鶴見俊輔氏の死亡記事を昨日見る。
近くの本棚にあるのは、
「同時代を生きて 忘れえぬ人びと」
(岩波書店・2004年)。
瀬戸内寂聴。ドナルド・キーン。鶴見俊輔
による鼎談でした。
その帯には
「はじめて実現した81歳トリオの鼎談」。
3人ともに、1922年(大正11年)生まれ。
本棚の、この本の隣には
瀬戸内寂聴とドナルド・キーン対談
「日本を、信じる」(中央公論新社・2012年)
その帯には
「ともに90歳を迎える二人が、大震災で感じた
日本人の底力、生きる意味、自らの『老い』と
『死』について縦横に語り合う
読めば元気の出る対談集!」とあります。
さて、出たばかりの「WILL」9月号。
そこに連載している曽野綾子
「その時、輝いていた人々」のはじまりは、
「我が家の日曜日は静かなものだ。
一面では、高齢社会に転じた現代日本の
典型的な一家の姿とも言える。
八十代以上が三人で暮らしているのである。
ただ私がまだ週末でも普段の日の半分くらいは
仕事をしているので、いつの間にかその日だけ
手伝いに来て下さるⅯさんという女性が、
夫婦二人だけの生活に加わるようになった。
彼女は九十一歳。しかし体はきびきびと動いて、
普通の家事はできる。お裁縫の仕事にかけては、
無能な私は足元にも及ばない。
・・週末に暮らす中で一番若い?のが、
八十四歳の私だ。次が八十九歳の夫。・・・」
(P121)
ちなみに、この雑誌にある、
石原慎太郎(1932年生れ)・百田尚樹(1956年生れ)
の対談に、こんな箇所が
石原】 ・・総じて政治家に歴史的な教養がなく
なってしまった。本当に歴史を知らない。
百田】 たしかに四十代や五十代の政治家の方と
話をしていても、韓国や中国の問題について
私が話をすると、
『え、そうなんですか!知りませんでした』と
驚かれる人が多くて、
『この人たち大丈夫かな・・・』と
不安に思う時が多々あります。
(P42)
う~ん。
当ブログの2015年1月19日の引用を、
また、あらためて読み直したくなりました。
読むに、煩雑でしょうが、
以下にコピーしておきます。
産経新聞1月7日の曽野綾子連載
「透明な歳月の光」624回目。
はじまりは
「お正月には、何となくほろ酔い
遊び気分で、いい加減なことを言う
のも許されるような空気もあるので、
私は一つ予言をすることにした。」
ということで、
この文の終りを引用。
「・・日本語と言えば
『ヤバイ(やべえ)、かわいい、
すっごい、超・・・』ほか10言くらい
しか使えないタレントが平気でテレビ
に出て来るのだから、この文化の潮流が
日本に限って長続きするとは思えない。
先進的な国家というものは、自国語で
『読み書き語る』ことができる人が
国民の大部分であるべきなのだが、
その条件は今の高齢者層が死に絶える
と後が続かない。
つまりこの物質的文化の最盛期は、
オリンピックまでは保つだろうが、
その後はまもなく下降期に入ると
思われる。・・・」
はい。
「読み書き語る」高齢者層の方々の
言葉を聞く。それが、今年の
私の目標といたします。
ちなみに、曽野綾子氏は昭和6年生まれ。
大正から昭和ヒトケタ生まれぐらいまでの語り
を聞いて、今年一年充実して過ごせますように。
うん。「オリンピックまでは」。
近くの本棚にあるのは、
「同時代を生きて 忘れえぬ人びと」
(岩波書店・2004年)。
瀬戸内寂聴。ドナルド・キーン。鶴見俊輔
による鼎談でした。
その帯には
「はじめて実現した81歳トリオの鼎談」。
3人ともに、1922年(大正11年)生まれ。
本棚の、この本の隣には
瀬戸内寂聴とドナルド・キーン対談
「日本を、信じる」(中央公論新社・2012年)
その帯には
「ともに90歳を迎える二人が、大震災で感じた
日本人の底力、生きる意味、自らの『老い』と
『死』について縦横に語り合う
読めば元気の出る対談集!」とあります。
さて、出たばかりの「WILL」9月号。
そこに連載している曽野綾子
「その時、輝いていた人々」のはじまりは、
「我が家の日曜日は静かなものだ。
一面では、高齢社会に転じた現代日本の
典型的な一家の姿とも言える。
八十代以上が三人で暮らしているのである。
ただ私がまだ週末でも普段の日の半分くらいは
仕事をしているので、いつの間にかその日だけ
手伝いに来て下さるⅯさんという女性が、
夫婦二人だけの生活に加わるようになった。
彼女は九十一歳。しかし体はきびきびと動いて、
普通の家事はできる。お裁縫の仕事にかけては、
無能な私は足元にも及ばない。
・・週末に暮らす中で一番若い?のが、
八十四歳の私だ。次が八十九歳の夫。・・・」
(P121)
ちなみに、この雑誌にある、
石原慎太郎(1932年生れ)・百田尚樹(1956年生れ)
の対談に、こんな箇所が
石原】 ・・総じて政治家に歴史的な教養がなく
なってしまった。本当に歴史を知らない。
百田】 たしかに四十代や五十代の政治家の方と
話をしていても、韓国や中国の問題について
私が話をすると、
『え、そうなんですか!知りませんでした』と
驚かれる人が多くて、
『この人たち大丈夫かな・・・』と
不安に思う時が多々あります。
(P42)
う~ん。
当ブログの2015年1月19日の引用を、
また、あらためて読み直したくなりました。
読むに、煩雑でしょうが、
以下にコピーしておきます。
産経新聞1月7日の曽野綾子連載
「透明な歳月の光」624回目。
はじまりは
「お正月には、何となくほろ酔い
遊び気分で、いい加減なことを言う
のも許されるような空気もあるので、
私は一つ予言をすることにした。」
ということで、
この文の終りを引用。
「・・日本語と言えば
『ヤバイ(やべえ)、かわいい、
すっごい、超・・・』ほか10言くらい
しか使えないタレントが平気でテレビ
に出て来るのだから、この文化の潮流が
日本に限って長続きするとは思えない。
先進的な国家というものは、自国語で
『読み書き語る』ことができる人が
国民の大部分であるべきなのだが、
その条件は今の高齢者層が死に絶える
と後が続かない。
つまりこの物質的文化の最盛期は、
オリンピックまでは保つだろうが、
その後はまもなく下降期に入ると
思われる。・・・」
はい。
「読み書き語る」高齢者層の方々の
言葉を聞く。それが、今年の
私の目標といたします。
ちなみに、曽野綾子氏は昭和6年生まれ。
大正から昭和ヒトケタ生まれぐらいまでの語り
を聞いて、今年一年充実して過ごせますように。
うん。「オリンピックまでは」。