中央卸売市場・足立市場への引き込み線跡。JR北千住駅の南方からの引き込み線が廃止されたあと、足立区が整備して緑道にしたものです。昭和38年の航空写真にも写っています。
現在の足立市場の概要(HPによる)
足立市場は都内で唯一の水産物専門の中央卸売市場です。松尾芭蕉「奥の細道」の矢立初めで有名な千住大橋のすぐ近く、隅田川と国道4号線(日光街道)に面しており、交通アクセスの良い便利な場所にあります。
その立地を生かし、城北地域の拠点市場として、都内城北地区や千葉北部、埼玉南部などへ水産物を供給しています。
敷地面積は、約四万二千平方メートルと中央卸売市場としては小規模ですが、都民の台所として日々安全な水産物の安定供給に努めております。
◆足立市場の歴史
足立市場は、川魚・青物・米穀を中心に天正年間に始まったといわれております。その後、奥州・常陸に通じる街道の要衝の地として発達し、神田・駒込と並ぶ江戸3大青物市場の一つに数えられ幕府の御用市場となりました。
東京都は、昭和17年に現在地(千住橋戸町)を買収、施設を整備し、同20年2月11日に千住河原町にあった青果市場荷受組合と西新井村本木町にあった東京北魚市場を収容した総合市場として中央卸売市場足立市場を発足させました。しかし、昭和20年4月13日、開場後わずか62日目に戦災にあい、施設が全焼したために木造での営業を余儀なくされました。
戦後は、市場整備のための用地買収が行われ、昭和43年から新しい施設の建設が始まりましたが、取扱量の増加に伴って施設の狭隘化が著しくなったため、青果部門を昭和54年9月17日に足立区入谷(北足立市場)に分離・移転させ、足立市場は水産物の市場として改めて発足し、現在に至っています。
◆足立市場の特徴
足立市場で取り扱っている水産物は、まぐろ類が約8%、鮮魚が約30%、残りの62%は冷凍品や塩干加工品などです。まぐろ類は早朝5時半からせりを行っており、足立市場の仲卸業者だけでなく近隣の地方卸売市場の仲卸業者なども売買参加者としてせりに参加しています。鮮魚は、あじ、かつお、さば、さんま、するめいかなどの大衆魚を中心に取り扱っています。冷凍品や塩干加工品も多種多様な品物を扱っています。 また、小さい単位での卸売を行う店もあるなど、買出人が買いやすい市場です。
足立市場の北東。道路をはさんで「緑道」が始まり、北に向かって進みます。
古びた鉄柵。鉄道敷地の境界線に用いられます。その当時のままなのか断続的に続きます。
町工場や家の裏側に沿って進みます。単線ですが、途中複線になっていた箇所もあったと思われます。
線路の土台のコンクリートが残っています。このあたりは複線?
北側の駐車場から撮りました。正面奥がその土台。左側が緑道。
草むらの中に鉄道標識が横に倒されたまま残されていました。鉄道標識にはうといので、何なのか? 四角い柱、斜めに切られた部分に「4」という数字が記されています。
「墨堤通り」の歩道橋の一部に複線だった頃の橋桁の跡?
歩道橋の脇にある旧家の冠木門。
左がJRの線路、右は住宅の塀。現在の線路に沿って細く長く続きます。
この先で、合流していたと思われます。
JRの高架線の脇には線路に沿ってしばらく細長い家屋が縦に並んで建っていて、右側の建物とは向きが異なっています。もしかしたらかつての線路跡に建てられた建物。
ところで、「やっちゃば(場)」とは「青果市場」のこと。そのせりのかけ声の「ヤッチャ~」から、ヤッチャバの名が起こったといわれています。
現在の足立市場は「水産物専門の市場」となっています。元々は旧日光街道沿いに立ち並んだ町並みが、「やっちゃば」だったところのようです。京成千住大橋駅の東北側の旧日光街道沿いにに広がっていました。次回はその探索編。
現在の足立市場の概要(HPによる)
足立市場は都内で唯一の水産物専門の中央卸売市場です。松尾芭蕉「奥の細道」の矢立初めで有名な千住大橋のすぐ近く、隅田川と国道4号線(日光街道)に面しており、交通アクセスの良い便利な場所にあります。
その立地を生かし、城北地域の拠点市場として、都内城北地区や千葉北部、埼玉南部などへ水産物を供給しています。
敷地面積は、約四万二千平方メートルと中央卸売市場としては小規模ですが、都民の台所として日々安全な水産物の安定供給に努めております。
◆足立市場の歴史
足立市場は、川魚・青物・米穀を中心に天正年間に始まったといわれております。その後、奥州・常陸に通じる街道の要衝の地として発達し、神田・駒込と並ぶ江戸3大青物市場の一つに数えられ幕府の御用市場となりました。
東京都は、昭和17年に現在地(千住橋戸町)を買収、施設を整備し、同20年2月11日に千住河原町にあった青果市場荷受組合と西新井村本木町にあった東京北魚市場を収容した総合市場として中央卸売市場足立市場を発足させました。しかし、昭和20年4月13日、開場後わずか62日目に戦災にあい、施設が全焼したために木造での営業を余儀なくされました。
戦後は、市場整備のための用地買収が行われ、昭和43年から新しい施設の建設が始まりましたが、取扱量の増加に伴って施設の狭隘化が著しくなったため、青果部門を昭和54年9月17日に足立区入谷(北足立市場)に分離・移転させ、足立市場は水産物の市場として改めて発足し、現在に至っています。
◆足立市場の特徴
足立市場で取り扱っている水産物は、まぐろ類が約8%、鮮魚が約30%、残りの62%は冷凍品や塩干加工品などです。まぐろ類は早朝5時半からせりを行っており、足立市場の仲卸業者だけでなく近隣の地方卸売市場の仲卸業者なども売買参加者としてせりに参加しています。鮮魚は、あじ、かつお、さば、さんま、するめいかなどの大衆魚を中心に取り扱っています。冷凍品や塩干加工品も多種多様な品物を扱っています。 また、小さい単位での卸売を行う店もあるなど、買出人が買いやすい市場です。
足立市場の北東。道路をはさんで「緑道」が始まり、北に向かって進みます。
古びた鉄柵。鉄道敷地の境界線に用いられます。その当時のままなのか断続的に続きます。
町工場や家の裏側に沿って進みます。単線ですが、途中複線になっていた箇所もあったと思われます。
線路の土台のコンクリートが残っています。このあたりは複線?
北側の駐車場から撮りました。正面奥がその土台。左側が緑道。
草むらの中に鉄道標識が横に倒されたまま残されていました。鉄道標識にはうといので、何なのか? 四角い柱、斜めに切られた部分に「4」という数字が記されています。
「墨堤通り」の歩道橋の一部に複線だった頃の橋桁の跡?
歩道橋の脇にある旧家の冠木門。
左がJRの線路、右は住宅の塀。現在の線路に沿って細く長く続きます。
この先で、合流していたと思われます。
JRの高架線の脇には線路に沿ってしばらく細長い家屋が縦に並んで建っていて、右側の建物とは向きが異なっています。もしかしたらかつての線路跡に建てられた建物。
ところで、「やっちゃば(場)」とは「青果市場」のこと。そのせりのかけ声の「ヤッチャ~」から、ヤッチャバの名が起こったといわれています。
現在の足立市場は「水産物専門の市場」となっています。元々は旧日光街道沿いに立ち並んだ町並みが、「やっちゃば」だったところのようです。京成千住大橋駅の東北側の旧日光街道沿いにに広がっていました。次回はその探索編。