おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書75「駅路/最後の自画像」(松本清張・向田邦子)新潮社

2010-01-14 10:04:57 | つぶやき
 見逃してしまったドラマ「駅路」。フジテレビで、昨年放映された作品です。もともと、昭和50年にNHKの土曜ドラマシリーズ、向田邦子の脚本・「最後の自画像」として放映され、そのリメーク版だったそうです。
 この書は、その松本清張の原作「駅路」と向田さんの脚本「最後の自画像」を掲載したもので、先に清張の原作・小説を読み、次の向田の脚本を読み解くという形式になっています。原作は、400字詰め原稿用紙で45枚ほどの短編、それを放映時間70分のドラマにする。400字詰めで約80枚ほどになりますか。
 原作のテーマをいかに深化させていくか、さらに脚本として自立した作品としてしたてあげていくか、など素人には分からない創作者(この場合は、向田さんの)実像に迫った解説が加えられています。(ただ、私には、読んでしまった今となっては、ある種の先入観をもって、作品に接するしかないのは残念ですが。勿論、それも鑑賞態度としては悪いものではありません。)
 特に大きな違いは、不倫相手の女性を死なせず、男性の妻のもとを訪問し、対話させたこと。(原作では病死したことを隠し、関係者が主人公の男性を殺害し金を奪う)また、原作ではほとんど登場しない女性陣多く登場させたこと、など。そのような向田さんの視点で原作への向かい合い、格闘の仕方など、垣間見ることが出来ました。原作のテーマを見事に深化させたことも・・・。ドラマそのものを見てみたいと思います。巨匠に立ち向かうすさまじい執念すら感じましたので。
 向田邦子さんの作品は、小説を少し読んだことがあったくらいで、あの劇的な死、あるいは、死後にあれこれ詮索された生前の恋愛など、まさに通俗的なレベルでしか接してこなかった不明を恥じます。
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戯曲「猫と針」(恩田陸)

2010-01-13 22:19:04 | つぶやき
 この前の11日。久々に観た芝居、というか若い高校生たちの内輪での練習みたいなものに、どういうわけか観る機会があった。
 この脚本は、キャラメルボックスのために書き下ろした作品。映画監督になった女性が、高校映研部の友人を集めてドキュメンタリー風の映画に仕立てる。喪服姿の男女(すでに30歳を超えている)に、「哲学的」な猫にまつわる話を、台本に沿って語らせ、実は一部始終を隠しカメラで撮影するという趣向。
 ところが、その当日、奇しくも共通の友人であった、心療内科の医者が「ものとり」の犯行によって殺害され、その告別式の日と重なってしまった。
 高校時代、食中毒事件が起こった、その様子を撮影したフィルムが何物かに奪われ、今は映画監督の女性のもとに送付されてくる。
 そこに写された内容は? 医師はどうして殺されたのか? その医師に患者として通う、それを巡る友人関係? カメラの前で妻の自殺を語り出した男は? 
 わずか1時間半くらいの上演時間で、盛りだくさんで、質の違うエピソードを織り込みながら芝居が進んでいく。
 もちろん、高校生がやるのだから、無茶ということに尽きる。だいいち自分たちの経験の想像外の世界を演じる。でも、チャレンジ精神は見事! 台詞も動作も何とか様になっているのが不思議。設定が酒を酌み交わしながらなのでちょっと無理があるのは承知の上。
 けれど、死者を悼む、追悼する、そして酒を飲みながら、今の生活、苦労、同情、忘れていたかつての恋愛感情、冷やかし・・・、こうして旧交を温めるというの流れが、見事に表現されていたのは、さすが恩田さん。
 たった5脚の椅子しかない舞台。若さと強引な芝居づくりに、けっこう引き込まれた。たまには、無茶なほどの背伸びが、彼らを成長させるか、はたまた・・・。
 芝居の終わった後、若い友人達と飯食いがてら、酒をしこたま飲み、その勢いでついカラオケにまで行ってしまった。まだその疲れ(余韻)が残っている。
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なぜ政治には巨額の金がかかるのか(ど素人)

