった。一日一話ずつ書いていっても、
四年あれば、1040話の説話を書き記すことができる。
何人か複数の人で執筆しなければ書き切れないほどの
説話の分量だと考える人もいるけれど、
わたしはそうは思わない。
全くの創作説話を1040も書くのは、大変である。
けれども、『今昔物語集』には数多くのタネ本がある。
・・・これらタネ本を座右において、独自の筆を加え、
独特の魅力を放つ1040の説話を書いていったのである。
偏執狂的で、粘り強く、根気のある人なら、
一人で十分になしとげられる作業量である。
作者と思(おぼ)しき坊さんは、
毎日説話を書いては、数年間を充実して過ごしていたに
違いない。だが、もう少しで完成というところで、
作業は中断された。坊さんは、病を得たのであろうか?
それとも何かよんどころない事情で、
中断せざるを得なかったのであろうか?
・・・」(p5~8)
その「はじめに」で、山口仲美さんは
この物語集は、複数の人で執筆したのではなく、
ひとりで書いたのではないかと推測しております。
これが印象深いので引用することに。
「『今昔物語集』は、平安末期に成立した。
だが、未完成の古典。作者は、作品を完成させずに、
あの世にいってしまった。だから、31巻から成る
のだけれど、途中の巻8、巻18、巻21の3巻には、
説話が集められていない。巻名だけがある。
それから、目次に説話の題名だけあって、
肝心の本文がないという説話もある。
こういう本文のない説話を除いても、
全部で1040話の説話が集められている。
おそらく作者は、1300くらいの説話を
集める予定であったのだろう。・・・・・
・・・・
残念ながら、作者は分からない。
いろんな説があるけれど、わたしは大寺院に
所属していた無名の坊さんという説が、
真実に近いように思われる。・・・・
坊さんは、寺院内にある身近な図書室によく
出入りした。たくさんの書物に目を通している
うちに、彼は一大野望を抱いた。
インド・中国・日本という三国の説話を集めて
書き記してやろうと。彼は構想を立て、
それに従って説話を集めては、一人コツコツと
書き記していった。一日一話ずつ書いていっても、
四年あれば、1040話の説話を書き記すことができる。
何人か複数の人で執筆しなければ書き切れないほどの
説話の分量だと考える人もいるけれど、
わたしはそうは思わない。
全くの創作説話を1040も書くのは、大変である。
けれども、『今昔物語集』には数多くのタネ本がある。
・・・これらタネ本を座右において、独自の筆を加え、
独特の魅力を放つ1040の説話を書いていったのである。
偏執狂的で、粘り強く、根気のある人なら、
一人で十分になしとげられる作業量である。
作者と思(おぼ)しき坊さんは、
毎日説話を書いては、数年間を充実して過ごしていたに
違いない。だが、もう少しで完成というところで、
作業は中断された。坊さんは、病を得たのであろうか?
それとも何かよんどころない事情で、
中断せざるを得なかったのであろうか?
・・・」(p5~8)