パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

レッド・ローズ・スピードウェイを久しぶりに聴いて!

2013年11月24日 19時06分51秒 | ポール・マッカートニー
19日のポール・マッカートニーの東京公演から数日経ったが
この頃は「おさらい」を兼ねてレコードを引っ張りだしている
今日珍しく聴く気のなったのは

マイ・ラブが入ったこのアルバム

しかし、マイ・ラブはそんなに好きではないし
記憶に残っていることといえば、
散漫なアルバムだったという感じだけ
アルバムの中で当時まずまずかなと思ったのは
「ワン・モア・キッス」
ポールが時々見せる鼻歌の感じの曲
結構心地良い
「ファースト・インディアン・オン・ザ・ムーン」
シンセサイザーの宇宙的な感じだったな!
ということが記憶に残っている

で、今日聴き始めたら
最初の「ビッグ・バーン・ヘッド」
そうそうこんなんだった、割合面白いじゃないか
流して聴いていても傑作とは言えないまでも
充分楽しめる

途中は飛ばして

「ホエン・ザ・ナイト」
イントロから続くキーボードは「オー・ダーリン」を思い起こさせる
ライブで演ったら違和感ないかも

得意のメドレーの中では
「レイジー・ダイナマイト」がわかりやすいメロディーで
ポールでなくても歌ったらとても気持ちよさそうな曲
聴く楽しさよりは、身体的・精神的な快感が得られそう

ところでこのメドレーのまとめ方
まるでベートーヴェンの第9みたい
あるいはブルックナーの第8番終楽章みたい
つまり先行するメロディーが全て回帰する
その効果・統一感はなかなかのもの

ポールはベートーヴェンを意識したのだろうか
それとも、そうすれば劇的な効果と統一感が得られると
感じとってこの方法を採用したのか

メロディの回帰は
アビーロードでも「You Never Give Me Your Money」のメロディが
突如として復活する部分があるがこれもとても効果的

バンド・オン・ザ・ランのメドレーでも
特徴的な「ホ・ヘ・ホ」のフレーズが回帰する

ついでに思い出したのがチューリップのアルバム「テイク・オフ」
ポールの影響を受けている財津和夫はメロディの回帰・同時演奏を行っている

ということで、散漫に思えたこの「レッド・ローズ・スピードウェイ」も
やっぱりポールの技術的な好みの部分がしっかり味わうことができる

思いがけない発見があるから
自分の評価の中では中途半端なアルバム
「Back To The Egg」
「McCartney II」
「Press To Play」
この際も聴いてみようかな





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ポール・マッカートニーの動画から連想すること

2013年11月24日 08時22分52秒 | ポール・マッカートニー
ポール・マッカートニーの公演
確か動画の撮影と録音は禁止だったはず
(携帯での撮影は許可されていたが)
それは大阪でも福岡でも東京でも一緒

ところが、Youtubeには動画がアップされている
明らかに高性能なカメラでの撮影
来年に放送するスカパーがらみなら理解できないこともないが
明らかに素人の映したもの

問題は困ったことにその動画を見て喜んでしまう人達がいるということ
行けなかった人が感謝のコメントをアップしたり
体験した人があの感動を振り返ったりできている
自分も客観的に眺めれば、感動を振り返って喜んでいる気持ちが
存在するのは事実

でも、肖像権やら著作権やらの関係、あるいは主催者の営業的な面からも
個人で楽しむならまだしも、動画にアップしてしまうのは違法

そしてその違法の行為を堂々と行っている人たちがいる
個人で楽しむより、みんなに感動を共有してほしいと思った人もいれば、
単に興味本位で自己顕示欲が強いだけの人もいるに違いない

ここで問題は、結局のところ規則は守られないということ
その規則自体の良し悪しは別として
多分、あらゆる規則は守られない
守られないから破ったものには罰則を考えるが
それでも守られない

残念ながら人間ってそんなもの

最初のうちYoutubeで勝手にアップされて困った音楽関係者も
時間が経つと、それが結果的にプロモーション活動になって
実際のライブ入場者数が増加したと言う例がある

そんな効果もあって、結局、禁止されていたことは
押し流されるように歯止めが聞かなくなり
いまや自ら積極的なYoutubeの活用は大事な販促ツールとなっている

ところで今回のポール・マッカートニー動画
これは日本だけじゃなく他の国でも同じようにアップされている
カメラ・ビデオ撮影の禁止は日本だけの規則とは考えられないから
どの国も規則を守らない人がいるということ
そして、アップされたものを喜ぶ人がいるということ

自分はアップされたものを見ると
確かに振り返ることは出来るが
あの現場で感じた濃密な時間は、
やはりあの場所でしか感じられない
つまり、物足りない
という思いに至る
(しかし、ものすごく不満かといえばそんな事はない)

さて、ここでの結論
以前にもブログにアップしたけれど
人間は必ず規則を破る
間違いを犯す
そして自分とは無関係であると思っていた悪いことも
それを犯すのは特別な悪い人間なのではなく
誰でもちょっとしたキッカケで悪いことをしてしまう
可能性があるということ
(文学と言われるものには、そのところを扱っているものがある)

銃が悪いのではない
銃を持つ人間の問題だ
アメリカの銃規制に反対する人たちの論旨
しかし、一番の問題は
その人間が一番信用出来ないということ

原発でも同じ
何重に安全性を確保したつもりでも
そこに関わる人間全てが100%きちんと規律を守る
と言う可能性はおそらくないだろう

仮に直接関与する人たちはいいとしても
間接的に関与する人たち
事故が起きた時に関与する人たち
そうした人がずっとまともに活動するとは考えにくい

飛行機でも確率論的に管理をして運行しているが
それでも結果的に人為的なミスにより
やはり事故は起きる

原発推進に関して一番の不安は
物理的な安全性というよりは
人間に対する不安感の方が大きい

いざとなったらちゃんと上手くいく
と考えられないこともないが
いざとなったら即お仕舞い
と考えられないこともないので
やはり人間の限界を超えたものとして
原発の稼働をタブー視するのも人間の知恵のような気がする

それにしても、ポール・マッカートニーの動画の話から
反原発の話への展開
いつものように変な連想に終始
これは癖だから仕方ないか?



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