和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

古本てえものは。

2015-02-13 | 短文紹介
山本夏彦対談は、味があるなあ。
「浮き世のことは笑うよりほかなし」(講談社)。

たとえば、出久根達郎氏との対談では、

出久根】 ・・でも先生、本もまた主人を選ぶと
いいますか、このへんが古本のおもしろさでしょうね。
人も本を選ぶけれども本もまた人を選ぶ、
呼びかけるんですよね。

山本】 そうです、古本てえものは死んだふりして
なかなか死なないんですよ。お客が入ってくると、
いっせいに振り向くんです、ひょっとしたら自分の
友じゃないかとか、自分の知り合いになりうる人
じゃないかって見るんですね。縁のない人と思うと
また長い眠りにはいるんです。それはね、入口あけ
たときにね、いっせいに見るんです。開いた音が
するたんびに・・・・

出久根】 たしかにね、私は店を閉めましてね、
表の戸を下ろしまして、誰もいない店を眺める
っていうのが大好きなんですけれどもね、
やっぱり先生、本は生きてるなあっていう
気がしますね。今日もおまえたち売れ残っ
ちゃったなって、こっちは話しかけるんです
けれどもね。本の方はいつか売れますよって
なぐさめてくれます。
   (p273~274)


語りかけてくるといえば、
この本の小木新造さんとの対談に
久保田万太郎の名前が登場してたんだ(笑)。

山本】 僕はこないだ寺子屋のことを書いたん
ですけど――久保田万太郎の『大寺学校』。
明治の末に寺子屋があるなんて信じられなくて、
あれ、小木さんに聞きにいきゃいいんだけど、
僕は電話をかけるのがきらいですから。
・ ・・・・・
小木】 僕は久保万のあの芝居『大寺学校』を
見てますよ。

山本】 あ、ご覧でしたか。三津田健の大寺先生。

小木】 ええ。それでもあんなことがあり得るのかと
ずっとひっかかってたんです。俳句はうまい人だけど、
あれは絵そらごとじゃないかって疑っていたんです。
ところがいろいろ調べてみると、あれはまさに
実録なんですね。
   (p125~126)


はい。『いっせいに振り向く』じゃなくて、
私だけ振り向く、というような、
瞬間の味わいを楽しめました(笑)。


さてっと、今年は、山本夏彦という古本が、
『いっせいに振り向く』のを体験できそうな
気がしてきました(笑)。
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かいつまんで話して。

2015-02-12 | 短文紹介
注文してあった古本が届く。

秋山加代著「叱られ手紙」(文藝春秋)
単行本の帯には、向田邦子の文。
文春文庫の解説は阿川佐和子。
となっております。
私が注文したのは単行本の方。

古書湧書館(愛知県豊橋市吉川町)
 200円+送料300円=500円

もう一冊は
山本夏彦著「その時がきた」(新潮社)
の単行本。

カバラ書店(岐阜県各務原市鵜沼古市場町)
500円+送料180円=680円
初版でした(笑)。


「その時がきた」のはじまりは
「読めない書けない話せない」でした。
そこから引用。

「昔は中学を出ても手紙一本書けないと言ったが、
今は大学を出ても読めない書けない話せない。
私はさる展示会を見に行かせ、あとで報告させたが、
人がいっぱいいましたと言って絶句した若者がいた。
評判だから見に行かせたのだ、それだけなら聞く
までもないと笑ったが、以来気をつけてみると
彼らはほとんど話をしてない。
・・・見ない相手にかいつまんで話をして聞かせ、
共に興ずるには多少の訓練がいる。その訓練は
まず家庭で次いで学校で・・・」

うん。最後まで引用したくなくなりました(笑)。
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決して実行しない。

2015-02-11 | 短文紹介
藤原正彦編
「『夏彦の写真コラム』傑作選①」(新潮文庫)
をパラパラ。

こんな箇所。

「社会主義国にせよ資本主義国にせよ
修身のない国はないのに、ひとりわが国には
ない。修身を復活させようとすると新聞が
必ず邪魔をする。実を言うと新聞の
『天声人語』『余禄』のたぐいは現代の修身
なのである。あれには書いた当人が決して
実行しない、またするつもりもない立派なこと
ばかり書いてある。だから新聞は修身復活と
聞くと、自分のお株を奪われやしまいかと
反対するのである。」(p96)


