おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

卒業式・入学式で日の丸に正対して礼をしないと処分?

2005-02-02 22:54:48 | 教育
 今年も卒業式シーズンがやってきた。今年の都内公立校の卒業式。東京都教育委員会は、学校の儀式における日の丸・君が代への強制をますます強めているという。式場(舞台)の正面中央に掲げられた日の丸に向かってきちんと立ち、日の丸に向かって礼をし、君が代を歌わなければならないとする指導を徹底するのだそうだ。生徒に強制するのはもちろん、教師もその行動を率先して行うように職務命令が出ることになった、と友人は嘆いていた。
 当日は、「一同礼!」の号令の下、会場の参列者は全員、一斉に壇上正面中央の日の丸に真正面に向かう。そして、「国歌斉唱」の合図とともに日の丸に真っ正面に向かって声を出す。それも、校歌や卒業式の歌と同じ音量で歌うように、教師に通達した教育委員会も出てきている。
 特にイシハラ都知事は、必ず全国が今に東京都と同じになるとして、東京の強制的なやり方を全国に波及させたいと目論んでいる。そのイシハラは、全国知事会の会長に推薦されれば、もうやる気満々。「コイズミに来いと言えるのは俺だけだ」と豪語している始末。
 埼玉も神奈川も長野の田中知事も推薦しているという。いよいよ日本全国、イシハラ路線のうち、まず日の丸・君が代強制の徹底から行われるか。
 日本「国民」の一員にもかかわらず、「日本国憲法」を一貫して侮蔑・無視し、「教育基本法」を守り育てる気持ちの全くない人物が、法の遵法(これは、「学習指導要領」に基づく指導だ)を説き、正対して立たなかったり、歌わなければ「職務命令違反」として処罰することの矛盾。
 さらに、本人を懲罰し強制的に研修を受けさせる(「もう二度としません」)だけでなく、そういうお縄付きを出した職場全員に対して校長以下、強制的な研修を行う。そこでは、みんなに迷惑をかけるんだから二度とやらないでくれと圧力を加える。
 憲法に保証された「思想・信条の自由」などと大上段にふりかぶるまでもなく、一種、異様な世界を現出させているのが、今の東京都の公立学校の現場らしい。
 物もいわず、ただただお上(校長、教育委員会、議会・・・)にひたすら従順するのみの人間作り。その教師たちに教わる生徒たち。もうそこにあるのは、学校教育なんてものではなく、監獄制度そのものだ。次第に無力感と疲労感で教師たちはますます黙ってしまう。
 中途退職する人も増える一方だ。病気になったほうが弱い、組織に不満がある人は辞めてくれ、代わりはいくらでもいるのだ、柔軟に対応できない人は去ればいい。
 強者の論理が優先される組織は、イシハラの好きなファッショ体制だ。自分はそうならない(負け犬)と思って必死に疲れ切った我が身をむち打って励む。それでも、大半の人は、努力の甲斐もなく、組織に埋没し朽ちる。まさに「一将功なって万骨枯る」の世界である。誰もが一将になれるよう幻想を与えられ、誰もが一将にはなれない。
 もしかしたら、かのイシハラもコイズミも勝利者にはなれない。では、誰が真の勝者か。それもまた誰も知らない。人間不在の組織論理の一人歩き。まるですべての人間の体は、遺伝子の仮の宿のすぎないのか。国体の仮の宿?
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