おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「ゆとり」が「ゆるみ」のようにとられた

2005-02-13 23:45:31 | 教育
 またしても「朝日」の記事。2月13日朝刊。「脱『ゆとり』どう見る」という見出しでかつてゆとり路線の舵取りをした当時の文部行政に携わった2人と現役文部官僚に聞いた記事が掲載されている。一読して本当に慨嘆せずにはいられなかった。
有馬朗人氏(当時の文相)
 (ゆとり教育を進めた当時の発言)「批判覚悟で授業減。学力低下心配ない。」
 (今回の発言)「昨年末公表された国際的な学力調査は出題傾向が変わったので、学力低下を示 すデータとはいえない。」「学力下位層の子どもは増えているが、『ゆとり教育』の方向は間違 っていない」「全国学力テストの実施は賛成だ。3年ごとにデータをとり、その結果で学習指導 要領を手直しするようにしたほうがよい。」「文科省には風評で一喜一憂するなといいたい。」
北川正恭氏(当時の文部官僚)
 (今回の発言)「学校五日制の導入に奔走した。親子関係・子と地域の関係をもっと密接にしよ うとする挑戦だった。残念なことに、五日制になっても、思ったほど家庭や地域社会は変わらな かった。」「かつての詰め込み教育に戻っていいのか。」「週6日制に戻しても学力は上がるの か。」「学校は子どもに対して出来ることと出来ないことを家庭に明言したらいい。」
銭谷眞美氏(現文科省官僚)
 (今回の発言)「自ら学ぶ力をつけるには厳選された基礎的な知識を徹底して教えることが大事 だ。必ずしもそうなっていないという指摘もある。もっと丁寧な説明が必要だったのでは。」  「指導要領の見直しでかつての詰め込みや画一的な教育に戻ることはない。」
町村信孝氏
 (00年12月、文相就任時のインタビュー)「さまつな知識の詰め込みはやめようというのが3割 削減の意味だ。細かいことを覚えていないという意味の学力低下は心配するには及ばない。」
 まるで、居直りの官僚答弁の典型だ。自分たちで決めた方針は決して間違ってはいなかった、との一点に執着している。曰わく、「理念はよかったが、社会がそれについていけなかったのだ。」
 そこには、成績下位層の増加は、家庭での取り組みの問題だ。学校としては出来る限りのことをしている。後は、家庭の教育環境の悪化のせいだといわんばかりだ。塾に行かせない、行かせられない親が悪いかの如き発言に感じるのは、小生だけだろうか。
 ましてや、3年ごとの全国学力テストによって学習指導要領を変えればいいにいたっては、何を無責任なことをおっしゃるのだと思う。3年にいっぺんの学力テストはどういう影響を学校現場に与えるのか、全く考えてもいない。かつての学テがどのような弊害を学校現場に生んだかについての反省もない。 
 また、3年ごとの見直しだって? いったいその学習指導要領が3年ごとに改訂されたらこれまた学校はどうなるのか、そのたびに教える内容が変わる、教科書も変わる、教科の種類も変わる、これで落ち着いた学校・教育環境が維持されるだろうか。ますます混乱するのが目に見えている。
 また土曜日午後のクラブ活動は社会や地域のもとで行われるべきだ、教師が、学校が関わるべきものではないとまで言っていた。それが、その理念に社会がついていけなかっただけだという。オタク、そこまでよく言うよって思う。だいたい今でも、多くの教師は土曜日午後にほとんど無報酬でクラブ指導している、と聞いているのだ。
 あげくのはてに「『ゆとり』が『ゆるみ』のようにとられたきらいがある」(河村文科相 04年1月)という程度でお茶を濁している。
 そもそも「学習指導要領」なるものは、公立学校に適用されるのであって、私立学校にはその適用が及ばないという代物。結局、公立学校の教師や子どもたちをがんじがらめにしているのだ。これでは、ますます私立が有利に(なぜならその学校の理念・理想に基づいて教育活動が行えるのだ)、公立はますます淘汰されていく結果となる。メンツや遠慮ではなく、過ちはすぐ改めるべきだ。国家百年の計がなさ過ぎる。
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自己責任ということ、何か変だぞ受験生!

2005-02-12 10:39:10 | 教育
 今朝、「朝日」の声の欄に、「大学入試で時計を忘れた女の子が、受験会場近くの交番に時計を借りに来た。交番勤務の夫は、時計が一つしかなかったので、貸すことが出来なかった。無事に試験を受けられただろうか、時計を貸せなかったことをずっと夫は悔やんでいる。警察官は冷たいなあと思ったろうが、許してほしい」。」警察官の妻から、そんな内容の投書が掲載された。
 この間は、新幹線で停車駅を間違えて乗った受験生を、緊急停車して乗り換えさせ、無事に試験を受けられた粋な(?)JRの計らいが話題になった。パトカーで先導して受験会場に間に合わせたという話しも話題になった。そうした流れの中で、何だか便宜を図らないことが「許しを乞う」ようなトーンになっていくことにおかしさを感じるのは小生だけだろうか。
 受験シーズン。交番勤務の警察官は、特に大学近くの交番では、これからは予備の時計を身につけて勤務しなければならない。だいたい、二つも腕時計をして仕事をしている人などは皆無だろう。まして、万が一のために(人に貸すために)予備の時計を常備している人も、いないだろう。
 たしかに受験はその人にとって重大事だ。それまで勉強してきた成果を充分に発揮して、目標を勝ち取る。18歳(浪人生は?歳)にとっては一大試練でもあるだろう。そのために、周りの大人たちが出来る限り、最大限の便宜を提供すること、何とかその人間の失敗や不注意を取り戻してあげたい、と思うこと。それを美談のようにマスコミで取り上げる。
 反対に、そうした便宜を図れなかった者に対して、何となく冷たく、人情味の薄い人物・組織のように思わせる。あげくのはてに、一介の交番勤務の夫に変わって、妻が実名入りで「許して下さい」という発言を投稿することになる。何かやっぱりおかしくないか。
 だいたい、受験だけが人生ではない。これから先、60年以上にわたって人生の荒波をくぐっていかなければならない。ある意味では受験程度は大した試練ではないと、年取った小生は考えている。にもかかわらず、受験シーズンにかこつけて「いい話し」「悔いの残る話し」にしてしまうことに大きな疑問を感じるのだ。
 ひとしきり、イラクでの3人の人質解放を巡って「自己責任」という言葉が話題になった。3人の行動を批判する人々は、「危険地域に行ってはいけないというのに、それを無視して行った。それで、人質に取られたからといって・・・」とかなり厳しく対応した。小生は、そうしたバッシングに対しては見解を異にした。3人の現地でのそれまでの活動を考慮すると、ただ「自己責任」ということだけで片づけてはならないと。
 しかし、今回のようなケースは、受験生自身の「自己責任」ではないかと思うのだ。停車駅を間違えて乗ったのは、自己責任。それで遅刻したり、受験できなかったりするのは仕方がない。交通事情を考えて家を早く出る、これも自己責任。時計を忘れたら、それで受けるのが自己責任。そういう類のものではないか、今回の受験生の行動は。それに対して便宜を図ったことはおかしなことだ、と思う。
 特に交通機関は、急病人などの緊急事態は別だが、(誰が、いつ、どこで、どういうふうに急病になるかは、神も知らない。それは自己責任とはいえないし、そういう場合には、自分の都合を無視しても、他の乗客たちも協力する。)それ以外に便宜を図ってはならないだろう。それなりに事情があって、一秒でも二秒でも早く着きたい人々も多いはずだから。(生死に関わらないことで、安直に緊急停車するな!)
 それが何となく美談となり、(勿論、後でJRは「それをよしとはしていない」と発言したが)反対にしなければ、「冷たい仕打ち」となる。
 こういうときにこそ、「それは残念だが、自分自身でまいた種、自分の責任で処置を考える、自分で結果はとるものだ。」と世の大人は発言しなければならない。
 物わかりのいい大人ばかりであってはならない。
 でも、受験生諸君!たとえどんな試練が訪れようと、全力で頑張れっておくれというエールを送ることにはしましょう。
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郵政改革で切腹?!

2005-02-11 11:20:52 | 平和
 コイズミさんは郵政民営化に自らの政治生命をかけ、法案を今国会で必ず通すと言明した。この法案を通さなければ、コイズミ不信任と同じだ!継続審議も不信任と同じであると強気の姿勢。
 だから、そのためには、国会に法案を提出する時期にはこだわらず、自民党・公明党とのすりあわせを充分に行うことを指示している。これは、コイズミさんと与党とが法案内容で妥協が成立すれば国会に提出し、野党の多少の抵抗・反対があっても、また少しくらいの会期延長はあっても、政府・与党の力で、一気呵成に法案を成立させようという決意表明でもある。
 特に、コイズミ発言は、民主党内での郵政民営化に対する足元の乱れを見事についている。これは、国会での議論よりも国会外での駆け引きによって法案をまとめていこうとする、いつものコイズミ手法だ。一方で、国会解散という伝家の宝刀をちらつかせながら。
 どこまでもしたたかなコイズミさん、自分じゃ切腹するつもりは毛頭ない。結局、自民党には妥協して、「名」を取る作戦だろう。今や、郵政民営化問題は、職員の問題に次第に矮小化されている感じがする。「郵政職員は公務員」という「実」はそのまま残すのだろう、「名」は、公務員じゃなくなるけれども、特定郵便局長の身分についても同様。これならば、労組を支持団体の一部にする民主党も納得するだろうとたかをくくっている。
 しかし郵政民営化問題は、そういう問題ではなかったはず。巨額な預貯金、その資金運営、公共事業とのかかわり、等々。本末転倒の様相を帯びてきた郵政民営化。事の本質をもう一度考え、その上に立って、コイズミ法案の是非を検討する必要がある。法案が国会に提出されれば、ほぼコイズミの勝利だから。
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入試問題が去年と同じだったって