今日は、かみさんの実家の模様替え。
よい天気で、庭にソファーやベッドを出しての
大掃除。きれいになるのはいいですね。
あとは、自宅なのですが、
こっちは、するつもりもなく(笑)。
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世は〆切。

2015-02-10 | 前書・後書。
山本夏彦の文庫本を数冊めくっていると、
『世は〆切』の印象が鮮やか。
ということで、たしかあったはずなのに、
見当たらない、単行本を古本で注文することに。

数冊をパラパラ読みしてると、
数日して、印象深い数行が
思い浮かぶことがあり。
それが、どの本のどの箇所に
あったのかと、もう一度、
パラパラ開き直すわけです。
その回数が多いのが、
私にとっての印象鮮やかな本。
ということになります。
それが山本夏彦著「世は〆切」。

この題になった『世は〆切』という
文を読んでみるけれど、意味が飲み込めない
ところがある。
そう思ってこの本のあとがきを読むと、
あとがきの最後にこうあったのでした。
そこも、昨夜読んで印象に残った。
魚屋の一日が書いてある。

「私はこれまで〆切をかたく守ってきた。
遅れると次の〆切が追いかけてきて、
〆切が重なって困るのは私自身だからである。
それは原稿のことだけではない。
冷蔵庫のなかった昔は、魚屋は今朝仕入れた
魚を売りつくして、夕方は店のたたきに音たてて
水を流して、ごしごし洗って無事一日を終った。
魚屋のあるじはあとは枕を高くして寝るばかり
である。まことに一日の苦労は一日で足れりである、
明日のことは思いわずらうなとは至言である。
よって今回は『世は〆切』と題して自ら戒めた。
  平成七年冬 著者    」


うん。これを単行本で読んでみたいと
古本を注文。それを待つ楽しみ。
う~ん。単行本で読む贅沢(笑)。
ちなみに、文春文庫「世は〆切」の
解説は関川夏央。9頁。
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イギリス像が、ようやく。

2015-02-09 | 他生の縁
新田次郎・司馬遼太郎・山本夏彦。
この3人による、本の紹介を聞ける楽しみ。

その対象の本は、藤原正彦著の
「遥かなケンブリッジ」「若き数学者のアメリカ」。


では、まず
「浮き世のことは笑うよりほかなし」にある
山本夏彦・藤原正彦対談の箇所から

山本】 ・・・この間出版なさった
『遥かなケンブリッジ』と、その前の
『若き数学者のアメリカ』この二冊を拝見したら
実に面白い。ご当人を目の前に置いて
褒めるのは失礼ですが感心しました。
・ ・今までどうして読まなかったのかと
残念に思った位です。・・・
『若き数学者のアメリカ』が出た時
お父さんはさぞお喜びだったでしょう。

藤原】 すごく喜びましたね。
自分の小説が売れるより喜びました。
この本が出る前、父に読んでもらったんです。
そしたら『お前がこんなに書けるとは思わなかった。
でも親のひいき目もあるから俺の意見は信用するな』
って言うんです。そこで父のところに出入りしている
編集者に読んでもらおいうとしたら、皆逃げるんです。
・ ・・新潮の人が勇をふるって読んでくれた。・・

山本】 岡潔さんはずいぶん書きましたが所々
わかりません(笑)。ぼくはイギリスを夏目漱石が
書いたので知っています。それから池田成彬の子息
でケンブリッジで学んだ池田潔。
藤原】 「自由と規律」ですね。
山本】 漱石はイギリスで実にいやな思いばかり
したと書いている。池田さんのは昭和24年に出た
本で、イギリスはどんなにいい国か、自分がどんなに
いい学校生活を送ったか書いてある。いま読めば
何ともないでしょうけれど、当時はいやな感じが
した。皆が飢えかつえていた時ですからね。
今度の藤原さんのご本で、イギリス像がようやく
落着きました(笑)。
(p233~235)