2010-01-10 20:51:33 | つぶやき
小沢氏側に公金9億円 新生党・自由党 解党時、政党助成金など(産経新聞) - goo ニュース
 鳩山さんもそうだし、小沢さんなんかはもっとうさんくさい金。裏金なら自民党にだっていそうな・・・。
 そもそも、どうしてこんなに金がかかるのか? 中選挙区時代には、金のかかることが相当問題になった。二大政党を目ざす小選挙区制になっても、ますます金がかかるってどういうこと?
 公費(税金)でその弊害を、つまり金のかからない政党活動、政治活動をめざしたはずなのに・・・。事態はますます悪化。
 どこに金をつぎ込むのか、どこから資金を得るのか? 政党助成金だって、いくらでも自分たちの都合のいいように拡大解釈し、使途に制限をつけない、お手盛りがまかり通る。
 共産党や公明党のように手弁当で支援する支持者がいないため、選挙民(国民)が支持の代わりに見返りを求めるため、敵を切りくずため・・・。
 湯水の如くに金を使う(使わせる)政治制度は、民主的な代議制度には必須なのか。古代ギリシャの政治制度は、奴隷制度の上に成立していたとか、してみると、代議士制度は、実に金のかかる制度でしかない。
 アメリカの大統領選挙でも莫大な金がかかっている、という。一政治家、さらにその上を目ざすには膨大な資金が必要。
 かつて、藤山愛一郎という政治家がいた。資産家であった彼は政治活動の中で、絹のハンカチがすり切れ、財産を失ったとか。
 一般国民は、40年間しゃにむに働いても得られない4億、5億の金が不明朗にやりとりされる政治家たちには、もうしらけきっている。その虚無感が、日本の未来をますます暗くし、自己中心的な社会にしていき、自己崩壊につながっていく。
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田舎もんのひがみ

2010-01-08 21:42:54 | つぶやき
 いや、実に変わるものですね。
 昨晩、久々に池袋まで出かけました。京成電車に乗って日暮里でJRに乗り換えて・・・。池袋の改札口から目的の場所まで、行ったり来たりで、やっと地上に出て一安心。何とか遅れずに着きました。
 さて、帰り。西武線側に大きな本屋さんがあって、その迷路の中でも行ったり来たりしながら、やっとJRの改札口。
 山手線の外回り、どうしてホームが微妙に傾斜があるのかな、なんて余計なセンサク。そのうち電車が来て日暮里で京成に乗り換え。
 京成電車日暮里駅。JRともども、改修工事が進んで、リッパなホームが完成したようす。以前と比べて、どうも乗り換えが不便というかエスカレーターがメインの感じ。ラッシュ時は、けっこう混み合うじゃないか(これは行きの感想)。
 それでなくても、京成本線(上野~青砥~千葉方面)。押上からの路線に比べて本数も少ないし、車両も短いし、行く先も中途半端だし・・・(そういえば、行きに乗った電車は、昔の型のままの古くさい電車。窓が小さく、鉄格子に囲まれた風情。これも、創立百周年の記念の電車のつもりか、まるでKY)。
 夜の8時30分過ぎでした。下りのホームに着いたら、ホームには人があふれんばかり。乗降口のラインに整列乗車もあったものじゃない。
 ふと向かいのホームを見ると、実に瀟洒、こぎれい。ゆとりのベンチも待合室もあって、それでいて、人っこ一人いない、静寂な空間。
 ははあ、これはスカイライナー専用のホームだな、外国人や海外旅行の人のために荷物も多いし、長旅だし・・・、いたれりつくせりでゆとりのホームつくりかって田舎もんでも分かりました。それにしてもごった返しているこのホームの状態は何だ!
 そのうち、アナウンス。「まもなく2番線に下り電車が到着します。4両編成の金町行き・・・。」だからこの混み具合なんだ、この時間に4両編成かよ(ブツブツ)・・・。
 すると、同時に一番線(?)の方からのアナウンス。「まもなく電車が到着します・・・」へ、向かい側にも電車が来るんだ。待てよ!えっ、何!一本の線路の両側にホームがあるじゃないか! そうです。下り線は1本しかないのでした。
 昔ながらの京成電車とこれからの稼ぎ頭(と目論む)スカイライナー。でも、この違いは、ちょっとないんじゃない。
 たくさんの乗客は、4両編成の古びた電車に次々と乗り込みました。
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関係者の話で、関係者によると、関係者、関係者・・・

2010-01-07 21:38:37 | つぶやき
 民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」が2004年に購入した土地を巡る問題で、同会の事務担当者だった石川知裕衆院議員(36)(民主)が土地代金として小沢氏から受け取ったとされる現金4億円について、東京地検特捜部の事情聴取に、「小沢先生のいるマンションに呼ばれ、先生から現金4億円の入った紙袋を手渡された」と供述していることが、関係者の話でわかった。
 関係者によると、土地取引を担当していた石川議員は、特捜部の事情聴取に「当時の陸山会には土地を購入する資金がなく、小沢先生に相談し、4億円を受け取った」と供述。さらにこの4億円について、「(04年)10月上旬に小沢先生に港区元赤坂のマンションに来るように言われ、先生から現金4億円の入った複数の紙袋を手渡された」などと説明したという。
 一方、関係者によると、陸山会は07年5月頃に4億円を支出し、石川議員の後任の事務担当者だった元私設秘書が小沢氏に渡していたこともわかった。この4億円の支出も同会の07年分の収支報告書に記載されておらず、政治資金規正法違反(不記載)の疑いがある。
 これは、「讀賣新聞」の記事。わずかの字数の中に、「関係者」という言葉がいかに頻繁に用いられているか!
 この「関係者」とは、検察関係者であることは明白。にもかかわらず検察の発表とは書かずに「関係者」とあいまいに表現する。いかにも独自取材によるかのように。
 しかし、他の新聞社の記事もほぼ同様。「関係者」「関係者」のオンパレード。「記者クラブ」に所属する新聞・マスコミ対して、検察側が意図的に情報を提供しているのではないか、と。その内容は、あたかも不正があった如く。
 直接、事情聴取を受けた本人からのコメントは、まったく載せられていない(本人が取材拒否してたため?)。だから、よけい「被疑者」扱いがまかり通る内容になっている。
 マスコミ(特に新聞)は、独自取材で例えば政治資金の問題を調査し、その裏付けを取って、本格的な記事として掲載する。TVは「やらせ」などを含め、そのへんはいいかげん。新聞の読者はその取材力に信頼し、記事を読む。どうもこの関係が、揺らいでいるような気がする。
 かつて、戦前戦後を通して、権力情報の垂れ流しと、お先棒路線によってマスコミの信頼性が失われ、国の行く末を謬った反省が、今も依然としてなさそうな・・・。
 憂うべきマスコミの退廃ではある。
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読書74「リンダリンダ」(鴻上尚史)白水社

