おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書74「リンダリンダ」(鴻上尚史)白水社

2010-01-05 21:07:35 | つぶやき
 1997(平成9)年 4月、多くの漁業関係者、地元住民の反対を押し切り、諫早湾潮受け堤防の水門が閉ざされた。TV映像によって、ギロチンのように次々と扉が落下していくようすが視聴者にショックを与えた。その後、国営諌早湾干拓事業が開始され、堤防道路また農地改良などほぼ完成している。
 この事業の目的は「調整池及びそこを水源とする灌漑用水が確保された大規模で平坦な優良農地を造成し、生産性の高い農業を実現するとともに、背後低平地において高潮・洪水・常時排水不良に対する防災機能を強化すること」であった。
 しかし、この干拓事業は、その翌年、赤潮の発生によるノリの色落ちなど、有明海異変(1.水質浄化機能の喪失と負荷の増大、2.流動(潮位、流速,流向)の変化、3.赤潮の増加、4.貧酸素水塊の発生、5.タイラギ、アサリ等の減少、成育不良および稚貝の斃死、6.諫早湾の底質の変化(細粒子化、浮泥の堆積)と底生生物の減少)等、有明海の自然環境に急速で激しい悪影響を与え、特産品のノリを始めとする漁獲高の減少をはじめ、水産業振興の大きな妨げにもなっていった。
 その後、地元漁協からの赤潮と干拓の因果関係が判明するまでの工事の中断の申し入れや武部農水相(当時)が「全面見直し」方針を表明する。
 しかし、2002(平成14)年、漁民の反対を押し切って工事が再開された。
 10月、有明プロジェクト研究チーム(7大学と2企業80人)、「有明海異変」原因究明の中間発表(諫干事業により「生態系への悪影響が認められ、干拓事業の即時凍結を求めざるをえない」)。
 11月「よみがえれ!有明海訴訟」原告団(416人)が「諫早湾干拓事業の前面堤防工事差し止めを求める」第一次提訴を佐賀地裁におこなう。
 2004(平成16)年8月大規模な赤潮発生により、養殖アサリが壊滅的被害。工事差し止めの仮処分申請に対し、佐賀地裁は26日「一審判決にいたるまで、工事を続行してはならない」と命じる決定を出した。
 2005(平成17)年佐賀地裁工事差し止めの決定。
 ちょうどその頃に、劇作者・鴻上尚史は、「義憤」から何かをせねばならない、また何かが出来るはずだというメッセージをこの作品に託した。まさに「檄」である。
 だからといって、異常に高ぶった、過激な政治的メッセージがあふれているというわけではない。ザ・ブルーハーツの音楽作品(鴻上が上演する場合にだけ許可されるという)をふんだんに取り入れ、狂言回しとして生かしながらその歌の再解釈を行いながら、彼の問題意識という明確なメッセージを観客に圧倒的な迫力で伝えてきる。
 この作品を書き、上演した当時から現在、もう早8年近くが経過する。
 現在も、その被害状況の調査のために堤防を開門するという方針すら、長崎県と佐賀県では大きな意見の違いがあり、どちらも地元利益のぶつかり合いとなって、いまだに調査する等行われず、既成事実だけが先行している。
 そして、魚介類の減少など被害など、開門調査を望む、地元漁民達の切実な願いは次第に国民の目から遠ざけられつつあり、最近の両県知事の話し合いも物別れに終わった。
 一方で、この干拓事業は、これまでの公共事業のあり方、まさに、今話題の八ッ場ダムしかり。「走り出したら止まらない公共事業」そのもの、といえる。
 国は「事業を計画し着手するにあたって、最新の社会経済情勢や環境問題等に配慮し、公正で適確な情報に基づいて、厳正な評価を実施すべきである」にもかかわらずそれを十分に行わないことのつけ。
 ある時期にいったん実施決定した公共事業であれば、その後の社会経済条件の変化等を一切無視し、批判が強まると中間段階で事業計画や目的を変更し、それに伴う大幅な工期の延長と費用の増大を平然と行う。気がつけば、後戻りができないような、税金の莫大な投入とそれにたかる政・官・財の癒着構造・・・。地元民だけが国策という大義名分のために、右往左往させられる。そこにどうやって打って出るか(普天間も同様)。
 改めて、問題意識の持続とこだわりが大事であることを思い知らされる。
コメント
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