パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

出てくる、出てくる

2013年11月03日 08時53分08秒 | あれこれ考えること
今一番ヒヤヒヤしているのはホテルの料理関係者かもしれない
ウチは大丈夫だろうか?
ばれないだろうか?
どのタイミングで発表しようか?
そんなホテルがないことを望むが、現実的には
残念な可能性の方が高いのではと思ってしまう

伝達不足・知識不足などなどいろいろ言い訳があっても
後々の罪に影響があるのできちんと言うことが出来ないとしても
現在の説明は他人の目からすれば偽装以外のなにものでもない

問題は、この現実を放置したのか
意図的にしようとしたのかという点

ここで極論だが、組織内で出世しそうな人間は
割合危うい判断を犯す可能性が高いのではないか
言い方を変えれば妙な度胸がある
儲けるためには少しくらいの危険は仕方ない
そのように考えてしまうような

組織内でなくても経営者、政治家も
この傾向が強いのではないか

それがいいとか悪いとか言うのではない
ただそういう傾向がありそうだ
ということ

正直にやっていると儲からない
この現実は小市民の生活感の中には染み付いているだろうが
普通はそれでも危険な判断には思い切ることが出来ない

正直にやっていれば儲かるようにするにはどうすればいいのか
もちろん正直な商売は継続の可能性が高いが
それも競合相手との関係で万全とはいえない

消費者はどうしても短期的な視点でモノを判断してしまう
モノの正当な評価は難しい
正当な評価をするための判断力を増すためには
常識力が必要ではないのか
そして共感力

100円で、とても考えられないような商品が存在する
(どう考えても不思議な気がする)
賃金の安い海外で生産しているから可能なんだ
と説明されても、どうも割り切れない気持ちが残る
そこには公平さはあるのだろうか?
フェアトレードとは平等とかいう観念はあるのだろうか
一部の経済関係者だけの理屈で回っていないか

しかし、ここまで世界が来てしまっていると
なかなかその現実を変えることは難しいのが現実

ならばどうするか?

ロマンティックな考え方だが、
人が共感力を持つようになれば少しは良くなりそうな気がする
つまりリベラルアーツの部分の強化

今は経済は判断基準が全てになっている
経済発展さえすれば全て良くなると考えている政治家が
主導権を持っている

しかし、経済だけでは幸せを感じないと実感したはずなのに
この国はまた旧来の価値で進もうとしている

なんだかな、少し落ち込んでしまいそう
理想という言葉があるのは、今が理想の段階にないからの裏返し

普通に生きる
お天道さまが見ているから恥ずかしくない生き方をする
昔は当たり前だった考え方を、無理な教育などしなくても
持つようにするにはどうしたらいいのだろう、本当に

ホテルの偽装表示などしないのが当たり前
と考える経営者が多くなるには
どのくらい人間力を上げなければならないか

コメント
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