2005-02-10 23:22:47 | つぶやき
静岡の高校入試であったんですって
35問中、33問が去年と同じだったって
いったいどういうことなんでしょうね

だいたい国語の漢字の問題だったんでしょ
普通はその学校受けるんだったら
過去の問題っていうの
練習でやってみないかしらね

4字熟語とかなんて覚えればいいんでしょ
そりゃあ、やったかやらないかで
有利不利が出るんじゃないかなあ、当然

いろいろ問題を検討する中で
紛れ込んでしまったですって、去年のが
それで一番よかったのがこの問題だったって
笑っちゃうわよね
そりゃあ、去年出したんだから
それなりに検討したに決まってるじゃない

工業高校だからっていいかげん受験生をバカにしてるんじゃないの
国語の先生だか、作成委員だかわかないけれど
再試験ですってね、受験生にしてみればいい迷惑よね

大学のセンター試験でも教科書に出ている文章がそのまま出たって
なんだかお粗末な感じ
古文でも答えがあいまいなのがあったとか

だいたい長くやっているとマンネリ化して
適当になっちゃうんじゃない、問題を作るほうも
私立だって試験中に黒板にあわてて訂正した大学もあるらしいじゃない
それも正答を

そうそう何年か前のWASEDAじゃあ
正答がなかったって
受験者全員にお詫びのハガキを出したってこともあったらしいじゃない
その問題に何とか答えを見つけようとした
ロスタイムはどうしてくれるのよね

受験生の親としては心配よね
うちなんか高校受験と大学受験とダブルパンチだから
それなりに一生懸命やっていて
偶然に前にやった問題が出てくりゃ
ラッキーって言ってもいられないわ

でも最近こういうミスが目立つよね、話しは違うけどさ

どうもパソコンで文書作ってると
前の文章に上書きっていうのするじゃない
あれって結構間違うのよね
前の文がそのまま直さずに残っていて
去年と同じ文がそのままだったり

他に出した文章を上書きして他の文書にしたとき
他の文書の一部がそのままだったり
あれって思うときがあるらしいわね、うちの亭主が言ってた

便利だからかえっていい加減になっちゃうみたい、特に役所の文書は
それこそ重要な会議でそれがあって
もう指摘されて上から下まで赤っ恥をかいたらしいわよ

なんたってやっぱり慣れは恐ろしいし
最後は人間の目が大事よね
その人間の目が腐っていたらどうしようもないけどね

これからもこういうミスは増えてくると思うわよ
でも受験問題や
医者のカルテなんかでこういうミスがあったら一生恨まれるから、ホント心配! 
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最近、道路工事が盛んですね

2005-02-09 20:56:04 | 世間世界
 いつも通る道路も歩道と車道の境目付近が掘り返され、迂回させられています。これで、道が良くなっていくなら少しの不便もガマンできますが、年がら年中、掘り返されているといったい何の為なのか。
 中央分離帯の工事も立派なものを作ってはあまり経たないうちに取り壊し、また作っています。 最近は、電柱を撤去して地下に埋める工事が盛んに行われています。道路の両側に電線柱や電話線の柱が乱立している様子は景観を損ねていた感じがします。それなりにすっきりとした道の雰囲気になります。でも、何だか間延びした感じです。バカ高い照明灯が設置されていますが、高く細くて危なっかしい感じです。
 つい近所の商店街も電柱を撤去したため、アーケードもなくなり(たしかにみすぼらしいものでしたが)すっきりした代わりに、客足も遠のいた感じがします。何となく温かみのない街の風景に変わってしまったようなのです。
 それから、街路樹を植え替える工事も盛んに行われています。それも、大きな葉っぱの木がなくなって、信号機などの見通しがよい木に変わっているようです。交通事故を思うとそれもそうでしょうが。せっかく紅葉(見事な黄色の葉になったのですが)を楽しみにしていたのに、その前にすっかり刈り取って裸同然にしてしまった街路樹・並木道もあります。何だか、無粋な感じがしました。枯れ葉も始末悪いものと考えているのでしょうか。
 こんなこともあります。近所の方々が道路と歩道の狭い隙間に、花や小さな木を植えている所があります。周りには緑が少なく、通行人の目を楽しませてくれています。ところが、先日、通りかかったところ、おじさんが小笹や小さな竹を引き抜いているのです。でも、竹はなかなか根が深く容易ではありません。
 聞くと、新しい樹木を植えるので、「撤去しろ」とのお達しがあったとのこと。涼しげな小さな緑の葉、それほど場所をとるのでもなく、高く伸びているのでもなく、それなりに風情のある竹の群れでした。おじさんは、ため息をついて、後は工事の人に任せるんだと家に引っ込みました。
 その数日後、そこを通りかかった時、もう何もありませんでした。ほんの少しの土塊があっただけです。しかたがないことでしょうが、ちょっぴり寂しくなりました。
 竹の代わりに、本当に通行人の目を楽しませてくれる美しい緑が植えられだろうことに、一縷の希望を持ちました。でも、おじさんが丹誠込めて育てていた竹の群はもう戻ってきません。
 
