パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「あしたのジョー」の記憶に残っているシーン

2007年11月19日 21時05分29秒 | Weblog
「巨人の星」と「あしたのジョー」は
我々の世代が育てたと自負している漫画で
いわゆるスポ根の典型みたいなものだが
実際自分の記憶の中にも残っているいくらかのシーンがある

「あしたのジョー」では
力石との死闘やホセ・メンドーサとの戦いより
力石の死後テンプルにパンチを撃てなくなったジョーが
野生を取り戻した、次の試合だったと思うが
韓国の貧乏で悲惨なひもじい経験をした対戦相手に
「こんな経験をした人間にはとても勝てない!」
と思っていたのだが、それでも何か引っ掛かるものがあって
それが力石の生き様で
そのかわいそうな経験をした対戦相手は、
「食べたくても食べられなかった」のだが、力石は
「食べられるのに食べなかった。
 その結果自分の命を縮める事になっても
 自分との戦いに強烈な意志の力を持って取り組んでくれた」
そう、食べられるのに食べなかったのは
食べたくても食べられなかったのと何ら違う事のない
悲惨な、尊い行為で、その思い切り精一杯の努力をしてくれた力石の思いに応えるためにも、
この対戦相手には負けるわけにはいかない
と考え直して自分自身を乗り越えていくのだが
なぜだかこのシーンが一番覚えている
つまり若い頃の純な精神には、この精神が取り組んだ
「やせ我慢」が極めて格好よく思えたのだろう

それにしても、最近の若いものはみんな本音で語りすぎて
しょうもない、しかし、尊い「やせ我慢」をしなくなった様な気がするけれど
それも寂しい事だ

「武士は食わねど高楊枝」
武士でなくてもこのくらいの気位を持ってみたいものだ(?)


コメント
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