2010-01-05 21:07:35 | つぶやき
 1997(平成9)年 4月、多くの漁業関係者、地元住民の反対を押し切り、諫早湾潮受け堤防の水門が閉ざされた。TV映像によって、ギロチンのように次々と扉が落下していくようすが視聴者にショックを与えた。その後、国営諌早湾干拓事業が開始され、堤防道路また農地改良などほぼ完成している。
 この事業の目的は「調整池及びそこを水源とする灌漑用水が確保された大規模で平坦な優良農地を造成し、生産性の高い農業を実現するとともに、背後低平地において高潮・洪水・常時排水不良に対する防災機能を強化すること」であった。
 しかし、この干拓事業は、その翌年、赤潮の発生によるノリの色落ちなど、有明海異変(1.水質浄化機能の喪失と負荷の増大、2.流動(潮位、流速,流向)の変化、3.赤潮の増加、4.貧酸素水塊の発生、5.タイラギ、アサリ等の減少、成育不良および稚貝の斃死、6.諫早湾の底質の変化(細粒子化、浮泥の堆積)と底生生物の減少)等、有明海の自然環境に急速で激しい悪影響を与え、特産品のノリを始めとする漁獲高の減少をはじめ、水産業振興の大きな妨げにもなっていった。
 その後、地元漁協からの赤潮と干拓の因果関係が判明するまでの工事の中断の申し入れや武部農水相(当時)が「全面見直し」方針を表明する。
 しかし、2002(平成14)年、漁民の反対を押し切って工事が再開された。
 10月、有明プロジェクト研究チーム(7大学と2企業80人)、「有明海異変」原因究明の中間発表(諫干事業により「生態系への悪影響が認められ、干拓事業の即時凍結を求めざるをえない」)。
 11月「よみがえれ!有明海訴訟」原告団(416人)が「諫早湾干拓事業の前面堤防工事差し止めを求める」第一次提訴を佐賀地裁におこなう。
 2004(平成16)年8月大規模な赤潮発生により、養殖アサリが壊滅的被害。工事差し止めの仮処分申請に対し、佐賀地裁は26日「一審判決にいたるまで、工事を続行してはならない」と命じる決定を出した。
 2005(平成17)年佐賀地裁工事差し止めの決定。
 ちょうどその頃に、劇作者・鴻上尚史は、「義憤」から何かをせねばならない、また何かが出来るはずだというメッセージをこの作品に託した。まさに「檄」である。
 だからといって、異常に高ぶった、過激な政治的メッセージがあふれているというわけではない。ザ・ブルーハーツの音楽作品(鴻上が上演する場合にだけ許可されるという)をふんだんに取り入れ、狂言回しとして生かしながらその歌の再解釈を行いながら、彼の問題意識という明確なメッセージを観客に圧倒的な迫力で伝えてきる。
 この作品を書き、上演した当時から現在、もう早8年近くが経過する。
 現在も、その被害状況の調査のために堤防を開門するという方針すら、長崎県と佐賀県では大きな意見の違いがあり、どちらも地元利益のぶつかり合いとなって、いまだに調査する等行われず、既成事実だけが先行している。
 そして、魚介類の減少など被害など、開門調査を望む、地元漁民達の切実な願いは次第に国民の目から遠ざけられつつあり、最近の両県知事の話し合いも物別れに終わった。
 一方で、この干拓事業は、これまでの公共事業のあり方、まさに、今話題の八ッ場ダムしかり。「走り出したら止まらない公共事業」そのもの、といえる。
 国は「事業を計画し着手するにあたって、最新の社会経済情勢や環境問題等に配慮し、公正で適確な情報に基づいて、厳正な評価を実施すべきである」にもかかわらずそれを十分に行わないことのつけ。
 ある時期にいったん実施決定した公共事業であれば、その後の社会経済条件の変化等を一切無視し、批判が強まると中間段階で事業計画や目的を変更し、それに伴う大幅な工期の延長と費用の増大を平然と行う。気がつけば、後戻りができないような、税金の莫大な投入とそれにたかる政・官・財の癒着構造・・・。地元民だけが国策という大義名分のために、右往左往させられる。そこにどうやって打って出るか(普天間も同様)。
 改めて、問題意識の持続とこだわりが大事であることを思い知らされる。
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6年前からつぶやき続け・・・

2010-01-04 19:50:17 | つぶやき
「ツイッターを始めました」鳩山首相つぶやきデビュー(朝日新聞) - goo ニュース
 2004(平成16)年9月1日からこのブログを始めました。「おやじのつぶやき」。それから5年過ぎ、「おやじ」から「じじい」になってもいまだに「つぶやき」続けています。今や「繰り言」に近い。
 一時は、「おやじのつぼやき」に代えようかと思ったり、ほとんど更新しなかったり、と適当に細々と続けています。
 そして、気がついたら、「ツィッター」なる「つぶやき」が大繁盛のよう。「つぶやき」もいよいよ日の目を見る世相に、かと。そういえば、gooブログの検索でも「おやじのつぼづけ」いや「おやじのつぶやき」もけっこう多いです。
 「俺ってたいしたインゲンいや人間じゃないし、たいしたことやってないし、影響力もないし、俺の発言なんから無視していいから」とかえってしたたかに自己主張する。まして「つぶやき」になんぞは、まさに人畜無害に近い・・・。それが、かえって絶大な権力であるマスコミ・TVなどへの、名もなき庶民の抵抗手段と思っていました。
 それが、今や日本国の最高権力者(母離れがいまだにできない宇宙塵いや人)が公に「つぶやき」やりとりするっていうのですから、世の中変われば変わるもの。それも140字以内(何が言えるのって感じですが)で・・・。
 このブログも実は5年以上前からの深謀遠慮があったと、自分をほめたい。
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初春を言祝ぐ

