パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

本に触発されて思う事

2007年11月05日 20時38分36秒 | Weblog
手強くてなかなか読み終える事ができない
「神は妄想である」
リチャード・ドーキンス   垂水雄二訳 早川書房

この本の内容の云々を言う前に、
触発されて、次に読んでみようと思ったジャンルや本が
進化論関連の本、それも最新のものとダーウィンが著したものと
もう一冊、ベルクソンの「道徳と宗教の二つの源泉」
ベルクソンのは前に一度読んだ事があったのだが
残念な事に内容は全然覚えていない
ただ読み終えた時、何故かしら、
あたたかい気持ちになれた事は覚えている

反対にこのドーキンスの本は徹底的に論理的であったりはするが
読み続けているうちに寂しい気がしてならない
理屈の上では天地創造の話などの無理な点は、
日本人である自分は何の抵抗もなくドーキンスの説に同意できる

しかし、キリスト教、イスラム教を批難する段階になると
かれは一神教の弊害を(特にキリスト教)例を出して広言しているが
実はその弊害と同じくらいの、善き事も、
それらの宗教は、実践せしめているのではないだろうか
との考えが浮び、そんなに簡単に同意できないでいる

いろいろ歴史や地理を学んでみると
どの民族にも宗教は自然発生的に存在しているらしい事が判る
という事は、それらが正しいかどうかは別にして
どうやら実生活の上で宗教は必要なものとなっているのではないだろうか

それにしても話は変わるが、世界の三大宗教の一つの仏教は
キリスト教、イスラム教と比べると平和的な宗教の様な気がする
仏教徒がテロなんて事は考えられないし、
そもそも帰依してくれなければ何々してくれないなどという
約束を前提とした宗教ではなさそうだ

自分は、多分一般の日本人並みの無宗教人だ
しかし、お寺や神社に行けば、拝んだり祈ったり
抵抗感なく(節操もなく?)行ってしまう

以前から自分なりに思う事、
それは随分ロマンティックな考え方かもしれないが
キリストも、マホメットも、仏陀も、プラトンも
実はみんな同じものを求めていたのではないかと言う事
だから我々のすべき事は
彼らの残したものを解釈するのではなく
彼らの求めたものを、同じように求めるとすれば
多少の意見の相違があったとしても
乗り越えられそうな気がしてしまうのだが

さて進化論 
どうも自分はこれが本当ではない様な気がしてならない
(勉強不足だから?)
だからといって天地創造が正しいなんて思わないが
自然淘汰だけでそんな風になるのか、
おおいに疑問だ
(同じ様な疑問は化石燃料である石油は
 動物の死骸の堆積したものと言う説)

自分もいい歳になってきたから思うのだが
教科書に書かれている事は
必ずしも正しいってことはなく
その時点で考えうる可能性としての結論みたいな所が
現実のように思える
だから結構素直に信じない事も増えてきた
(実験で再現性を確認できる分野の学問は違うけれど)

このへそ曲がりは今更変りそうもないが、
ま、これが自分らしいと言えば自分らしいかな



コメント
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