おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

泥仕合に持ち込み

2005-02-08 20:27:05 | 平和
国民があきれてしまう、どっちもどっちだと。
 今の国会の与野党の議論を見るとそんな感じがします。
 橋本派の1億円献金問題、自民党の迂回献金問題。野党の証人喚問要求に対して、自民党の反撃は、民主党の献金問題。それも労組の献金問題。
 馳某に至っては、売れらた喧嘩は買うとさすが武闘派議員です。質問にして答えるコイズミ首相以下。コイズミさんは、自由党(小沢さん)の悪を握っているとうそぶく始末。野党も負けてはいられないが、何せ、質疑応答。答えることも出来ず、外野で文句をいうしかありません。
 公明党の幹部は、野党「も」金に汚いということが、国民に分かればそれでいい、とその本音を吐いています。野党「も」というところが大事なのでしょう。
 なんということはない、巨額な政治資金の流れの不透明さを解明し、本気で政治資金について是正していこうなど、という考えなどみじんもないようです。野党だってホントは困るでしょうからっていうわけです。
 ますますどっちもどっちだと国民が思ってくれればしめたもの。喉元過ぎれば何とかで、相変わらず金と政治の不適切な関係を続けていきたいのでしょう。かの橋本さんは「事実としての認識はあるが、記憶としてはそういう事実はない」(だっけ)という迷言で逃げ切っていくようです。
 この献金が、日本歯科医師会でしたか、自分たちの都合のいいような政策・運用を行って欲しいという政治要求やそれに応えたことの見返りとしての1億円。それが直接手渡されたどうかが問題になったはずです。また、自民党の迂回献金も政治資金法上で問題ではないかという事柄です。
 これらは、「政治に金がかかるのは問題だ」というような議論の上に成り立つ問題ではないはずです。国民の政治不信は、こうしたうやむやに事を済ませていこうとする政治の姿にあるのではないでしょうか。
 「言った・言わない」「やった、やらない」ということなら、水掛け論ということにもなるでしょう。それはそれで、実に不毛な議論です。しかし、最近は、自分たちの主義主張に合うか合わないかを判断の基準にして、「自分が気に入った人が言ってない、やってないと言ってるのだから、その言葉が正しい、それを攻撃するやつは自分の敵だ」というような論説が目立ちます。
 そして、自分の気に入らない人の言説に対しては、驚くほどの「レッテル張り攻撃」を徹底的にしかける、といったような幼稚な発言を多く見かけます。
 おそらく今回の国会の議論でも、コイズミさんにぞっこん惚れている人たちは、こうした野党攻撃に対して、本当に快哉とほくそ笑んでいるのでしょう。ざまあみろ!お前たちだってきれい事はいうな、同じじゃないか、反対、反対って何も出来ないくせに、とかいう具合に。でも、それっておかしなことですよね。権力にあればこそ、謙虚に批判を受け止める姿勢があるべきですし、私たちも、ただただ権力に迎合することなく、批判精神を持つことも大事ではないでしょうか。勿論、ここでいう「権力」とはコイズミさんのような立場のみを指しているわけではありません。
 いずれにしても、私たち国民は、今の国会の議論の低次元さに嫌気を持たず、持たされず、国会での証人喚問も含め、政治資金の問題を追求していかなければならないと思います。
 
コメント (1)
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