パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

新城市の話題2件、軽トラ市と新市庁舎問題

2015年01月25日 21時41分16秒 | あれこれ考えること

新城市の第4日曜日は市の中心地で軽トラ市が開催される
今日もいつものつもりで、キムチと惣菜と何かを購入の予定で
出かけると、なにか雰囲気が違う

まず駐車場が確保できない
最初近くのピアゴで買い物をしようと思ったが
10時半の時点で駐車場は満杯
何事があるのかと思い、そこは諦めていつもの
市役所東の駐車場に出かけてもやはり満杯

どうなっているのだと、少しイライラしながら
文化館感の駐車場に止めて現地に出かけた

ところが

なんという人出
いつもなら楽々歩ける道が人とぶつかってしまいそうな勢い
店も順番待ちの人が並んでいる
早くも商品が無くなったところもある

一体何があったんだ

のんすけのいる場所で商工会のメンバーにこの人出の理由を聞いて着ると
どうやらテレビでこの軽トラ市の紹介があったせいとのこと
番組はCBCテレビの花咲タイムズ
そういえば先月確かにCBCのテレビが取材しているシーンを見かけた

結局、放送されたのが昨日なのかもっと前なのかは分からないが
テレビの影響ということには間違いがなさそう
改めてテレビの影響力は大きいと実感

しかしmこれで来月はどうかというと
きっと元通りの人出
今日良かったから来月も来てくれる
これが理想だが、テレビで集まった人はフットワークは軽いが
固定客にはならない

本当は着実な人出のアップが望ましいのだが、、
でも、話題になった分だけ主催者としては儲けものか

そして今日の後半は
新城市の新市庁舎の建設の問題

これは従来から少し話題になっていた
最初は新市庁舎の建設場所の問題
立退きになる人々の不満から問題が発生した

現在、視聴者の基本計画の見直しを問う住民投票を行おう
と言う動きがある
彼らの話は極めてわかりやすい

まず、現在計画されている市庁舎の規模
5階建て9000平米 50億
これが果たしてこの市の規模に適切かどうかという点
この計画の見込みでは市の人口は5万人余の予定
しかも、作手と鳳来町の役場が新市庁舎の中に設けられることになっている

しかし、作手と鳳来町の支所はリスク分散やら利便性の理由で
新市庁舎には入らない事が決定
そして人口も数年後の新城市は3万人台に突入
市の収入も所得税から入るものより固定資産全から入るもののほうが多い
相手県内では唯一の消滅都市に上げられている

つまりどう考えてもこの規模は必要ないということ
そして計画の50億も消費税が上がり見積以上は目に見えている

国からの交付金は期待できるのは現実には20億ちょっと
しかもそれは一括ではなく、10数年にわたって少しづつ
だがゼネコンには一括して支払わなければならない
果たしてそのお金が市にはあるのか
今既に多額の借金状態というのに、、

冷静になって身の丈の市庁舎をと唱えても
なかなか一度決めた方針は市長も市も変えようとしない
ところがその計画も該当する地区が都市計画法にひっかった
つまり9000平米の建物は建てられない
用途変更をすれば可能だがそれには時間がかかりすぎる

そこで生み出したのは強引な手法
無理やり敷地を拡大
現在の東庁舎と道路をいっしょにして問題をクリアしようとするもの
しかもその結果できる道というのは全く不便な遠回りを強要される道

なんだかおかしいぞ!
普通の神経ならこんな風に感じるはず

さてまじめに将来の人たちに負担を残さないために
再考を願う人達は、まずは穏健な方法で住民投票の実施を考えた
市の条例でとんでもない数の署名を集めなくても住民投票の実施が
可能になるかもしれない方法

ところがここにも落とし穴が
この住民投票をしてもよいか悪いかを判断する機関が存在し
その相談の結果を市長に挙げて市長の判断を仰ぐというもの

どう考えてもこんなのはまじめに取り扱ってもらえそうにない
文句を言われる本人が文句をいう投票を許すはずがない
こんなのを知ってしまうと一旦権力を持ってしまうことの恐ろしさを感じてしまう

