3.11の原発事故の報道(特にテレビ)
あの時イライラを感じた人は少なくない
今どうなっているか、正しく伝えられているか
といった焦燥感ではなく
メディアのアナウンサーと原発の事故を説明する人の
噛み合っていない会話の様子は今でも記憶に残っている
簡潔に説明することが上手いアナウンサーやテレビ局も
原発のそもそもの知識が足りない
だから質問をしようにもどんな質問をしたらいいか分からない
一方説明する側の人間も素人に分かるように話す機会が少ないので
つい普段の仲間内に話すような難しい話をしてしまって
結局報道的にはちんぷんかんなことが多かった
もっと根本的には一般の人は原発のことは何も知らなかった
流石に原発のシステムの細かいことまで知ることは難しいとしても
想像される危ういことが起きた時にどうするのか?
といったことも、その説明を理解する能力も、そしてその教育も
何にもできていなかった
分かっていたと思っていたのは多分安全、確率0.00何%で安全だろうということ
それも大本営発表のものを丸呑みで信じていただけ
つまり、庶民は何も知らなかったということ
そこで話を経済に転じた場合
この原発の報道と同じことが起きていないだろうか
つまり経済は難しい 特にマクロ経済や国際情勢と金利との関係
為替の問題、そんなものは一般人は分からない
一般人に分かるのは生活者としての実感だけ
しかし、報道は統計の数字を基に今の経済状態を報道する
だがこの統計というものが曲者で
深くツッコミができない素人は、ある意図を持った数字や概念に概念に
つい騙されそうになる
ここで言いたいことは原発の時と同じで
報道側も実は経済の仕組みを理解して報道しているのではないということ
単にお上が発表することを無批判に垂れ流しているだけということ
わかりやすく説明することの得意なメディアは
しかし自分で責任をもつことは嫌うために
誰かに話を聴くという形をとる
(しかも、どの局も同じ人物だったりして)
原発も経済も実は何も分かっていなかった
人はただお上の言うことを信じていただけ
そのお上は信じるに値するかと言えば
これがまた怪しくて、規律委員会を設けなければならないような
あてにならない、いわば人間的な世界
こんな風に考えると絶望的になりそうだが
今できることといえば、やっぱり一歩づつ真実を知ろうとすることしかない
原発に必要な知識はなにか
どんな風に安全性を確保し、準備し、対応していくか
経済の実態が何故自分の実感と大きく異なるのか
お上の発表はほんとうに正しいのか
別の角度からの解釈ができるのではないのか
そして報道にもこうした姿勢を求めていくことが
何よりも必要と感じる
わかりやすく理解するのではなく
難しいよううでも本質をつかめるような理解の仕方
庶民がそういうものを求めない限り
報道は庶民なんてものはこんなものだ
と見下したような姿勢をしてしまわないか
報道の力は国のインテリジェンスを表すとしたら
この国、日本はいったい大丈夫なのだろうか?
あの時イライラを感じた人は少なくない
今どうなっているか、正しく伝えられているか
といった焦燥感ではなく
メディアのアナウンサーと原発の事故を説明する人の
噛み合っていない会話の様子は今でも記憶に残っている
簡潔に説明することが上手いアナウンサーやテレビ局も
原発のそもそもの知識が足りない
だから質問をしようにもどんな質問をしたらいいか分からない
一方説明する側の人間も素人に分かるように話す機会が少ないので
つい普段の仲間内に話すような難しい話をしてしまって
結局報道的にはちんぷんかんなことが多かった
もっと根本的には一般の人は原発のことは何も知らなかった
流石に原発のシステムの細かいことまで知ることは難しいとしても
想像される危ういことが起きた時にどうするのか?
といったことも、その説明を理解する能力も、そしてその教育も
何にもできていなかった
分かっていたと思っていたのは多分安全、確率0.00何%で安全だろうということ
それも大本営発表のものを丸呑みで信じていただけ
つまり、庶民は何も知らなかったということ
そこで話を経済に転じた場合
この原発の報道と同じことが起きていないだろうか
つまり経済は難しい 特にマクロ経済や国際情勢と金利との関係
為替の問題、そんなものは一般人は分からない
一般人に分かるのは生活者としての実感だけ
しかし、報道は統計の数字を基に今の経済状態を報道する
だがこの統計というものが曲者で
深くツッコミができない素人は、ある意図を持った数字や概念に概念に
つい騙されそうになる
ここで言いたいことは原発の時と同じで
報道側も実は経済の仕組みを理解して報道しているのではないということ
単にお上が発表することを無批判に垂れ流しているだけということ
わかりやすく説明することの得意なメディアは
しかし自分で責任をもつことは嫌うために
誰かに話を聴くという形をとる
(しかも、どの局も同じ人物だったりして)
原発も経済も実は何も分かっていなかった
人はただお上の言うことを信じていただけ
そのお上は信じるに値するかと言えば
これがまた怪しくて、規律委員会を設けなければならないような
あてにならない、いわば人間的な世界
こんな風に考えると絶望的になりそうだが
今できることといえば、やっぱり一歩づつ真実を知ろうとすることしかない
原発に必要な知識はなにか
どんな風に安全性を確保し、準備し、対応していくか
経済の実態が何故自分の実感と大きく異なるのか
お上の発表はほんとうに正しいのか
別の角度からの解釈ができるのではないのか
そして報道にもこうした姿勢を求めていくことが
何よりも必要と感じる
わかりやすく理解するのではなく
難しいよううでも本質をつかめるような理解の仕方
庶民がそういうものを求めない限り
報道は庶民なんてものはこんなものだ
と見下したような姿勢をしてしまわないか
報道の力は国のインテリジェンスを表すとしたら
この国、日本はいったい大丈夫なのだろうか?