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泥仕合に持ち込み

2005-02-08 20:27:05 | 平和
国民があきれてしまう、どっちもどっちだと。
 今の国会の与野党の議論を見るとそんな感じがします。
 橋本派の1億円献金問題、自民党の迂回献金問題。野党の証人喚問要求に対して、自民党の反撃は、民主党の献金問題。それも労組の献金問題。
 馳某に至っては、売れらた喧嘩は買うとさすが武闘派議員です。質問にして答えるコイズミ首相以下。コイズミさんは、自由党(小沢さん)の悪を握っているとうそぶく始末。野党も負けてはいられないが、何せ、質疑応答。答えることも出来ず、外野で文句をいうしかありません。
 公明党の幹部は、野党「も」金に汚いということが、国民に分かればそれでいい、とその本音を吐いています。野党「も」というところが大事なのでしょう。
 なんということはない、巨額な政治資金の流れの不透明さを解明し、本気で政治資金について是正していこうなど、という考えなどみじんもないようです。野党だってホントは困るでしょうからっていうわけです。
 ますますどっちもどっちだと国民が思ってくれればしめたもの。喉元過ぎれば何とかで、相変わらず金と政治の不適切な関係を続けていきたいのでしょう。かの橋本さんは「事実としての認識はあるが、記憶としてはそういう事実はない」(だっけ)という迷言で逃げ切っていくようです。
 この献金が、日本歯科医師会でしたか、自分たちの都合のいいような政策・運用を行って欲しいという政治要求やそれに応えたことの見返りとしての1億円。それが直接手渡されたどうかが問題になったはずです。また、自民党の迂回献金も政治資金法上で問題ではないかという事柄です。
 これらは、「政治に金がかかるのは問題だ」というような議論の上に成り立つ問題ではないはずです。国民の政治不信は、こうしたうやむやに事を済ませていこうとする政治の姿にあるのではないでしょうか。
 「言った・言わない」「やった、やらない」ということなら、水掛け論ということにもなるでしょう。それはそれで、実に不毛な議論です。しかし、最近は、自分たちの主義主張に合うか合わないかを判断の基準にして、「自分が気に入った人が言ってない、やってないと言ってるのだから、その言葉が正しい、それを攻撃するやつは自分の敵だ」というような論説が目立ちます。
 そして、自分の気に入らない人の言説に対しては、驚くほどの「レッテル張り攻撃」を徹底的にしかける、といったような幼稚な発言を多く見かけます。
 おそらく今回の国会の議論でも、コイズミさんにぞっこん惚れている人たちは、こうした野党攻撃に対して、本当に快哉とほくそ笑んでいるのでしょう。ざまあみろ!お前たちだってきれい事はいうな、同じじゃないか、反対、反対って何も出来ないくせに、とかいう具合に。でも、それっておかしなことですよね。権力にあればこそ、謙虚に批判を受け止める姿勢があるべきですし、私たちも、ただただ権力に迎合することなく、批判精神を持つことも大事ではないでしょうか。勿論、ここでいう「権力」とはコイズミさんのような立場のみを指しているわけではありません。
 いずれにしても、私たち国民は、今の国会の議論の低次元さに嫌気を持たず、持たされず、国会での証人喚問も含め、政治資金の問題を追求していかなければならないと思います。
 
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コイズミの支持率低下

2005-02-07 22:33:49 | つぶやき
にもかからず
続けてほしい任期いっぱい
という意見がまだまだ多い

いったいどういうこと?
コイズミに変わるべき首相候補がいないのか
はたまた、誰がやっても同じなのか?

