パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

パルジファルの感想 その2

2014年10月13日 08時57分06秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)
新国立劇場のパルジファル公演
自分が見たのは10月8日
せっかくの貴重な体験、その感想を語り合いたい
と思ったが、最近はその代用となるような便利なものがある

ヤフーの検索で「パルジファル」と入れて
リアルタイムで検索すると、ツイッターのつぶやきがを
見ることができることができる

つぶやきだけではなくて、
ツイッターとブログを連動している人もいるので、
もっと文字数の多い感想をそこから見ることができる

そこで、公演後急いで帰った消化不良を紛らわすことになるのだが
やはり当たり前といえば当たり前だが、良かったと肯定的な人もいれば
全体的には少なめだが否定的な人もいる

自分はたくさん見て、比較できるほどの知識の絶対量がないので
ただ漠然と見た感じの印象を述べることしか出来ないが
どちらかと言えば、「これもあり」といった印象
仏教徒の存在はイマイチ 総合的な理解は出来なかったが
舞台は近代的な抽象的なシンプルなもので
細かく説明的であるよりは勝手にいろいろな想像ができる分だけ
却って音楽に集中できたかも知れない

この演出の賛否の別れとなるのが第3幕の最後の部分
アンフォルタスは聖槍で傷口をなぞっておらっても治らず死によって救済(?)を受け、
クンドリーは泣くことができるようになって安らかな死による救済を得るのではなく、
グルネマンツとパルジファルと三人で仏教徒の袈裟を身につけ城から去っていく

確かに意味深長な感じはするが、少し考え過ぎのような気がしないでもない
ヴァーグナーが晩年仏教に興味を抱いて、その部分を反映させたのかもしれないが
やはり取ってつけたような気がしないでもない

このパルジファルという舞台祝典神聖劇
自分が気に入っているのは音楽の響き
バイロイトの劇場の響きを前提にヴァーグナーが作曲した音楽は
刺激的な生々しい音ではなく、どこかふくよかないい具合にブレンドされた感じ

そして少し芝居がかっているが、ついつい惹き込まれてしまう神聖なシーン
音がコーラスが上昇する音階の部分 ここは何度聴いてもうっとりしてしまう
ヴァーグナーの魔力そのものだが、魔力はクンドリーがパルジファルを誘惑するところの
まとわりつくような音楽もたまらない

この物語で一番気になるのはこのクンドリー
彼女は救い主を見た時、笑ってしまった
(それがつい笑ってしまったのか、嘲りの意味なのか)
とにかくその行為を救い主と目があって永久に咎められることになる
この彼女の設定が自分には非常に興味深い

特に、笑ってしまったのが軽蔑や嘲りではなく
つい笑ってしまったとしたら(その奥にある心は問わないこととして)
そして、こんなことは割合あり得ることなのではないか
と思うと、彼女の苦悩はより現実的なものとなる

でも救い主も笑われたから、ずっと彼女を苦しめるというのも
どこか心が狭い気がしないでもない
今の自分の年齢になると原因があって結果がある
それがためにクンドリーはしかるべき状態にあるのは当然
と頭で理解できても、もう少しおおらかでいいのではないか
とさえ思う(もっともそれでは物語が出来ないが)

飯守泰次郎指揮の音楽は
10月8日は多くの人が指摘したように1幕の途中から
調子が出てきて、圧巻は第2幕
これには同意する
クンドリーの誘惑部分は凄い説得力
自分なら参ったかもしれない

3幕の聖金曜日の奇跡の音楽は、
期待した分だけ評価が厳しくなって、もう少しやりようがあったのでは
と思わないでもない

しかし、ヴァーグナーの魔力はすさまじい
ルードヴィッヒ2世がヴァーグナーに夢中になるのも
彼が感受性が強いだけに大いに理解できる

関東の人はつくづく恵まれていると思う
自分のように一日仕事
(そして交通費もしっかり使っての)
ではなくて、思い立ったら見に行けるなんて
(当日券を手にしたり)
羨ましい限りだ





コメント
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