2010-01-02 06:36:56 | つぶやき
 「ことほぐ」を変換すると「言祝ぐ」。「寿ぐ」よりも実感に近い。元旦。近所の方、なじみの方に「おめでとうございます。今年もよろしく・・・」言葉を交わすことに大事な意味があるのだろう。
 年賀状もまさに「言祝ぎ」の風習。木曜日から金曜日に、12月31日が1月1日へと日付が変わっただけなのに、この日だけは、生活風習ががらりと変わる。日本人だけの伝統行事ではないようだが、この日をことさら「言祝ぐ(寿ぐ)」のは、昔からの日本文化独特。仏教に由来するものなのだろうか。
 「正月の一日は日の始め、月の始め、年の始め、春の始め。これをもてなす人は月の西より東をさして満つが如く、日の東より西へ渡りて明らかなるが如く、徳もまさり人にも愛せられ候なり。」とは日蓮聖人の言葉。
 我ら庶民。元旦に「今年こそは」と一年の計を立てるも、持続せず、いつしか月曜から日曜、1月から12月と、日めくりの如くに、日常の生活に埋没する。
 そうそう思いや願いが叶うものではなし、生老病死、四苦八苦という、まさに日常生活を送らざるを得ない。せめて元旦・三が日くらいは初志貫徹、祈願成就への心意気だけは持ち続けていきたい。できたら、その後も・・・。
 正月一日をもてなす、祝う心だけは失いたくないものです。
 写真は、元旦のスカイツリー。両毛号が通過中。工事も休みで、昨日12月31日とは何の変化もないのに、日本海側を中心に、雪による荒れ模様とはうって変わった、東京地方のすっかり澄んだ空にそびえている。
 現在250㍍。今年の春には、東京タワーの高さを超えるそうだ。
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年賀の代わりに

2010-01-01 19:54:17 | つぶやき
 ちょっと考えるところがあって、今年から、年賀状はぐっとしぼり、ごく少数の方に挨拶代わりとして出すことにしました。世話になった方、なかなか会えない遠方の方など、近況報告を兼ねて出さなければならない方も、多いのですが・・・。
 「今年もよろしく」「お元気でご活躍を」・・・、年初のやりとりで味わう、人間同士のふれあいの機微も大事だ、とは思います。ですから、毎年200枚くらい出していました(世間的に見れば、それほど多くないとは思いますが)。
 それでも、すでに定年退職して数年、世間のつきあいもそろそろほどほどにしておいた方がよさそうな(かといって、世間からもリタイアするつもりはありませんが)。
 ただ儀礼的なやりとりは、もう卒業してもよいのでは、という感じを持っています。「虚礼廃止」などという大義名分をふりかざすわけではなくて、これからは、世間のつきあいも自然体でいこう、と。
 昔はすべて手書き、白黒コピーに。そのうち「パッシャ」と、一世を風靡したあれは、何と言いましたっけ? そうそう「プリントゴッコ」。たしか理想科学とかいう会社の製品。ずいぶん重宝しました。今はもう生産中止?
 それがあっという間にパソコン。今や、カラーも写真も、ホントウにすばらしいできばえ・・・。
 初めは、差出人や宛先だけは手書き、そのうち、差出人もパソコン、絵柄もソフトを購入して、デジカメの写真入り・・・。せめて相手の住所だけは、手書きで。
 貰う賀状も、最近は、家族一同の写真が目立つようになり、そして、自分もそうですが、自分で撮った写真入りが・・・。メールでの挨拶も増えてきて、メールで返信(写真付き)。そろそろもういいかな、ていう感じです。
 そういうわけで、いっぱい買ったハガキが、けっこう余りました。郵便局に行けば、普通のハガキか切手に代えてくれるそうですが、今さらハガキや切手では、使用頻度も少ないし、行くのも面倒で・・。
 ということで、年賀状を年賀の代わりに、懸賞応募ハガキとして使うことにしました。はたして何枚当たるでしょうか? お年玉付き年賀状もせいぜい記念切手セットが2,3組でしたから、それほど期待はできないでしょう。
 そういえば、去年なんかは、その当選番号の確認すらしませんでした。こうしてだんだん世間の興味・関心から疎くなっていくのでしょうか。それではいけませんね。自戒!
 写真は、2009年12月31日のスカイツリーのようす。ちょうど東武電車が通過していきました。
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