条例で展開しようとした方法の会議は
非公開、そして結論はドロー、つまり判断せず
これはそのまま現状を認めるということ

明らかに全ての前提となる見込みが違っているのだから
計画は見なおしてしかるべきと思うのが
決まったことだからと推し進めていく

これは、この国の政治そのものではないのか
まず市場分析やら見込みの数字なんてものに責任なんてものは存在しない
外れたところで、その時には見込みを正確に読むことは不可抗力だった
の一言で誰も責任をとらない

これが一般の企業なら責任は負債、はては倒産と言う形になり
深刻な責任は負わざるをえない
しかし、これらのシステムは誰も責任がない

そして足りなくなった分は税金でまた取り上げるだけ

正直なところ今までは代議員制度とか
自分で全部できないから人任せにして責任ある行動をとってもらえる
ものだと思っていた(国でも市でも》
ところが実際は全然そうではない
誰かがチェックしないと相当いい加減に進んでいくことがわかった

話は市の問題に戻って
本当にこのまま莫大な費用を使って良いのかと考えてしまう
市長選当時は現行案での新市庁舎の建設は
市議会議員でも賛成反対が半々だったのが
どういうわけか今は見直し派は少数に

この状態を眺めるだけで諦めることは
この国の将来も諦めることになりそうな気がしてならない

この国は秘密保護法案、集団的自衛権、憲法改正への動き
防衛費の増大、歴史問題の解釈再考、積極的平和主義、武器輸出
何処に向かっているかは目に見えている
そして国民には経済さえ良ければ不満はないはずとの態度

これは危なっかしくて仕方ない
これを見過ごすことは出来ないが
この問題と同じことが新城の市庁舎でも言える

ただ黙って成り行きを見過ごすだけでいいのか
大人の責任、気づいた人のなずべきことは何か
人は社会的生物と言う言葉が頭に浮かぶ

社会に対して何かしなければ
つくづく思う
そしてそれにはもう時間がなくなってきている

 

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300Bの音の違い

2015年01月25日 08時35分18秒 | オーディオ

自分は病的なオーディオマニアではない
基本的に一番大事なのは音楽
それが良い状態で聞ければ特に問題はない
と思っている

しかし、時々オーディオの何かを少し替えてみると
その音の違いに驚くことがある 
それで音楽の印象、演奏の良し悪しまでも変わってしまいそう
だからオーディオは過小評価することは出来ない 
しかし無制限にお金をつぎ込むのは
財布との関係でできそうにない

そこでささやかな違いを発見するために
今日は300Bの真空管を昨年購入のフルミュージックのものから
ウエスタン・エレクトリックの復刻版に替えてみた

 (フルミュージック製の300Bを装着したアンプ)

このアンプを購入時はウエスタン・エレクトリックの復刻版を
使っていたが、何年か使っていたのでバック・アップのために
フルミュージックのものを購入して、エージングも兼ねて
我慢しながら聴き続けていた
このフルミュージック製は音はパワフルだが
繊細さとかまろやかさは今ひとつ

ロックなどの音楽は問題は無いかもしれないが
クラシック音楽は少しギンギンしすぎて辛い
でも慣れてくるとこんなものか
慣れなくてはと言う気持ちもあって惰性で聴いていた

ところが今日ウエスタン・エレクトリックのものが寿命が来たら
その時はその時
自分の方が先になんてこともあるかも知れないので
などと開き直って(?)当初の状態に戻した
つまりウエスタン・エレクトリック復刻版に戻した
 

そしたらどうだろう
大正解!
音の品の良さがまるで違う
木管楽器の音色、全体の柔らかさ 
わずかだがなかなかそこまで辿りつけない差のようなものが
感じられる

さて困った
これに慣れてしまうと
再びフルミュージック製に戻るのが怖い

それにしても、オーディオマニアの気持ちも
分からないではないと
改めて感じた次第 

 

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