たぶん、国民は、日本の政治に
もう諦れかえっているのかな

それはなぜ? 
それは、コイズミの口車にうまく乗せられているから
それはなぜ? 
それは、結局誰がやっても変わらない
コイズミよりもよくならないから

それはなぜ?
コイズミのほうがましなのかも

他のたとえば、安部や福田のほうが
もしかしたらもっと
日本をダメにするかもしれないね
亀井なんかはホントにゲス男だもんね

でも、いったいコイズミ改革って何なの?
やりそうでやらず
やったようでやってない

コイズミはそれでも他の政治家よりは
政治を身近なものにしたのかも
かつての真紀子さんしかり
今の平蔵さんしかり

大事なところは民間人に任せて
そして見事に国民を煙に巻いた
まともな感性じゃできません

民主党・岡田さん
所属議員の選挙違反で四苦八苦
絶好のチャンスを生かせない
敵失ねらいのおぼっちゃまじゃ
頼りにならないね

そうして、似非宗教政党ばかり
元気になっていく・・・

かの先生
我が世の春を誇らしげに
電車にラジオに新聞に
もう至る所で自画自賛の宣伝ビラ

ついでにTVタレントも先生に㊨習え
「裏切り者」への罵詈雑言は
日常茶飯事
これまた我がTV界を楽しんでいる

コイズミ安泰の秘密は
実は、ここらあたりにありそうな

いよいよこのへんでちょっぴり性根を据えて
巨大組織を相手にしての
ごまめの歯ぎしり、徒手空拳

それでも何とかしなければ
って思う人
この指
と・ま・れ

勇気を出して
はじめの
い・っ・ぽ

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国語としての日本語力

2005-02-06 15:30:11 | 教育
 今、基礎学力としての「読み」「書き」「そろばん」が見直されています。江戸時代の寺子屋ではありませんが、大きな声で本を読むことや漢字を覚えること、簡単な四則計算ができること、これらを、毎日、反復訓練して教え込む。このことの大切さが取り上げられています。「ゆとり」教育の中で失われたであろう、基礎学力を再びきちんとつけさせることへの取り組みが全国の小学校や中学校で行われているのです。「習字」の重要性がクローズアップされないのはとても残念ですが。学校では、今、朝読書、算数ドリル、漢字ドリル・・・。
 中でも、一番関心の高いのが、「国語力」。マスコミでも最近の小学生・中学生の漢字読み書き能力の低下が話題になっていますし。漢字のみならず、語彙力や単純な表現能力、文節力から文章の構成力の不足なども話題に。これは、読解力の低下とも大きく結びついているでしょうね。たしかに今の若者は、「良書」を読まないようです、特に哲学や思想に関する書物は。
 また、これは今に限ったことではありませんが、最近の若者の話し言葉のおかしさや無アクセント化なども批判の俎上にのぼっています。ひところ、「おかしな」アクセントの言い回しや「ら」抜き言葉に対する批判がありましたが、どうも最近は世の大人たちもすっかり諦めきったのか、あまり話題になりませんね。
 なにしろ、TVアナウンサーからしてもうめちゃくちゃ。まして面白・おかしい若手芸人に、のりだけでつき合って、中身抜きに話しの上っ皮だけを吸収している若者には叶いませんから。出版社の中には、そうした新しいジャンルともいえる若者文化(言語表現)に注目して、さまざまなかたちの本として、積極的に市場に売り出すケースもあります。世の大人たちはその状況を垣間見て顰蹙顔をして曰わく、「そんな若者文化はナンセンス!言葉を知らない、敬語を知らない、漢字が読めない、書けない・・・」と。
 いつの時代でもそうなのですかね、「最近の若者は・・・」という言い方は。そういえば、小生が若い頃にも、職場の年寄りから「最近の若者はモノを知らない、口の利き方を知らない」とぶつぶつ言われたものです。その小生が、その時のように、今度は若い人たちに向かって「今の若い連中は・・・」と言っています。
 それでも、すべての基礎は国語力だと言われていますが、たしかにそうですね。算数をやるんだって何が書いてあるか、何を答えたらいいのか。文章題の苦手な子は、ますます増えているようです。また、理科だって社会だって、すべて言葉で表現されているのですから、当たり前に国語の力が基礎ですよね。英語で話す書くということ(特に話すことが重要視されてきています)でも、まず日本語の語彙力がなければ、満足に相手に自分の考えを伝え、話せないと思いますが、どうでしょうか。
 ですから、世田谷区などでは、「国語力」向上を特色にした基礎教育を展開。また来年4月、東京墨田区の都立両国高校に出来る中高一貫校も「国語力」をメインにした学校づくりを指向しているようです。通常の国語の授業の他に、特設科目として「考える国語Ⅰ・Ⅱ」を設けるなど。もちろん、語学ということで、英語力向上にもかなり力を入れるようです。(「考える・・」というセンスは気に入りました。)
 ただ、「国語」というネーミングには、少し抵抗感があります。国際化時代ですので、広い言語能力の一部として「日本語」と言う言い方がいいと思いますが。
 最近は、大学でも講座や学科名を「国文科」から「日本語学科」に変えたりするところもあります。それには反対だという意見も「国文学者」の方々には多くあるようです。たしか戦前は、「国語」が「修身」とならんで「国民意識」の涵養に大きな影響力を持ったと思います。
 日本語の乱れをただす、美しい日本語の使い手の育成、などとあまり言い過ぎると、気がついたら思わぬ方向にいかないともかぎりません。
 「歌は世につれ、世は歌につれ」ではありませんが、言葉もまた「世につれ」世も「言葉につれ」でいくしかないことも事実です。「正しい国語を」などと大上段に振りかぶらず、国際化・情報化の中、コンピュータ機器の急速な普及の中、若い者も老いた者も「日本語を用いる」人間として(「日本人として」と決めつけるのはよくありません)、まずより豊かで充実した精神生活が大事なのではないでしょうか。
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国会議論の形式は変えた方がいい

