1995年、地下鉄サリン事件が起こってから来月で10年。日本、特に青少年を取り巻く状況は、ますます悪くなったような気がする。政治も経済も教育も文化もますます混沌として展望なき様相を呈している。そのなかにいる若者たち。
サリン事件から日本人は何を教訓としてきたか。麻原の教えを闇雲に信じ、カルト教団化したオーム真理教は、アレフと改称してもその教義の本質は変わらず、独特の終末思想を元に、いまだに信徒を集め、不安心理をかきたてている。
10年前、一つの団体が、それも宗教団体がサリンを製造し、それを地下鉄車内にまくという事件を引き起こすとは誰が予想していたであろう。この事件に先立って、松本サリン事件、坂本弁護士一家殺害事件等の凶悪事件が発生していたにもかかわらず、それがオーム真理教の犯罪であるとの確信までには至らず、かえってえん罪事件まで起こした。
それには、オーム真理教が宗教法人法に基づく宗教団体であったことが大きい。法によって手厚く保護され、また信教の自由という憲法上の大前提によって布教活動・宗教活動を認められていた宗教団体への立ち入り捜査、事情聴取が行えなかった、当時の状況。
オームによる犯罪の実態が明らかにされるにつれて、エリート青年たちが、特にまじめで人生や学問を考えていたであろう、青年科学者がいとも簡単に麻原の魔説にたぶらかされ、犯罪者となっていった過程に、世間は驚き、不安を感じた。
オームの犯罪についての検証はそれ以降もさまざまに行われている。しかし、あれから10年。いまだに次々と立ち上げられる、こうした似非宗教に身を投ずる青年たちがまだ多くいる。そうして、いつしかカルト化した集団に心身をゆだね、自ら破滅する道を歩む(それすら、意識せず)。 今の日本は、10年前よりもかえって閉塞した社会状況・社会不安が増大しているのではないだろうか。したがって、第2、第3のオームが生まれてくる可能性は大きい。自ら考え、行動するのではなく、マニュアル通りの生き方・与えられた生き方を、自らのより所にする青年も多く見かける。別の、新たな壮大なカルト集団の一員となる青年の出現である。
10年前の1月には、阪神淡路大震災も起こった。あれから10年。一瞬のうちに崩壊した、神戸市内の昔ながらの地域社会、人と人とのつながりは、もうかつてのように戻ることはない。それでも、装いを新たにした町並みの中で、必死に新たな人間のつながりを築くための営みも開始されている。
人が人の心を取り戻し、人と人との関わりの中で生活していく日々の営為を大事にすることから再建される新たな地域社会、人間関係。オーム的生き方から青年を奪還する道は、おそらくこうした地道な実践の中にあるのではないだろうか。
サリン事件から日本人は何を教訓としてきたか。麻原の教えを闇雲に信じ、カルト教団化したオーム真理教は、アレフと改称してもその教義の本質は変わらず、独特の終末思想を元に、いまだに信徒を集め、不安心理をかきたてている。
10年前、一つの団体が、それも宗教団体がサリンを製造し、それを地下鉄車内にまくという事件を引き起こすとは誰が予想していたであろう。この事件に先立って、松本サリン事件、坂本弁護士一家殺害事件等の凶悪事件が発生していたにもかかわらず、それがオーム真理教の犯罪であるとの確信までには至らず、かえってえん罪事件まで起こした。
それには、オーム真理教が宗教法人法に基づく宗教団体であったことが大きい。法によって手厚く保護され、また信教の自由という憲法上の大前提によって布教活動・宗教活動を認められていた宗教団体への立ち入り捜査、事情聴取が行えなかった、当時の状況。
オームによる犯罪の実態が明らかにされるにつれて、エリート青年たちが、特にまじめで人生や学問を考えていたであろう、青年科学者がいとも簡単に麻原の魔説にたぶらかされ、犯罪者となっていった過程に、世間は驚き、不安を感じた。
オームの犯罪についての検証はそれ以降もさまざまに行われている。しかし、あれから10年。いまだに次々と立ち上げられる、こうした似非宗教に身を投ずる青年たちがまだ多くいる。そうして、いつしかカルト化した集団に心身をゆだね、自ら破滅する道を歩む(それすら、意識せず)。 今の日本は、10年前よりもかえって閉塞した社会状況・社会不安が増大しているのではないだろうか。したがって、第2、第3のオームが生まれてくる可能性は大きい。自ら考え、行動するのではなく、マニュアル通りの生き方・与えられた生き方を、自らのより所にする青年も多く見かける。別の、新たな壮大なカルト集団の一員となる青年の出現である。
10年前の1月には、阪神淡路大震災も起こった。あれから10年。一瞬のうちに崩壊した、神戸市内の昔ながらの地域社会、人と人とのつながりは、もうかつてのように戻ることはない。それでも、装いを新たにした町並みの中で、必死に新たな人間のつながりを築くための営みも開始されている。
人が人の心を取り戻し、人と人との関わりの中で生活していく日々の営為を大事にすることから再建される新たな地域社会、人間関係。オーム的生き方から青年を奪還する道は、おそらくこうした地道な実践の中にあるのではないだろうか。