以上が山本夏彦と新田次郎の本の紹介。
以下は司馬遼太郎。

以前にも紹介したので
重複となりますが、「以下、無用のことながら」
に「本の話 新田次郎のことども」があります。
その文の最後をすこし長く引用。

「枕頭で本を読んでいるうちに、
飛びあがるほどおどろいた。
著者である数学者――お茶の水女子大数学科の
教授――が、文部省の長期在外研究員として、
数学の淵叢であるイギリスのケンブリッジにゆく。
そこで一年間、著者は家族とともに滞在した。
そのことの実景と実感の文学的報告書だから、
数学のことはなまでは出て来ない。
ともかくも、上質の文章が吸盤のように
当方の気分に付着してきて眠ることを
わすれるうちに、この本の著者の藤原正彦が、
あの『赤ちゃん』ではないか、とふとおもったのである。
あわてて本の前後を繰るうちに、やはり新田次郎氏
の息であることがわかった。巻末の略歴に、
1943年のおうまれとある。・・・
新京時代の藤原家の赤ちゃんの著作を、七十を
越えた私が夜陰夢中になって読んでいたことになる。
この偶会のよろこびは、世にながくいることの
余禄の一つである。同様に、本のありがたさの
一つでもある。えらい数学者になられたあの
『赤ちゃん』のよき文章によって、つまりは
時空を超え、1987、8年のケンブリッジの町を
――文明としか言いようのない人びとの秩序
のなかを――臥せながらにして歩くことができる。
数奇というのは、読書以外にありうるかどうか。」


はい。あらためて
『遥かなるケンブリッジ――1数学者のイギリス』
お宝を取り出すように、
本棚から抜き出す二月(笑)。
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夏彦文章作法。

2015-02-08 | 古典
山本夏彦著「世は〆切り」(文春文庫)を
パラリとひらくと、
「寄席育ち清水幾太郎」と題した文がある。
そこに、こんな箇所。

「書くのと話すのはまるでちがう。
対談や座談のよく出来たものは分かりやすい。
難解な岩波用語で書いた哲学書も、
平談俗語で話したら誰にも分かるはずである。
元来哲学は居間や街頭で話しあわれたものである。
文字は言葉の影法師である。
その影法師で育ったものが、もとの話に
もどせないだけのことである。
清水さんはそれが出来る僅かな人のひとりである。」
(p189)


う~ん。とあれこれ思います。
例えば、「影法師」とある。
そういえば、夏彦の息子さん山本伊吾氏の本に
「夏彦の影法師 手帳50冊の置土産」(新潮社)
というのがあったなあ。このp103に

「父は、『室内』の新人には必ず清水さんの
『私の文章作法』という本を読ませたそうだ。
『実にきれいな東京弁』だと、
東京生れ、東京育ちの父は、再三コラムに
書いている。」

うん。私が清水幾太郎著「私の文章作法」を
読んだのも、夏彦さんのコラムの指摘からでした。

もとにもどって、
「寄席育ち清水幾太郎」の文の最後はというと

「夏目漱石の『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』
はその目で見れば全文ことごとく落語である。
漱石以後文章上の落語育ちは激減したと思っていたら、
はからずも清水さんと対談して、またそのご少しく
文通して交際が生じたから、こんどは私の文庫本の
解説を頼んだら、はじめうんと承諾したのに、
まもなく書けないと断って来た。プロにはあるまじき
ことだが、私はその気持分るような気がした。」

ここに対談したとある。
ちなみに、山本夏彦さんは
2002年10月29日亡くなっており、
享年87歳。
2009年3月に
「浮き世のことは笑うよりほかなし」
(講談社)が出ております。
「本書は、工作社刊行の月刊誌『室内』に
掲載された対談『人物登場』で、山本夏彦氏
が聞き手を務めたものから17編を選んだ・・」
という一冊。
目次をひらくと
「誰も聞いてくれない地震の話」清水幾太郎
があり、あと
「時代遅れの日本男児」藤原正彦
という対談もありました。

まず、読み返そうと思ったのは
山本夏彦著「愚図の大いそがし」にある
「私の文章作法(一)(二)」をひらく。

そこには、こんな箇所

「好きな文学者の文章をまねせよと
清水は言っている。つまらぬ文学者のまね
したらその域を出られないから、だれを選ぶか
はすでに才能のうちなのである。」(一)

「清水はのちの『60年安保』の立役者で
さらに大転向した人だから、まさかと思うが
よく見ると文章の根底には講談落語がある。
耳に慣れた言葉以外は使うまいぞと決心している
ようである。・・」(二)

この(二)の最後に木下是雄氏の本を
紹介していたのでした。

「ここに一人木下是雄著『理科系の作文技術』
がある。これは谷崎清水両人に劣らぬ好著で、
理科系も文科系も帰するところは同じだが、
違うところに尽きない興味がある。・・・」