2005-02-05 13:43:14 | 平和
 今、国会では、委員会審議で質疑応答の「論戦」が繰り広げられている? 特に、自民党議員は、民主党の政治資金を巡ってコイズミに質問し、コイズミもいい気になって野党を攻撃したらしい。自民党・橋本派の1億円政治献金問題(「事実はあったが、記憶にない」という迷言で蓋をした)森派の飲食代など次々とやり玉にあがっている自らの問題に対して、野党だって同じだといわんばかりに反転攻撃に出たのだろう。あきれかえった連中だ。
 問題は、国会が基本的に質疑応答の形式でしか議論がなされないということ。今回の議論でいえば、自民党員が質問し、自民党員のコイズミ以下が答える。実になれあいの場になって、両者が野党攻撃を行っているのだ。野党・民主党は反論の機会もないまま、ヤジを飛ばすくらいがせいぜい。
 野党議員が答弁に立つのは、議員立法とか提案者になった場合だけ。その場合も、適当な質疑応答で終結させられる。党首が議論を闘わせるのは、国会の冒頭・本会議のみ。それも、質疑応答だから、コイズミの答えは、官僚答弁そのもの。実に不毛な論戦が続く。党首討論はあっても、正式な国会議論の場ではないのだ。
 参議院では円卓方式にして議論を活発にするような工夫もあったが、所詮、参議院はそれまで。重要な場面は、国会の表ではなく、裏の駆け引きで決まってくる。郵政民営化問題も、国会の蚊帳の外で決まるのだろう。それをみこしてか、議論も熱くならない。
 せめて議席を左右に分けるなり、円卓にして議員同士がもっと議論できるような場にすべきだと思う。でも、今の国会議員の知的レベル、教養のなさでは己の無知を国民の前に明らかにさせるだけなので、そういう方式は、自分たちがいやがるだろうね。
 それにしても、公明党幹部の発言「野党も金に汚いということが国民に訴えられればいい」って。さすが、何億円もの金を竹藪に捨ててしまい、見つかっても平然としている支持団体があったればこそだ。
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戦いすんで日が暮れて

