朝から各政党の党首は
フジテレビ、NHK、テレビ朝日とはしごで
同じような内容の討論を続けていた
当然後になればなるほど話はこなれてくるが
討論の仕切り屋の存在の大きさを改めて感じることになった
誰が上手いとか下手というのではなく
確かに仕切り屋のカラーが番組に現れるようだ
それにしても、いつも思うのだが
政治家同士の話は噛み合ない事が多い
野党は攻撃的になるのは仕方ないとして
与党は意識的に話をずらしているからだが
こうして聞いてみると、そもそも討論という
文化が日本にあったのかと思ってしまう
それは多分相手側の言う事を認めない事から
始まっているからではないのかな
少しでも認めてしまうと話が不利になるので
前提としてのところも認めない
だから解釈が違うから話が噛み合うはずがない
だから話がドンドンそれていくだけで
みんながみんな大声出しただけみたいな印象がのこる
もっともそんな事は実生活でもよくある事で
一言で言ってしまえば日本人は
「批判される事に弱い」と言えないだろうか
だから過剰に反応したり、無視したり、話をそらしたり
何かで読んだのだがフランスでは討論の仕方を(政治家を目指すような人は)
徹底的に学ぶとか?
(だからフランス人との交渉は相手側のペースになってしまうとか)
批判される事は何も存在自体を否定される事ではないのに
日本ではどうもそうはとられずに
自分自身が否定されたみたいで頭にくる事になっている
討論の仕方、ディベートの仕方 そうしたものを
もっと若いうちに身につけるようにならないと
世界と渡り合っていけないし
自分のためにもならないのではないのだろうか?
フジテレビ、NHK、テレビ朝日とはしごで
同じような内容の討論を続けていた
当然後になればなるほど話はこなれてくるが
討論の仕切り屋の存在の大きさを改めて感じることになった
誰が上手いとか下手というのではなく
確かに仕切り屋のカラーが番組に現れるようだ
それにしても、いつも思うのだが
政治家同士の話は噛み合ない事が多い
野党は攻撃的になるのは仕方ないとして
与党は意識的に話をずらしているからだが
こうして聞いてみると、そもそも討論という
文化が日本にあったのかと思ってしまう
それは多分相手側の言う事を認めない事から
始まっているからではないのかな
少しでも認めてしまうと話が不利になるので
前提としてのところも認めない
だから解釈が違うから話が噛み合うはずがない
だから話がドンドンそれていくだけで
みんながみんな大声出しただけみたいな印象がのこる
もっともそんな事は実生活でもよくある事で
一言で言ってしまえば日本人は
「批判される事に弱い」と言えないだろうか
だから過剰に反応したり、無視したり、話をそらしたり
何かで読んだのだがフランスでは討論の仕方を(政治家を目指すような人は)
徹底的に学ぶとか?
(だからフランス人との交渉は相手側のペースになってしまうとか)
批判される事は何も存在自体を否定される事ではないのに
日本ではどうもそうはとられずに
自分自身が否定されたみたいで頭にくる事になっている
討論の仕方、ディベートの仕方 そうしたものを
もっと若いうちに身につけるようにならないと
世界と渡り合っていけないし
自分のためにもならないのではないのだろうか?