そうか。夏彦の
「私の文章作法」の最後に
木下是雄をもってきている。
『選ぶ才能』は、ここですね(笑)。


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文語文と夏彦。

2015-02-07 | 短文紹介
三浦勝也著「近代日本語と文語文」(勉誠出版)
のあとがき。

「『普通文』や『時文』と呼ばれた近代の
文語文のことは、私の教員生活の、特に
終わりの十年ほどずっと気に掛かっていた
問題だった。・・」

こうはじまっております。
次のページには

「文語の持つ簡潔さや韻律の美、時には
そのリアリティを次の世代に伝えることは
国語教員の職を選んだ私の重要な仕事の一つ
であったはずなのに、十分果たすことが
できずに終わってしまったのは、
少しだけ心残りではある。
それはひとえに自分の怠慢に帰するのだが、
その裏には文語の問題を確信を持って説く
自信を持ち得なかった弱さもあった。・・」

そして、最後の方には

「教室で学生諸君に講義するつもりで
書いたのがこの本である。」

そうか、講義のつもりなのか。
それで、参考文献の「図書案内」には
山本夏彦氏の本は登場しなかった。

たしか、山本夏彦著「完本文語文」という
のがあったなあ。本棚から持ってこよう。

などと思っていると、
古書店ふくろう(岩見沢市幌向北1条)より
文庫本5冊とどく。
「かいつまんで言う」ほか山本夏彦の文庫。
5冊で1850円+送料350円=2200円

文語文と山本夏彦という切り口から、
山本夏彦氏の本を読めそうな気がしてきます(笑)。
うん。パラパラし甲斐がありそうです。
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タイトル。

2015-02-06 | 短文紹介
対談「意地悪は死なず」で
山本夏彦さんが

「ジャーナリズムというものは所詮、
堅気のすることじゃない。
堅気にはまずタイトルがつけられません。
そして、ジャーナリズムはついにタイトルです。」
(「三日三月三年」という)

それじゃと
藤原正彦編「『夏彦の写真コラム』傑作選①」(新潮文庫)
をひらく。「タイトルだけが人生だ」という文が
載っている(p115)

そこには

「新聞はタイトルだけしか読まないという人
があるくらいだから、私は『タイトルだけが人生だ』
といったことがある。『サヨナラだけが人生だ』を
もじったのである。」

タイトルなしの文は味気ないし、
タイトルのない人生は、何やら、
自分を見ているようでもあるし(笑)。

藤原正彦の「管見妄語」の古本が
あまり出回っていないようなので、
それならと、山本夏彦のコラムを、
古本の文庫で注文することにする。
今なら、すんなり読めそうな気が(笑)。
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コボちゃん・2コラム。

2015-02-05 | 他生の縁
産経新聞と読売新聞を今年は購読してます。

まずは、
田原総一朗氏の言葉から
雑誌WILL3月号の「テロと朝日『第三者委員会』」
と題して、第三者委員になった田原さんは
こう指摘しております。

「日本の新聞界は、はっきりいえば
安倍政権に批判的な朝日、毎日と、
安倍政権に肯定的な読売、産経が
きそい合っている。」(p68)

はい。私は、
安倍政権に肯定的な2紙を講読しております(笑)。

ところで、
2月1日の読売新聞の4コマ漫画「コボちゃん」
2月3日の読売一面コラム「編集手帳」
2月4日の産経連載コラム「透明な歳月の光」

これが、つながりをもって読めるめでたさ。
これも、2紙を講読していた余得でした。

ここでは、二つのコラムを紹介。
2月3日の編集手帳は、こうはじまります。

「パパ耕二さんがラジオの競馬中継を聴いている。
当たった!『何か欲しい物あるか?』。上機嫌で
尋ねた。テレビのニュースを見ながら小学生の
コボちゃんが答えた。『一刻も早い世界平和だね』。
パパ、自己嫌悪にうなだれる。・・・・」


全文引用しないといけないのでしょうが、
そそくさと、つぎに行きます。
2月4日「曽野綾子の透明な歳月の光」は
こうはじまっておりました。

「2月3日付の読売新聞朝刊の『編集手帳』で、
おそらくマンガと思われる『コボちゃん』という
一家の話を教えてもらった。私はこのマンガを
見たことがないのだが、パパは競馬ファンらしい。
馬券が当たって喜ぶパパ。コボちゃんに
『何か欲しい物があるか?』と聞いた。すると
コボちゃんは『一刻も早い世界平和だね』と
答えるというのである。
コボちゃんは何歳くらいなのかにもよるけれど、
いずれにせよ、不自然な会話だ。
こういう答えをする子供がいたら、
私だったら反射的に、『要注意』と思う。
子供は抽象的な命題からものごとを考えない。
そこに発達の余地があるのだ。
虫や犬を見たらいじめてみたい、
と思ってやってみたりもするが、それが
あまり楽しくない、どころか、次第に
かわいそうになってきてしまう。そこで
初めて、幸福感とか、命の継続というものに
対して、重大な発見をするのである。
もしコボちゃんが18歳とか20歳とかだったら、
その幼さにもあたらしい危険がある。・・・」