2005-02-04 23:41:09 | 教育
 私立中学受験も一段落。小学6年生の熱い戦いは終わりを告げた。小学生の15%が私立受験をしたという。これは、平均的な数字であり、地域によっては、3割、4割というところもあるのだろう。小学校の一クラスが30名弱として、そのうち10名ほどが受験するという計算になる。
 2月3日。都立の中高一貫校(白鴎高校付属中学校)も大変な人気で、受験当日は、受験する子供たち、その親たち、報道陣でてんやわんやだったそうだ。特に、塾関係者の姿が目立ったとのこと。小学校の先生の姿がほとんどないのは当然だが(自分たちの学校も平常に授業日だから)。入学金も授業料も無料なのだから、相当の人気が集まった。来年は、都立(区立)付属中学が4校新たに開校する。地元の私立にとっては脅威なのではないか。
 私立の受験日の日程は、偏差値の高い学校から順々に日程が決まっているらしい。すべて平日なら別に問題はないらしいが、これが土日にからむと、クリスチャン系の学校は日程を変えてくるので、それはそれで、小学生が受験する学校選びの調整が、大変になるらしい。
 いずれにしても、こうした偏差値はどこが決めるかというと、実は、たくさんの子供たちが通う、日能研とか四谷大塚などがその主導権を握っているらしい。その塾に通う子供たちの希望動向や、学力水準をしっかりとつかんでいるからだ。勿論、長年の間で私立間のレベルはほぼ固定されてはいるようだが。女子校が男女共学になったり、今回のように都立が新たに参入することになるとその影響が出てくる。
 偏差値というもの自体が、受験集団の中における自分の相対的な位置を数字化したものだから、まさに本来の機能を発揮させている。かつて受験戦争を煽るものとして偏差値教育に対する批判が多く起こったのも嘘のような話しではある。
 一方で、親たちは意外に醒めていて、ただ偏差値で決めるのではなく(即ち有名大学への合格数などで)子供の特性や可能性なども考えて、決める傾向も出ている。地元の公立中学が「荒れている」場合など、やむをえず私立に行くこともあるという。
 しかし、中学受験の場合、都立中学受験も含めて、子供が通う小学校ではほとんど対応できないという現実がある。小学校の先生を云々するわけではないが、全く受験教育とは無関係な学習を行っているところで、受験云々を相談することは難しい。その分、塾の果たす役割は実に重要なものとなる。進路希望から受験指導まで塾業界は、今や活発な過当競争の時代に入った。
 勢い、実績づくりのために、夜遅くまで指導を行う。夜10時くらいは当たり前。塾の前には、学校からそのまま来たような小学生がなかなか帰ろうとしない。親が車で迎えに来る。夕飯を親が塾に届けに来る。家に帰っても塾の宿題があるだろう。これで、朝から自分の小学校に通って授業を受けることができるのか(眠くて疲れて・・・)と、よけいな心配までしてしまうほどだ。
 そして、ついに、努力の結果、合否が決まる。偏差値の高い学校に合格が決まった子。第2志望に決まった子。次に次に落ちて、結局、区立の中学に通う子。子供たちの過酷な春がこうしてまた始まる。3年後の再チャレンジを目指す子もいるだろう。
 しかし、受験狂想曲の中で何年も犠牲にしてきた、家族の団らんは戻ってこないのではないだろうか。子供の居場所は、今、どこにあるのだろうか。
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ではどのような国家が理想的ですか

2005-02-03 21:06:34 | つぶやき
ではお聞きしますが
あなたは
どのような国家像を持っていらっしゃいますか

ほう、まず軍隊を持つことですか
国防意識をもっと強く持てと
自衛軍の創設ですね
やはり核武装した軍隊を持つことが必要ですか

侵略戦争には反対だが
自衛のための先制攻撃は許されるんですか
それが他国の領土であってもですか、なるほどそれで他の国は黙ってますかね

シビリアンコントロールなんてナンセンスですか
即有事に対応するには
現地軍の判断が最も迅速になされなければ
でもかつての関東軍みたいな・・・
それは昔のことで今は関係ないって

そして、国民皆兵みたいなふうにね
ふーん!そんなものですかね

あとは、なるほど天皇を元首にする
象徴天皇では不満ですか
立憲君主国にするといいんですか

戦前のような
神聖にして侵すべからずとか
統帥権とではなくて
へえ!例えばイギリスみたいなものになって
でもあの王室はあまり政治には関与しなくて

そうですか国民精神の統合のために
文化と伝統のため
するとやはり靖国神社ですか
祭祀としての役割
えっ、もっと政治にも積極的にですか
でも今の天皇に大丈夫ですかね

何でもかんでも民活路線ですね
自由競争で国民の活力を生み出していく

勝ち組・負け組って
階層分化が激しくなりませんか
なるほどそのときは
愛国心で国家に帰属させ、諦めさせるって
そんなにうまくいきますかね

国旗・国歌の徹底ですか
日教組の偏向教育の是正ですか
あそこもじり貧な組織じゃないですか

自虐史観の誤りを粉砕してって
随分威勢がいいですね
でも、それこそ再び戦争の過ちを犯さないようにして下さいよ

中国や朝鮮とも
それから他のアジアの国々と仲良くやっていけますか、これで?

自信を取り戻せ日本人よ!
って自信がないのは、政治不信からきているんじゃないですかね

それを国防や天皇や愛国心で取り戻そうっていうのは
あんまりじゃありませんかね
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卒業式・入学式で日の丸に正対して礼をしないと処分?

