パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

先のことはわからないが

2008年07月22日 20時53分41秒 | Weblog
確定した未来として、人口減と高齢者社会がある

にもかかわらず、様々な計画がその未来を前提としていない
としか思えないことがある

自分も高齢者ではないが、その予備軍として思うことは
まずは買い物について
今はますます郊外型の大きなショッピングセンターができるが
果たしてあんな面倒な商業施設は
(つまり広すぎて歩くのが面倒だし、何がどこにあるのか覚えるのも大変だし
 それに駐車場からたくさん歩くのも面倒だ)
本当に将来性はあるのだろうか
なるほどそこにいけば一日中遊んでいられるので便利のようだが
果たして年配者はそんなに出ずっぱりでいられるのか?
結局これらの商業施設は若者相手にしているに過ぎない

だがその若者もいつか年齢を重ねていく
いやそこまで歳をとらなくても広い施設の中で
豊富な商品群の中からそこに行って選ぶなどという行動を
いつまでもするだろうかと考えてしまう
買い物は楽しい!と言う前提に立てばそうかもしれない
だが買い物が面倒と考える連中は(他に時間を使いたいと考える連中)
ただただ時間がかかってしょうがないくらいの感じではないのだろうか?
それに案外そこに行かなければ買えない商品があるわけではなく
ただたくさん並んでいるだけに過ぎない

だが確かに物を買わせようとする陳列、欲望の喚起は
大型商業施設は上手いことは事実だ
しかし欲しい物がなくなっている若者に対していつまでも
有効なものだろうか?

次にテレビ
必ずしもインターネットの所為だけではないと思うが
若者M1.M2.F1.F2の視聴率が下がっているという
前から言われていることだが、テレビは現在子供と老人のものになっている
しかしテレビ番組表を見ると、いわゆるゴールデンタイムには
若手を対象としたタレントの内輪話やお馬鹿タレントのクイズが
占めており一番の視聴者の老人向きのものはあまりない
それは購買者としての老人にテレビ局が魅力を感じていない所為しれない
だがそれにしてもテレビ局のこの横並びの体質は
(クイズ番組オンパレード、しかも出演タレントも同じ
 また政治がらみの番組もこれまた出演者が同じ)
自殺しているのと同じではないだろうか
どこかで成功した番組を真似て、
実績があるからと言って当事者は安心しているが
その実テレビ局は見られない番組をあえて作っているみたいにさえ思えてくる

人々がテレビを見なくなる
これも社会が高齢者社会になるのと同じくらい確定した未来の様な気がする
情報は勝手にやってくると言うより
欲しい情報をこちらから能動的に探す様になる

どんなものにも寿命があって
国家のそれ、テレビ局のそれも例外には漏れないだろう

いつまでも拡大を前提とした考え方は
改めなければならないと思うのだが、、、

コメント
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