おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

最近、道路工事が盛んですね

2005-02-09 20:56:04 | 世間世界
 いつも通る道路も歩道と車道の境目付近が掘り返され、迂回させられています。これで、道が良くなっていくなら少しの不便もガマンできますが、年がら年中、掘り返されているといったい何の為なのか。
 中央分離帯の工事も立派なものを作ってはあまり経たないうちに取り壊し、また作っています。 最近は、電柱を撤去して地下に埋める工事が盛んに行われています。道路の両側に電線柱や電話線の柱が乱立している様子は景観を損ねていた感じがします。それなりにすっきりとした道の雰囲気になります。でも、何だか間延びした感じです。バカ高い照明灯が設置されていますが、高く細くて危なっかしい感じです。
 つい近所の商店街も電柱を撤去したため、アーケードもなくなり(たしかにみすぼらしいものでしたが)すっきりした代わりに、客足も遠のいた感じがします。何となく温かみのない街の風景に変わってしまったようなのです。
 それから、街路樹を植え替える工事も盛んに行われています。それも、大きな葉っぱの木がなくなって、信号機などの見通しがよい木に変わっているようです。交通事故を思うとそれもそうでしょうが。せっかく紅葉(見事な黄色の葉になったのですが)を楽しみにしていたのに、その前にすっかり刈り取って裸同然にしてしまった街路樹・並木道もあります。何だか、無粋な感じがしました。枯れ葉も始末悪いものと考えているのでしょうか。
 こんなこともあります。近所の方々が道路と歩道の狭い隙間に、花や小さな木を植えている所があります。周りには緑が少なく、通行人の目を楽しませてくれています。ところが、先日、通りかかったところ、おじさんが小笹や小さな竹を引き抜いているのです。でも、竹はなかなか根が深く容易ではありません。
 聞くと、新しい樹木を植えるので、「撤去しろ」とのお達しがあったとのこと。涼しげな小さな緑の葉、それほど場所をとるのでもなく、高く伸びているのでもなく、それなりに風情のある竹の群れでした。おじさんは、ため息をついて、後は工事の人に任せるんだと家に引っ込みました。
 その数日後、そこを通りかかった時、もう何もありませんでした。ほんの少しの土塊があっただけです。しかたがないことでしょうが、ちょっぴり寂しくなりました。
 竹の代わりに、本当に通行人の目を楽しませてくれる美しい緑が植えられだろうことに、一縷の希望を持ちました。でも、おじさんが丹誠込めて育てていた竹の群はもう戻ってきません。
 
コメント
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