2005-02-02 22:54:48 | 教育
 今年も卒業式シーズンがやってきた。今年の都内公立校の卒業式。東京都教育委員会は、学校の儀式における日の丸・君が代への強制をますます強めているという。式場(舞台)の正面中央に掲げられた日の丸に向かってきちんと立ち、日の丸に向かって礼をし、君が代を歌わなければならないとする指導を徹底するのだそうだ。生徒に強制するのはもちろん、教師もその行動を率先して行うように職務命令が出ることになった、と友人は嘆いていた。
 当日は、「一同礼!」の号令の下、会場の参列者は全員、一斉に壇上正面中央の日の丸に真正面に向かう。そして、「国歌斉唱」の合図とともに日の丸に真っ正面に向かって声を出す。それも、校歌や卒業式の歌と同じ音量で歌うように、教師に通達した教育委員会も出てきている。
 特にイシハラ都知事は、必ず全国が今に東京都と同じになるとして、東京の強制的なやり方を全国に波及させたいと目論んでいる。そのイシハラは、全国知事会の会長に推薦されれば、もうやる気満々。「コイズミに来いと言えるのは俺だけだ」と豪語している始末。
 埼玉も神奈川も長野の田中知事も推薦しているという。いよいよ日本全国、イシハラ路線のうち、まず日の丸・君が代強制の徹底から行われるか。
 日本「国民」の一員にもかかわらず、「日本国憲法」を一貫して侮蔑・無視し、「教育基本法」を守り育てる気持ちの全くない人物が、法の遵法(これは、「学習指導要領」に基づく指導だ)を説き、正対して立たなかったり、歌わなければ「職務命令違反」として処罰することの矛盾。
 さらに、本人を懲罰し強制的に研修を受けさせる(「もう二度としません」)だけでなく、そういうお縄付きを出した職場全員に対して校長以下、強制的な研修を行う。そこでは、みんなに迷惑をかけるんだから二度とやらないでくれと圧力を加える。
 憲法に保証された「思想・信条の自由」などと大上段にふりかぶるまでもなく、一種、異様な世界を現出させているのが、今の東京都の公立学校の現場らしい。
 物もいわず、ただただお上(校長、教育委員会、議会・・・)にひたすら従順するのみの人間作り。その教師たちに教わる生徒たち。もうそこにあるのは、学校教育なんてものではなく、監獄制度そのものだ。次第に無力感と疲労感で教師たちはますます黙ってしまう。
 中途退職する人も増える一方だ。病気になったほうが弱い、組織に不満がある人は辞めてくれ、代わりはいくらでもいるのだ、柔軟に対応できない人は去ればいい。
 強者の論理が優先される組織は、イシハラの好きなファッショ体制だ。自分はそうならない(負け犬)と思って必死に疲れ切った我が身をむち打って励む。それでも、大半の人は、努力の甲斐もなく、組織に埋没し朽ちる。まさに「一将功なって万骨枯る」の世界である。誰もが一将になれるよう幻想を与えられ、誰もが一将にはなれない。
 もしかしたら、かのイシハラもコイズミも勝利者にはなれない。では、誰が真の勝者か。それもまた誰も知らない。人間不在の組織論理の一人歩き。まるですべての人間の体は、遺伝子の仮の宿のすぎないのか。国体の仮の宿?
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わが組長のぼやき

2005-02-01 22:49:40 | つぶやき
おはようございます、どうも
寒いですね、本当に
もう2月ですものね
やけにいい天気ですがね、何たって風がねえ

おやまあどうしたんですかそのメガネ
真っ黒になっちゃってて
いつもサングラスかけてるんですか
似合うというか何かコワイ感じですね

イヤ、失礼!
へえ、この間かけてたメガネと違うんですな

えっ、同じなんですか
光で色が変わるってどういうしかけですかね
そりゃ、なかなかのすぐれものですね
へえ、それにしてもちょっとコワそう

室内ではふつうのメガネにね
そうですか、ちょっと営業には向きませんよね
みんなコワがっちゃう
それに背広姿ではねいまいちって
感じですか、どうも失礼

けっこう気に入っていらっしゃるんならいいじゃないですか
もう売ってないんですかそういうやつ、へえ

でも、困ることもあるんじゃないですか
なるほど葬式に行って
そのメガネだって気がつかずにお焼香した

あの人は故人とはどういう関係って
参列者がみんなひいたって
そりゃあクロの略礼服、クロネクタイ
それにそのサングラスじゃびびりますよ、ちょっと
すごみがありすぎって

スキーや冬山にはいいかも知れませんね、そういうやつ

今細くてきゃしゃなメガネ
はやってるじゃないですか
ヨン様だかなんだかしりませんが優男ぶって
あんな軟弱なやつよりそれがいいって
男はごつさが売りですよ
いえいえ、無骨さだって言ってませんよ、そんなこと

だったら買い換えればいいじゃないですか
老眼のほうはまだ大丈夫ですか

くだらない話しですが
遠近両用のコンタクトレンズってあるんですかね
いえね、あったら買ってみようかって
でも歩きにくそう、変に上目遣いになったりしてね、ハハハ

おやもう職場ですよ
たしかにみんなきちんと挨拶しますね
そのメガネのおかげですかね
いや、失礼!

我が同僚のあだ名は、組長。
もちろん、かけているメガネがその所以だ。
偏光ガラスで出来ている。
紫外線でメガネの色が変わるのだそうだ。
でも、ホントの組長さんには叱られそうなあだ名。
それは、本人が一番よく分かっている。
コメント (2)
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