パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

若い人にさせたくない「悪い経験」

2007年07月22日 20時39分43秒 | Weblog
昨日のサッカーアジア杯 対オーストラリア戦は
急遽、夏の花火大会の警備にかり出されて観る事ができなかったが
残念な事にビデオ録画も失敗して、結果だけ新聞で見る事になった

この恨みの花火大会の手伝い、5時から9時半まで
立ちっぱなし、声出しっ放しは少しばかりキツかったけれど
いろんな発見もあって案外面白かった

任された仕事というのは、川沿いの桟敷エリアには
チケットを持った人しか入れず
入り口のところでチェックと桟敷の場所の案内をするというもの

今年は当日の開催も危ぶまれる雨模様で当然出足は伸び悩んだ
しかし、流石に有料の席を無駄にするのはもったいないと見えて
それなりに、ぼつぼつとやってきた
そこで、観客がチケットを持参しているか提示してもらうのだけれど
多くの人が一人一人チケットを持参するのではなく
誰かがまとめて持っていて、持っている人は先に自分の場所に行ってしまって
「今入り口に来ているから、そこまで来てほしい」
と携帯で連絡をとり合っていた
思わず笑えてしまったのは、入場券と選挙券を間違えて持ってきてしまった家族
引き返して取りにいくには片道30分かかると言い
雨で濡れた選挙券を見せてもらったが
この家族このエピソードは死ぬまで忘れないだろうから
考えようによってはいい思い出かもしれない?

さて、時間制限の桟敷エリアの入場禁止
この連絡が充分であったかどうか、
また前売り券制度が知られていたかはさておき
チケットを持たない人は入れないようにしなくてはいけないのだが
やはりこの約束事を守らない人が出てくる
正直に言ってしまえば、
「ここから先はチケット持参の方以外は入場できません」
程度の言い方では、それを守ってくれる人がいる、という前提なしには
とてもやっていけない
つまり、悪い事をしようとしたら、簡単にできてしまいそうな状況だった
しかし、そこで引き返したチケットを持たない人も多くいた
(いや大半のひとがそうだった)
ところが、やっぱり守らない人、知らん振りして通過しようとする人は
何十組といた
だが不思議な事に、チケットを持ってなくて通過しようとする人は
なんとなくわかってしまった
つまり、どことなくオドオド、コセコセした雰囲気があるのだ

なるほど、警察の人々はこんな挙動不審、表情でおかしな人間を見つけるのかと
妙に納得してしまったが
こんな風に表情に出てしまう人間性は、まだ救われるというか
結果として道徳の感情が存在したわけだから
完全によいわけではないが、我が国民の品格も末期症状でない事は事実だ

だが心配になってしまうのは若い中学生、高校生に
自分達がルールを守っていないという意識が少ない人が多く見られた事
見つからずに通過できなかったのはアンラッキーだったとしか考えていないようだった
そして、もっと怖いのは中学の女の子の方が男と比べて平気で堂々と
(悪い事をしてる様子を見せず)
通過しようとしていた事
上手いことバレずにしてしまえば、世の中はこんなもん、と
悪い経験になってしまわないか不安になってしまった
ほんの小さな事だが、ここで
「狡くてもいいのだ」と覚えてしまったら
彼ら彼女らのためにはならないだろうに!
勿論、聖人君子ばかりの国は、それはそれで住みにくそうだが
できるだけ特に若い子には
「狡くて上手くいく」経験はさせたくないものだ
しかし、世の中上手く立ち回った方が勝ち!等と
教えているのはいい歳をした大人の方だろう
困ったものだ!
コメント
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