こうはじまり、
全文引用したいのですが、
ここでは、最後を引用。

「ルネサンス期イギリスの思想家トマス・モアは
ギリシャ語で理想郷を意味する言葉『ユートピア』
を作ったとき、『ウ・トポス(どこにもない場所)』
という語をあてた。『理想郷』などというものは
どこにもないことを原著者モアが誰よりもよく
知っていたのだ。しかし現実に、紛争を『減らす』
ことはできる。持つものが持たない者に、医療手段
や食料を分けることは、多くの場合可能だ。
ただ、分けることは実はかなり辛いことなのだ。
だから修道院生活の基本精神にもなっている。
自分たちが持っているお金や労力や安全を、
深い配慮の元に現実に差し出すことのできる人が、
ほんとうの平和主義者なのだと学校で教えてほしい。」


うん。四コマ漫画も面白かったけれど、
2つのコラムが、言葉の喋る(じゃなかった)
言葉のシャベルで、掘り下げてゆくのを
筋道をたどれて、2紙講読もまんざらじゃない(笑)。

ということで、多くの方は2紙の古新聞を
辿るのはめんどうでしょうから、
すこし長く引用させてもらいました。
うん。私はというと、きっかけの
四コマ漫画を、あらためて、見直すのでした。
惹かれて、ここから物語の世界へと
入って行く表紙絵を眺めるように(笑)。
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六十の手習い。

2015-02-04 | 短文紹介
古本購入。

創元社の「新版ことわざ名言事典」。
古本で200円。
タテ18・5㎝ヨコ13.5㎝厚み2㎝。
表紙は明解国語辞典のような
水を跳ね返すビニール装?
(何ていうのか知らないのです)。

持ちやすいので、
気楽にページをめくれそう。
これなら、まるで日めくりカレンダーの
格言を読むように、さりげなく
ページをめくれそうです(笑)。

ということで、
さっそくひらく。


「六十の手習い」
注には
「『八十の手習い』ともいう。晩学の意。」

ちなみに、七十というのは
ありませんでした。
でも、五十はある。

「五十にして四十九年の非を知る」
「五十になれば五十の縁あり」
「五十歩百歩」


以上はことわざの頁。
名言の頁には、

「人は若すぎると、正しい判断ができない。
年をとり過ぎても同様である。 パスカル」


一度本棚に並べれば埃をかぶる。
しばらくは、机上に置くことに。
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夏彦・七平。

2015-02-03 | 短文紹介
昨日は『彦』つながりの夏彦・正彦。
今日は『山本』つながりの夏彦・七平。

ということで、山本夏彦・山本七平
対談集「意地悪は死なず」(講談社)から
一箇所引用。

七平】 『旧約聖書』ってのは人間の正義ってのを
信用しないんです。面白いですよ、ユダヤ人って
いうのは。
『人間の正義は汚れた下着である』という
有名な言葉があるんです。『汚れた下着』って
いうのは日本語の訳でして、ほんとのこと言うと、
ちょっと女性の前で口にできないような言葉
なんですよ、これ。

夏彦】 そうですか。

七平】 なんて言いますかな、
『メンスの血で汚れた布である』というんです。

夏彦】 うん、聞いたことある。

七平】 昔、ほら『汚(けが)れている』という
言葉があったでしょう。『正義は人を汚す』という
非常に面白い発想があるんです。正義を口にすると
その人間は汚れるというのね。

夏彦】 そうですよ、ほんとですよ。

七平】 ねえ、だからこれは健全なんですよ。
正義をうっかり口にすると、その人間は汚れる・・

(p104~105)

うん。ここだけ引用したら、汚れの
イメージだけが残っちゃうので
もう一箇所引用します。

夏彦】 『男子の本懐』っていう小説では
浜口雄幸、井上準之助の両人は私利私欲を
忘れて国事に奔走した志士仁人(じんじん)
みたいに書いてあるけれど、当時の新聞は
二人ばかりか政治家全部を財閥の走狗(そうく)
走狗ってイヌのことですよ。
利権の亡者とかって書くこと今とおんなじですよ。
それをうのみにして佐郷屋留雄(さごうやとめお)
以下は政治家を殺したんです。

