和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

この風潮に動かされ。

2015-07-07 | 道しるべ
たしか読まずに、あったと思って、家の中を探していた、
小泉信三著「福沢諭吉」(岩波新書)を昨日見つける。
買ってあっても、未読本(笑)。
この機会にパラパラ読み。

ちなみに、
伊藤正雄著「福澤諭吉論考」(吉川弘文館)には、
この本を指摘して、こう語られておりました。

「 福沢諭吉 小泉信三 弘文堂アテネ文庫
  福沢諭吉 小泉信三 岩波新書

二書同名であるが、内容は全然別である。
前者は四編の短い論文から成り、
後者は八章に分かれて、
これまた各章一応独立の主題を扱ってゐるが、
通読すれば、おのづから小伝ともいへるやうな
形になってゐる。著者は慶応派の学者中、
戦前から最近まで、おそらく福沢を論ずること
最も多く、幾多の著者中に所見が散見してゐるが、
この二書によって、著者の慎重で公平な福沢観の
典型を知ることができよう。特に後者の
『福沢の歴史観』などは、圧巻と思はれる。」
(p579)

圧巻の「福沢の歴史観」は第四章。
その前に、第三章を、パラリとひらく。
その第三章から引用。

「福沢の言論がいかに当時孔孟尊崇の人々を怒らせたかは、
例えば後年の日本でマルクス批判の言論がいかに
マルクシストを立腹させたかの事例に徴して、
遡(さかのぼ)って想像することができよう。
福沢はそもそも何故に漢学者の怒りを冒して、
尊厳無視の言説を弄したのであるか。
後年福沢はやはり自伝の中にそのことを説明している。
『いまの開国の時節に古く腐れた漢説が
後進少年生の脳中にわだかまっては、
とても西洋の文明は国にはいることができないと、
あくまでも信じて疑わず、いかにもして
かれらを救い出してわが信ずるところに導かんと、
あらんかぎりの力を尽し、私の真面目を申せば、
日本国中の漢学者はみんな来い、
おれがひとりで相手になろうというような
決心であった。云々』(自伝193)」(p91)


この文で思い浮かぶのは、
小泉信三著「共産主義批判の常識」(講談社学術文庫)
そこには、新潮文庫の文庫版序も掲載されておりました。
その文庫版序(昭和29年8月下旬)のはじまりを引用。

「『共産主義批判の常識』は、私の書いた本の中で、
一番多く売れ、一番広く読まれたものである。
したがって、それだけ世間的影響もあったと見てよい。
始めて出たのは、昭和24年3月のことであった。
その直前、総選挙が行われて、自由党と共産党とが
急に進出した。日本はまだ占領下にあったが、
当時、何故か人々は、ことに知識階級と呼ばれる
ものの間には、共産党または共産主義に対する批判を
はばかり、何か一目置いて議論するという風が見えた。
自然、この風潮に動かされ、別段の所信もなしに
これに追随するものが少なくないように見えた。
私はこれに不満であった。・・・・」(p6)


「おれがひとりで相手になろうというような決心」
それが、今の私の発想には、どこをさがしても、
どこにも見あたらない。




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