おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

またまた自殺者が

2005-02-20 12:08:26 | 世間世界
 コクドの総務部次長に続き、今度は西武鉄道の前社長が自殺。「たまたま社長になっただけなのに」(西武グループ元幹部の話し・朝日新聞2/20朝刊)
 東京地検特捜部による任意の事情聴取が10日間・一日5時間程度行われて、「連日の聴取で疲れ切っているようだった。かなり厳しい取り調べを受けているようだった。」(西武鉄道の関係者の話し・同)
 堤前会長をめぐる一連の株保有比率の虚偽記載問題。ついに、二人目の犠牲者が出た。
 今までも政界を巡る疑獄事件、収賄や汚職事件のたびに、その核心を握るような人物やその周囲の人間が自殺する。会社ぐるみの犯罪・不正行為などの場合にもこうした自殺者が出る。今回の場合もまさに当てはまる。 
 多くの場合、「厳しい取り調べを受けて疲れ切っていた」という感想が自殺者側の関係者から語られる。それに対して、地検側は、「捜査側からプレッシャーがかかることはなかった。事件解明への影響は小さい」とのコメントが発表される。実は、その死んだ人間がキーパーソンの場合も多い。関係者の間では、これで闇が深まるということがささやかれる。だから、結果は、ほぼその感想通り、多くの場合、真相が究明されぬまま、まるでトカゲのしっぽ切りのように、少しばかりの逮捕者を出してうやむやのうちに事件は終結する。
 犠牲になるのは、いつもナンバー3かナンバー4。事件の核心を本当に握っている人は死なないし、逮捕を免れる。「会社」人間ほど逮捕される。あるいは、自ら死を選択せざるをえなくなる。
 「悪いやつほどよく眠る」という映画(小説?)があったが、本当にそんな気がする。そして、本当の当事者が、「私が頼りにしていた、惜しい人を亡くした。心からお悔やみ申し上げる」などと発言するのも、常套手段。それらの発言は、地検の厳しい取り調べに対する抗議・反論の意味も含んでいるのか。こうして、多くの場合、事件は終わりを告げるのだ。
 自殺するという行為には、いろいろなメッセージが込められているという、死んでいく者から生者への。恨み・辛み・憎しみ・感謝・責任・・・・・。たとえ、それが発作的な自殺であっても。
 堤さん、どう思いますか、あなたの腹心だった部下の、あなたに請われて、運輸省の上級幹部からあなたの会社に移った、この方の死を。
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