おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東京球場跡。芭蕉「奥の細道」旅立ち。千住大橋。

2012-08-07 22:26:34 | 歴史・痕跡
 今回は、京成千住大橋駅周辺の散策。都内のプロ野球球場の跡。洲崎球場、三鷹にあった武蔵野グリーンパークスタジアム、それぞれ正式名称や愛称がありますが、「東京球場(東京スタジアム)」跡を訪ねました。約40年ぶり。当時はすぐ北側にあった「荒川工業高校」には、場外ホームランが飛び込んできたこともあった、とか。1970年代、ここで日本シリーズが行われ(ここはロッテの本拠地でした)、このときの生徒諸君の興奮は、授業が中断したほどだった、と。                          
 久々の訪問。すっかり変わっていました。学校もかつてのグランドが校舎に、道路をはさんで北側の水道局の営業所も公団住宅の一角に。
 球場は、まったく跡形もなく、球場が廃止になった跡は広大な駐車場があったはずですがそれもなく、草野球の球場が広がっていました。南には総合スポーツ施設。荒工と球場を仕切っていた道路だけは、そのまま残されていました。
東京球場跡。
北から南を望む。右奥が総合スポーツ施設。北島康介が泳いだというプールなどがあります。
南から北を望む。左奥が「荒工」。ずいぶん立派で素敵な校舎に変わりました。もし東京球場があったら、ホームランボールは直接校舎の窓硝子を割っていたにちがいない。


1970年代のようす。「東京球場」があった頃。


2010年代のようす。野球場や総合スポーツ施設などに変化。

 千住大橋に移動します。
 千住大橋は、芭蕉が奥の細道に旅立ったところ。深川から隅田川を上り、ここで陸路となり日光街道を北上していきます。それにちなんだ句碑などが建立されています。
千住大橋南詰にあるモニュメント。
千住大橋北詰にあるモニュメント。芭蕉の矢立の句、「行(く)春や鳥啼き魚の目は泪」が彫られている。
テラスにある壁絵。地元の心意気を感じる趣向。
「・・・空館」というネーミングが面白い。
「橋番付」。両国橋に続いて「千住大橋」が堂々横綱の地位?
鉄骨造りの強靱な曲線が見事な「千住大橋」。
 千住大橋は日光街道の出立口。隅田川の橋としてはここが最初の橋。当時は「大橋」とだけ称され、木橋。後に両国に「大橋」が架けられ(現在の両国橋)、「千住の大橋」と呼ばれるようになった。現在の鉄骨造りの橋は、1927(昭和2)年、関東大震災復興計画で建造された。ちなみに、隅田川に架橋されている橋で、「はし」はこの「千住大橋」と「新大橋」の二つ。あとの橋は、「ばし」とにごる。
下流を望む。
対岸を望む。

 千住大橋の地は、まだまだ見所満載。中央奥に続く道が旧日光街道。右が足立市場。「やっちゃば」跡を巡る散策は続編で。
 そして、都内の球場跡は上井草にある、とのこと。機会があったら行ってみよう。
コメント (1)
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