最近、知人からよく聞く話は、インターネットの書き込みの内容。何チャンネルだか何掲示板だかしらないが、こんな書き込みがあった、いったいどういうことだ、どうしたらいい・・・。
たんなる他人様(見知らぬ人)のうわさ話や暴露記事は、直接関係ない者にはへえ、そうなのかで済む場合もある(だからといって書き込んでもいいとはけっして思わないが)。
が、特に、職場の対外的な評価や職場の人間に対する書き込みには、知らぬ存ぜぬでは済まないことが多い。インターネットからの情報収集に興味本位な連中は、熱心に閲覧し、翌日にはわざわざこんなことが載っていたと、いいこと・悪いこと(ほとんどが悪口か誤解に基づく風評だが)をわざわざコピーして、これ見よがしに職場の机上に置いていく。見れば、大半が匿名の或いは偽名の落書き。個人的・感情的な恨み、つらみ・皮肉が書かれてある。
インターネットが普及し始めたころ、ネチケットなる言葉がはやったが、今や、もうほとんど無法状態なのではないか。誹謗・中傷はもとより、個人のプライバシーまで暴露的に掲示されるらしい。もしそうなったら、それに一喜一憂するどころではなく、ときには対応策を考えなければならなくなることにも。ますます無駄な労力を費やす。
最近、「荒し」というものにあって、知人が自分たちで運営していた「掲示板」を廃止してしまった。サヨクでもなければ、政治的な話題も皆無、ただただお互い同士、近況報告をやりとりしていた、実にたわいのない掲示板だった。それが、管理者になりすましてさまざまな書き込みがなされ、そのうち、偽の「飲み会」の予定などが掲示されて、見た人間が惑わされた。それに対して、そのサイトの管理者が警告を発したところ、それがよほど癪に障ったのか一気に荒らされて収拾がつかなくなって、まったく更新がなされぬまま、掲示板の運営をやめてしまった。
「ブログ」でもそういうことが最近起こっているらしい。さまざまな意見の交流の場からお互いの近況報告まで、さらには政治・経済・教育などの社会的な出来事に対する様々な言論を繰り広げる、ささやかな、名もなき人々の声の場である「ブログ」。このことを大切にしながら、お互いの意見を尊重する雰囲気のもとで、実りあるネット交流を続けたいものだ。
たんなる他人様(見知らぬ人)のうわさ話や暴露記事は、直接関係ない者にはへえ、そうなのかで済む場合もある(だからといって書き込んでもいいとはけっして思わないが)。
が、特に、職場の対外的な評価や職場の人間に対する書き込みには、知らぬ存ぜぬでは済まないことが多い。インターネットからの情報収集に興味本位な連中は、熱心に閲覧し、翌日にはわざわざこんなことが載っていたと、いいこと・悪いこと(ほとんどが悪口か誤解に基づく風評だが)をわざわざコピーして、これ見よがしに職場の机上に置いていく。見れば、大半が匿名の或いは偽名の落書き。個人的・感情的な恨み、つらみ・皮肉が書かれてある。
インターネットが普及し始めたころ、ネチケットなる言葉がはやったが、今や、もうほとんど無法状態なのではないか。誹謗・中傷はもとより、個人のプライバシーまで暴露的に掲示されるらしい。もしそうなったら、それに一喜一憂するどころではなく、ときには対応策を考えなければならなくなることにも。ますます無駄な労力を費やす。
最近、「荒し」というものにあって、知人が自分たちで運営していた「掲示板」を廃止してしまった。サヨクでもなければ、政治的な話題も皆無、ただただお互い同士、近況報告をやりとりしていた、実にたわいのない掲示板だった。それが、管理者になりすましてさまざまな書き込みがなされ、そのうち、偽の「飲み会」の予定などが掲示されて、見た人間が惑わされた。それに対して、そのサイトの管理者が警告を発したところ、それがよほど癪に障ったのか一気に荒らされて収拾がつかなくなって、まったく更新がなされぬまま、掲示板の運営をやめてしまった。
「ブログ」でもそういうことが最近起こっているらしい。さまざまな意見の交流の場からお互いの近況報告まで、さらには政治・経済・教育などの社会的な出来事に対する様々な言論を繰り広げる、ささやかな、名もなき人々の声の場である「ブログ」。このことを大切にしながら、お互いの意見を尊重する雰囲気のもとで、実りあるネット交流を続けたいものだ。