パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

みんながまじめに行う、とは限らないリスク

2014年10月05日 19時37分49秒 | あれこれ考えること
先月の9月から3ヶ月間 
総務省統計局の全国消費実態調査のアンケート対象世帯になって
毎日の家計、収入・支出を所定のノートに記入している

当初簡単に引き受けたもののこれが案外面倒くさい
まず最初に世帯調査 家が個人所有か借家か、そしてその面積は
働いている人間は何人か
家にはIH、床暖房、エコキュートはあるか、そしてそれはいつからか
といった基本的なものから
現在家にある現金の額
そして毎日の収入と支出の出入りの明細
給与や年金が振り込まれた場合は一旦現金収入として
銀行に預入と言う形で支出扱いにする

この辺りは慣れてくると、
なるほどこれでお金の流れは理解できるようになるかもしれない
と思うようになる

この調査の面倒なところは貰い物があった時のこと
何かのプレゼントを頂いた時、その品物の市況価格を
記入することになっている
これがつい忘れてしまいそう
お隣さんから野菜の差し入れなんかがあった時は
よほど気をつけないと忘れてしまう

と、ここまで書いて
この面倒な作業を対象となった家庭はみんな正確にやるだろうか?
こんな疑問が湧いてきた
とりあえず自分はまじめにやることにしているが
貰い物などは、ま、記入しなくてもいいか!
との誘惑に負けそうになる
そうでなくても、自分が完全に正確にできているかは
怪しいかもしれない

全国でどのくらいの人大が対象となっているかしらないが
すべての人がまじめに正確にできているとは考えにくい
そして同様に、この面相臭い調査を集計する人も
真面目な人ばかりとも考えにくくはないだろうか

つまり統計局の人たちもいろんな人がいて
横着な人間は大雑把な集計しかしないのではないか
と思ったりする
もちろん、その確率は少ないだろうけれど
人間の社会は正規分布に従って
まじめに行う人と同じ確率でいい加減な人々が出てくると
考えるほうが本当ではないかと思ってしまう

統計は最初からある確率の誤差を含んで
ある範囲内の数字を算出しているが
実際当事者としてこの調査を行うと
統計局の数字は目安にはなるかもしれないが
本当のものかは少し怪しい思いが抜けないのが本当のところ

そこで更に連想することは原発のこと
原発を安全に稼働するためにいくつかの過程がある
ところがその過程は全員がまじめにきちんと行うことが
前提になっているとしたら、それは少し怖いことではないか
もちろん何重にも危険回避が行われるようになっているに
違いないだろうけれど、最終的には人間が行うと言うリスクは
システムの良し悪しを越えてどこか怖いところがないか

飛行機の安全性も同じこと
そんな風な声も聞こえそうだが
原発は一度やったら取り返しがつかない
次に活かそうなどという余裕はない
それなのに、統計的にいい加減な人間の含まれる可能性のあることを
実行しようとするのは、とても怖いことのように思えてならない

つまり以前にもここで書いたことがあるが
「人間というリスク」をどこかで認めないと
取り返しの付かないことになってしまいそう
と思うのは杞憂だろうか
コメント
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