七平】 そうなんです。

夏彦】 だから新聞が教唆(きょうさ)して
殺させたようなものなんです。

七平】 いや、原敬を殺した十九歳の駅員
中岡艮一(なかおかこんいち)の判決には
ちゃんとそれが書いてある。
『新聞雑誌の記事を信じ』っていう言葉が
それには出ているんですよ。

夏彦】 そうですそうです、思いだしました。

七平】 だから彼を罰するにはちょっと抵抗を
感ずるっていうことがちゃんと書いてあります。
倫理的に言えば一半の責任は新聞雑誌にある
っていうことをあの判決は言っているんです。
今になって原敬は立派だっていわれてますけど、
あの当時はとんでもない、生かしておけない
人間ってことになっていたんです。
(p115)

山本夏彦・山本七平対談はたしか
二冊でていたと思います。

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夏彦・正彦。

2015-02-02 | 前書・後書。
藤原正彦編で新潮文庫から出ていた
山本夏彦著「『夏彦の写真コラム』傑作選1」。
これを古本屋へ注文。

古書店ふくろう(岩見沢市幌向北1条)
本代400円+送料215円=615円
が届く。

藤原正彦氏が山本夏彦氏を語るのは
他にもあるでしょうが、私が読めたのは

山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」。
その帯にはこうありました。

「『死ぬの大好き』のひと、ついに逝く。
絶筆コラム『遠きみやこにかへらばや』を収録。
有吉玉青、藤原正彦両氏の夏彦追悼も必読。」

うん。必読を読んだら、
「『夏彦の写真コラム』傑作選1」の
藤原正彦氏のあとがき
「天邪鬼の本領発揮」を読みたくなった
というわけ。
その文庫解説から、まずは一行引用。

「夏彦さんは日頃、
『古本を読むことは死んだ人と話をすること』
と書いていた。」(p263)

そして、解説の最後を引用。

「・・など幾多の歴史的名言を残した。
これらは今も新しい。生きている時に
『半分死んだ人』が、死んでから
『半分生きている人』になった。
天邪鬼(あまのじゃく)の本領を
今も発揮している。」

こうして、夏彦追悼と傑作選とで、
写真コラムの系譜が
夏彦・正彦とたどれるのでした。

あと、
司馬遼太郎著「以下、無用のことながら」
に載っている
「本の話――新田次郎氏のことども」
も読み直したくなる。

ほかに、こういう本もある
というのがありましたら、
どなたか、お教えください。
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八十までじゃダメ。

2015-02-01 | 詩歌
天地書房(大阪市中央区難波)へ
久保田万太郎全集全15巻揃を注文。
函・月報揃い。税込み・送料無料。
7000円
それが月末になって届く。

うん。小説や戯曲は読まないのに、
つい、安さの誘惑に負けました(笑)。
一冊だと467円。


言い訳ならなんとでもつけます。
ということで、以下はそれ。

篠田一士著「現代詩大要 三田の詩人たち」
(小沢書店)があります。のちに
「三田の詩人たち」(講談社文芸文庫)となる。

その本のはじまりが
久保田万太郎でした。

「・・そういうことをぬきにしても、
久保田万太郎の小説は読んで面白い。
特に大震災や戦争で壊れちゃった江戸の
感受性のありか、ありようを知りたければ、
久保田万太郎の小説を読むのが一番
てっとり早いと思いますよ。」
(本・文庫共にp14)

その次に、篠田さんは
こう語っておりました。

「では、久保田さんの俳句の話に入ります。
詩学で俳句や短歌の話が出てくるのはおかしい
と思う人がいるかもしれないが、おかしいと
思う方がおかしいんで、詩を考える場合、
まず短歌があり俳句があって、それから
いわゆる近代詩といわれるものが出てくるんです。
この三つを全部合わせて考えなければ、
日本の詩的創造の全貌をつかむことはできない。
・ ・・・・・・
俳人、歌人は長生きです。長生きしなきゃできない。
八十までじゃダメ、土屋文明さんなんか
確か九十代の半ばですよ。・・・」

棒ほど願えば針ほどかなう。
じゃないけれど、
2月は久保田万太郎全集。

以上、全集をひらかなければ、
ただの7000円の言い訳となる。
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