パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

昔を再評価する必要性について

2007年11月10日 22時10分53秒 | Weblog
最近のコンピュータ類の発展を見ると
人間はすごく進歩しつつあると感じざるを得ないが
過去の建造物など(ピラミッド、東大寺大仏殿など)を見ると
これまた反対の感情に引き戻される

果たして人間の文化は発展しているのだろうか?
発展しているように見えても実は
変化しているだけではないのかなどと
思わざるをえないのだ

実際ピラミッドも大仏殿も
あんなに重い石や木材をどうやって上まであげたのだろう
そして水平や強度などは、どうやって確保したのだろう
クレーンも便利な計算機もないというのに
それができてしまった過去の人間たちは
それはそれで凄かったのではないのか?
今の人間は道具がないと何もできないかもしれない

日本の昔の建築物は自然素材でおおわれて
それが健康に良くて
結果的に今風の作りと同じ状態になっている
こんな風に昔のことが今でも通用するという事が
いやむしろ昔の方がよかった事も多かったなんてことも
少なくないだろう
だから、いろんな事で
過去の見直しとその再現は
一度トライしてみる価値がありそうな気がする

それは科学の分野だけではなく社会的な分野、システムにおいても
言えそうだ

最近の社会システムは人間の限界を超えたスピードで
変ってやしないだろうか?

F1レースで車の性能が上がりすぎて
人がコントロールできる限界を超えてしまった時
規格を一段落落として再出発したように
本当は人間の社会もF1レースの様に
規格をテンポを落とすべきではないのか

最近は進歩についていけそうな若い人たちが
逆に一番そのテンポについていけていない様なことになっている
と見えるのは考え過ぎだろうか?
コメント
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