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「毛長川南岸の自然堤防上には、擂鉢塚古墳、甲塚古墳、白旗塚古墳など七基からなる白旗塚古墳群が形成されていたとされますが、現存するのは白旗塚古墳のみです。・・・擂鉢塚古墳から出土したとされる馬形、円筒埴輪和から築造は6世紀と推定されます。白旗塚古墳は直径12㍍高さ約2.5㍍の円墳ですが、未調査のため主体部の構造や古墳の年代わかっていません。
白旗塚という名の由来は、源頼義、義家父子が奥州安倍氏の反乱(前九年の役)の鎮圧にむかう途上に、この地に白旗を立てたためと言われています。平成23年3月建設 東京都教育委員会」
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足立区入谷には、「白幡塚古墳」(「入谷古墳」)があります。「しらはた」つながりで出かけてみようと思いました。まずは、その紹介。
入谷古墳跡(入谷氷川神社)
入谷古墳については、文政五年(一八二二)徳川幕府が各地の村などを調査して作成した「新編武蔵風土記」入谷村の記録に「八幡社 塚上ニアリ。土人白幡八幡ト称ス。古岩槻攻ノ時、当初ニ幡ヲ立シヨリ、カク称セリト云」とある。この地域は東京東部低地(足立区・葛飾区・江戸川区・北区・荒川区・墨田区)の北辺にあたり、足立区内でも最も早い時代(四世紀頃)に古代の人々の集団生活がはじまった場所の一つである。
毛長川沿岸には舎人遺跡・伊興遺跡・花畑遺跡などの多くの古墳時代の遺跡が確認されており、これらの遺跡とともに多数の古墳が過去に存在したことが知られている。昭和四十九年、当地の区画整理事業に当り、予定ではこの塚の半分以上が削られるところであったが、地元住民の熱意によりこの塚が保存されることになった。入谷氷川神社氏子総代が中心となり、計画を変更し保存に協力したのである。
現在、区内に残されている古墳は東伊興の白幡(注:旗の間違い)塚古墳一基のみとなってしまっている。古墳の可能性の高いこの塚が保存されることは、きわめて有意義なことである。(足立区教育委員会)