パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

比較は不幸の始まり

2009年12月29日 18時35分11秒 | Weblog
最近本当にCDを聴いていない
聞くのは専らレコードばかり

昨年EAR 834P-5 のフォノイコライザーに
C&R Woodham 2.0 300B 真空管アンプにしてから
レコードの良さを再確認して
いやそれどころかCDの音が嫌になってしまって
どうせならレコードの音を自分の範囲内で行けるところまで
追求しようとプレーヤーもノッティンガムに替えてしまって今に至っている

電源はCDプレーヤーも入れるけれど
どうしても触手が動かない

しかし、これではまずい!と思い直して
CDも聴いてみた
久々なためか「あれっ!割にいいかも!」
と感じたのは意外だった
スッキリ、綺麗な音だ、濁りの無い、、

しかしその後でレコードをかけると
「やっぱり!だめだ!」
音の暖かさ、柔らかさ、音色、密度が違う

どうも比較するものがある事自体が
不幸の始まりのようだ
便利なCDの世界しか知らなかったら
それで良かったのかもしれないが
レコードの音を知ってしまったがために
なにか物足りなく思えるようになってしまう

3週間ほど前、名古屋に出かけて百貨店をぶらついた時
自分の着ている服が周りにいる多くの客の人達と比べて
やたらと古臭く野暮ったいと(最近少しも買っていなかったので)
すこしばかり恥ずかしくなったが
これも比較するからそんな風に思うだけで
人と比べることをしなかったら
別に不安感など感じずに済んだの違いない

物事は残念ながら絶対的というより相対的!
比較するものがあって、そこから様々な判断が始まる
確かに、比較することによって進歩すること、変化することも促される
しかし、不幸の始まりになりうるのも、これまた事実

というわけで最近の自分のスタンスは
人と比べない!
開き直りではないが、それでいいのでは
と思うことにしている

こんなはずではなかった!
と思うようなことは、ないことはないが
他人と比較して自分の生活がよくなるわけでもないし
ある種の諦めもできるようになっている

しかし、そうはいうものの
時に比較の魔力は人を強く惑わす
自分をコントロールするのは難しい



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする