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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

旧千住の宿

2012-08-15 22:04:21 | 歴史・痕跡
 旧日光街道。北上すると次第に北千住の賑やかな商店街になります。北千住駅の近く、現在の日光街道とにはさまれた地域。そこが旧千住の宿場の中心。今回は、そのあたりの散策(折り畳み自転車に乗って)。
 千住大橋「やっちゃ場」から広い「墨堤通り」を渡ると、千住仲町。そこから北へ向かいます。ここから荒川の土手までほぼ直線で、歩行距離約1.4㎞。 
 千住は、江戸時代の頃から日光街道・奥州街道の第1宿として整備され発展してきました。現足立区北千住(ただし、北千住という町名はない)。「北」を略して「千住」とも。千住大橋の南、荒川区南千住については「南」を略しません。ここが、「大江戸八百八町」の北限であったようです。
 江戸から一つ目の宿場であり、江戸四宿のひとつとしても数えられました。南北千住を結ぶ千住大橋の北岸を北組・中組(掃部宿)の二つに分け、橋の南に南組(小塚原・中村)を設けこれら3組を合して千住宿と称しました。奥州街道(日光街道とは宇都宮で分岐。)、水戸街道(葛飾区新宿で佐倉街道を分岐)の始点として、日光・東北方面への旅人で賑わいました。

正面奥が旧「やっちゃ場」通り。
商店もまばらな通り(旧日光街道)。
川魚専門の問屋さん。
賑やかな商店街の一角にある「高札場(の復元)」。
案内板。せっかくの色彩の絵がすっかり薄れてしまってまったく読み取れません。修復は出来ないものか。
人通りの激しい商店街を抜けると、人影もまばら。
このあたりには昔ながらの家屋がちらほら残っています。重厚な建物です。横山家。
今も続く「千住絵馬屋」吉田家。
ところどころに残る街道沿いの造りの家。
東・水戸佐倉街道との分岐標。地図で見ると、葛飾区小菅にある「水戸橋」に通じる道になっています。
二つの新しいビルをはさんで昔ながらの建物。
外装は新しくなっていますが、家の構造は昔のまま。
骨接ぎで名高い「名倉本院」。
奥に昔のままの建物が残っています。
荒川土手近くに設置されていた道標。「北 下妻道。北西 日光道中。」
(番外)ワシントンから里帰りした桜「五色桜」の並木。線路脇の公園。
ガードをくぐった墨堤通りの脇。何と「掃部(かもん)」の名を付した施設があります。このあたりが「掃部宿」だったのか。慶長(1596-1615)の始めに新田の開発を行い、「掃部堤」ー隅田川(荒川)の堤ーを構築した石出掃部介吉胤(いしでかもんのすけよしたね)の名にちなんで掃部宿と呼ばれている、とか。「掃部宿排水場」。
 今度は南千住(小原)付近を散策したいと思います。
 
コメント
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