またしても「朝日」の記事。2月13日朝刊。「脱『ゆとり』どう見る」という見出しでかつてゆとり路線の舵取りをした当時の文部行政に携わった2人と現役文部官僚に聞いた記事が掲載されている。一読して本当に慨嘆せずにはいられなかった。
有馬朗人氏(当時の文相)
(ゆとり教育を進めた当時の発言)「批判覚悟で授業減。学力低下心配ない。」
(今回の発言)「昨年末公表された国際的な学力調査は出題傾向が変わったので、学力低下を示 すデータとはいえない。」「学力下位層の子どもは増えているが、『ゆとり教育』の方向は間違 っていない」「全国学力テストの実施は賛成だ。3年ごとにデータをとり、その結果で学習指導 要領を手直しするようにしたほうがよい。」「文科省には風評で一喜一憂するなといいたい。」
北川正恭氏(当時の文部官僚)
(今回の発言)「学校五日制の導入に奔走した。親子関係・子と地域の関係をもっと密接にしよ うとする挑戦だった。残念なことに、五日制になっても、思ったほど家庭や地域社会は変わらな かった。」「かつての詰め込み教育に戻っていいのか。」「週6日制に戻しても学力は上がるの か。」「学校は子どもに対して出来ることと出来ないことを家庭に明言したらいい。」
銭谷眞美氏(現文科省官僚)
(今回の発言)「自ら学ぶ力をつけるには厳選された基礎的な知識を徹底して教えることが大事 だ。必ずしもそうなっていないという指摘もある。もっと丁寧な説明が必要だったのでは。」 「指導要領の見直しでかつての詰め込みや画一的な教育に戻ることはない。」
町村信孝氏
(00年12月、文相就任時のインタビュー)「さまつな知識の詰め込みはやめようというのが3割 削減の意味だ。細かいことを覚えていないという意味の学力低下は心配するには及ばない。」
まるで、居直りの官僚答弁の典型だ。自分たちで決めた方針は決して間違ってはいなかった、との一点に執着している。曰わく、「理念はよかったが、社会がそれについていけなかったのだ。」
そこには、成績下位層の増加は、家庭での取り組みの問題だ。学校としては出来る限りのことをしている。後は、家庭の教育環境の悪化のせいだといわんばかりだ。塾に行かせない、行かせられない親が悪いかの如き発言に感じるのは、小生だけだろうか。
ましてや、3年ごとの全国学力テストによって学習指導要領を変えればいいにいたっては、何を無責任なことをおっしゃるのだと思う。3年にいっぺんの学力テストはどういう影響を学校現場に与えるのか、全く考えてもいない。かつての学テがどのような弊害を学校現場に生んだかについての反省もない。
また、3年ごとの見直しだって? いったいその学習指導要領が3年ごとに改訂されたらこれまた学校はどうなるのか、そのたびに教える内容が変わる、教科書も変わる、教科の種類も変わる、これで落ち着いた学校・教育環境が維持されるだろうか。ますます混乱するのが目に見えている。
また土曜日午後のクラブ活動は社会や地域のもとで行われるべきだ、教師が、学校が関わるべきものではないとまで言っていた。それが、その理念に社会がついていけなかっただけだという。オタク、そこまでよく言うよって思う。だいたい今でも、多くの教師は土曜日午後にほとんど無報酬でクラブ指導している、と聞いているのだ。
あげくのはてに「『ゆとり』が『ゆるみ』のようにとられたきらいがある」(河村文科相 04年1月)という程度でお茶を濁している。
そもそも「学習指導要領」なるものは、公立学校に適用されるのであって、私立学校にはその適用が及ばないという代物。結局、公立学校の教師や子どもたちをがんじがらめにしているのだ。これでは、ますます私立が有利に(なぜならその学校の理念・理想に基づいて教育活動が行えるのだ)、公立はますます淘汰されていく結果となる。メンツや遠慮ではなく、過ちはすぐ改めるべきだ。国家百年の計がなさ過ぎる。
有馬朗人氏(当時の文相)
(ゆとり教育を進めた当時の発言)「批判覚悟で授業減。学力低下心配ない。」
(今回の発言)「昨年末公表された国際的な学力調査は出題傾向が変わったので、学力低下を示 すデータとはいえない。」「学力下位層の子どもは増えているが、『ゆとり教育』の方向は間違 っていない」「全国学力テストの実施は賛成だ。3年ごとにデータをとり、その結果で学習指導 要領を手直しするようにしたほうがよい。」「文科省には風評で一喜一憂するなといいたい。」
北川正恭氏(当時の文部官僚)
(今回の発言)「学校五日制の導入に奔走した。親子関係・子と地域の関係をもっと密接にしよ うとする挑戦だった。残念なことに、五日制になっても、思ったほど家庭や地域社会は変わらな かった。」「かつての詰め込み教育に戻っていいのか。」「週6日制に戻しても学力は上がるの か。」「学校は子どもに対して出来ることと出来ないことを家庭に明言したらいい。」
銭谷眞美氏(現文科省官僚)
(今回の発言)「自ら学ぶ力をつけるには厳選された基礎的な知識を徹底して教えることが大事 だ。必ずしもそうなっていないという指摘もある。もっと丁寧な説明が必要だったのでは。」 「指導要領の見直しでかつての詰め込みや画一的な教育に戻ることはない。」
町村信孝氏
(00年12月、文相就任時のインタビュー)「さまつな知識の詰め込みはやめようというのが3割 削減の意味だ。細かいことを覚えていないという意味の学力低下は心配するには及ばない。」
まるで、居直りの官僚答弁の典型だ。自分たちで決めた方針は決して間違ってはいなかった、との一点に執着している。曰わく、「理念はよかったが、社会がそれについていけなかったのだ。」
そこには、成績下位層の増加は、家庭での取り組みの問題だ。学校としては出来る限りのことをしている。後は、家庭の教育環境の悪化のせいだといわんばかりだ。塾に行かせない、行かせられない親が悪いかの如き発言に感じるのは、小生だけだろうか。
ましてや、3年ごとの全国学力テストによって学習指導要領を変えればいいにいたっては、何を無責任なことをおっしゃるのだと思う。3年にいっぺんの学力テストはどういう影響を学校現場に与えるのか、全く考えてもいない。かつての学テがどのような弊害を学校現場に生んだかについての反省もない。
また、3年ごとの見直しだって? いったいその学習指導要領が3年ごとに改訂されたらこれまた学校はどうなるのか、そのたびに教える内容が変わる、教科書も変わる、教科の種類も変わる、これで落ち着いた学校・教育環境が維持されるだろうか。ますます混乱するのが目に見えている。
また土曜日午後のクラブ活動は社会や地域のもとで行われるべきだ、教師が、学校が関わるべきものではないとまで言っていた。それが、その理念に社会がついていけなかっただけだという。オタク、そこまでよく言うよって思う。だいたい今でも、多くの教師は土曜日午後にほとんど無報酬でクラブ指導している、と聞いているのだ。
あげくのはてに「『ゆとり』が『ゆるみ』のようにとられたきらいがある」(河村文科相 04年1月)という程度でお茶を濁している。
そもそも「学習指導要領」なるものは、公立学校に適用されるのであって、私立学校にはその適用が及ばないという代物。結局、公立学校の教師や子どもたちをがんじがらめにしているのだ。これでは、ますます私立が有利に(なぜならその学校の理念・理想に基づいて教育活動が行えるのだ)、公立はますます淘汰されていく結果となる。メンツや遠慮ではなく、過ちはすぐ改めるべきだ。国家百年の計がなさ過ぎる。