山口仲美編「擬音擬態語辞典」(講談社)に
「山口仲美の擬音語・擬態語コラム」がありました。
その10番目は「千年も生き延びる」と題して、
こうはじまっておりました。
「擬音語・擬態語は、生まれてはすぐに消える語だと
思われている。しかし、検討してみると、意外に長寿。
普通の言葉の寿命と何ら変わりがない。
900年前の『今昔物語集』という説話集に見られる
擬音語・擬態語を抜き出し、それらの語が現在どのくらい
生き残っているのかを調査してみた。すると、なんと
53%の語が現代まで生き延びて活躍していたのである。
『季武(すえたけ)、河をざぶりざぶりと渡るなり』。
これは、『今昔物語集』に見られる擬音語の例。
『ざぶりざぶり』は、季武が幽霊の出るという河を
豪快に渡っていく時の水の音。現在でも、こういう場合
には『ざぶりざぶり』を用いる。・・・
また、『今昔物語集』では、相手に気づかれないように
ひそかに物の入ってくる音を『こそこそ』、
湯漬けを口にかきこむ音を『ざぶざぶ』、・・
鉢が回転しながら飛ぶ様子を『くるくる』、
物の萎えるさまを『くたくた』と表現しており、
現在と同様である。
・・・・・
擬音語・擬態語は、決して流行語ではない。
日本語の歴史を脈々と生き続ける
日本人の心なのである。」
(単行本・p257)
そういえば、以前に山口仲美著
「平安朝‘元気印’列伝 『今昔物語』の女たち」
(丸善ライブラリー新書・1992年)
を読みたいと、古本をネット検索しても見当たらず、
そのままになっておりました。今度、何気なく
検索すると、それがある(笑)。さっそく注文。
林語堂(青森市古川)
300円+送料140円=440円
届き。プロローグをひらくと、
こうはじまっておりました。
「あなたの好きな古典を一つあげなさい、と言われたら、
私は、迷わず『今昔物語集』を選ぶ。
古典とは思えないほど、身近に感じられるのだ。
そこには、衣をすべてはぎとって、
本音だけで生きている人間の世界が開かれている。
見えも体裁もかなぐり捨てて、
どうしたら生きられるかといった、
ぎりぎりの所で、精一杯知恵をしぼり、
持てる力を最大限発揮して生きて行く庶民たちに、
私は、この上なく共感を覚える。
そしてまた、
彼らの姿を描き出す『今昔物語集』の
表現力の確かさに魅せられる。
『今昔物語集』を読んでいると、私は、
その表現の巧みさに舌を巻くこと、しばしばである。
この『今昔物語集』の表現の魅力は、
一体、どこから生まれてくるのか?
なんとかして、『今昔物語集』の表現の
メカニズムを解き明かしてみたい。
私は、長い間、そう思っていた。
この本は、その願いをかなえるために、書いたものである。」
ちなみに、
講談社から2004年に山口仲美著
「すらすら読める今昔物語集」があり、
帯には「総ルビつき原文【著者オリジナル現代語訳つき】」。
ということで、
山口仲美の著作の3冊
「日本語の古典」(岩波新書)
「すらすら読める今昔物語集」(講談社)
「平安朝‘元気印’列伝」(丸善ライブラリー)
この夏、身近に置き、
三冊を、ざぶりざぶりを読み渡るなり(笑)。
「山口仲美の擬音語・擬態語コラム」がありました。
その10番目は「千年も生き延びる」と題して、
こうはじまっておりました。
「擬音語・擬態語は、生まれてはすぐに消える語だと
思われている。しかし、検討してみると、意外に長寿。
普通の言葉の寿命と何ら変わりがない。
900年前の『今昔物語集』という説話集に見られる
擬音語・擬態語を抜き出し、それらの語が現在どのくらい
生き残っているのかを調査してみた。すると、なんと
53%の語が現代まで生き延びて活躍していたのである。
『季武(すえたけ)、河をざぶりざぶりと渡るなり』。
これは、『今昔物語集』に見られる擬音語の例。
『ざぶりざぶり』は、季武が幽霊の出るという河を
豪快に渡っていく時の水の音。現在でも、こういう場合
には『ざぶりざぶり』を用いる。・・・
また、『今昔物語集』では、相手に気づかれないように
ひそかに物の入ってくる音を『こそこそ』、
湯漬けを口にかきこむ音を『ざぶざぶ』、・・
鉢が回転しながら飛ぶ様子を『くるくる』、
物の萎えるさまを『くたくた』と表現しており、
現在と同様である。
・・・・・
擬音語・擬態語は、決して流行語ではない。
日本語の歴史を脈々と生き続ける
日本人の心なのである。」
(単行本・p257)
そういえば、以前に山口仲美著
「平安朝‘元気印’列伝 『今昔物語』の女たち」
(丸善ライブラリー新書・1992年)
を読みたいと、古本をネット検索しても見当たらず、
そのままになっておりました。今度、何気なく
検索すると、それがある(笑)。さっそく注文。
林語堂(青森市古川)
300円+送料140円=440円
届き。プロローグをひらくと、
こうはじまっておりました。
「あなたの好きな古典を一つあげなさい、と言われたら、
私は、迷わず『今昔物語集』を選ぶ。
古典とは思えないほど、身近に感じられるのだ。
そこには、衣をすべてはぎとって、
本音だけで生きている人間の世界が開かれている。
見えも体裁もかなぐり捨てて、
どうしたら生きられるかといった、
ぎりぎりの所で、精一杯知恵をしぼり、
持てる力を最大限発揮して生きて行く庶民たちに、
私は、この上なく共感を覚える。
そしてまた、
彼らの姿を描き出す『今昔物語集』の
表現力の確かさに魅せられる。
『今昔物語集』を読んでいると、私は、
その表現の巧みさに舌を巻くこと、しばしばである。
この『今昔物語集』の表現の魅力は、
一体、どこから生まれてくるのか?
なんとかして、『今昔物語集』の表現の
メカニズムを解き明かしてみたい。
私は、長い間、そう思っていた。
この本は、その願いをかなえるために、書いたものである。」
ちなみに、
講談社から2004年に山口仲美著
「すらすら読める今昔物語集」があり、
帯には「総ルビつき原文【著者オリジナル現代語訳つき】」。
ということで、
山口仲美の著作の3冊
「日本語の古典」(岩波新書)
「すらすら読める今昔物語集」(講談社)
「平安朝‘元気印’列伝」(丸善ライブラリー)
この夏、身近に置き、
三冊を、ざぶりざぶりを読み渡るなり(笑)。