先週の「おんな城主 直虎」の最後の短い縁の地紹介コーナーで
地元(新城市)の野田城が紹介された
数年前に出かけた時は、ひどく荒れ放題で古びた看板があっただけで
木々に囲まれて、想像力も働かないような、鬱蒼として放ったらかしの状態だったが
地元の有志のお陰で(木々の伐採、草取り)、NHKで紹介されても恥ずかしくないような
確かにお城はあったんだろうな、、と思わせるところまで来ている
地元でなんとなく知っている、、といった史跡などは、損得関係なしの
ボランティアの方々が、勝手に楽しんで(?)やりがいを持って取り組んでいるが
本当に頭が下がる
この野田城、放映翌日には他県ナンバーの車が多数来て見ていったらしい
ところで、野田城には興味深い言い伝えがある
武田信玄が野田城攻めを行っていたある夜、笛の音色に誘われてフラフラと
出たところを野田城にいる鉄砲の名手にドンと撃たれてしまったというのだ
この傷がもとで後に武田信玄は命を落とすことになったということだが
信玄を撃った銃は現在「設楽原歴史資料館」に信玄砲として展示されている
この銃は結構口径が大きくて、ゴツい、、
この話が本当は嘘かわからないけれど、言い伝えがあるってことは
何かがあったんだろうな、、と自由気ままな連想が働く
こんなことはなかったということも証明できず、、悪魔の証明というのかもしれないが
お気楽に想像するほうが愉しい
黒澤明監督の「影武者」にはこのエピソードが用いられていて
冒頭には、笛の音を聞いていて撃たれるシーンがあったような、、
ところで、昨日、この野田城攻めに関するもう一つの史跡を知ることになった
それが「今水寺」
どうやら、武田信玄が野田城攻めを行う際に、本陣を構えようとしたところらしい
ところが、そんな寺の名前を自分は聞いたことが無い
ただただ仲間に誘われて、あるお宅を訪問すると、これがびっくりした
なんと今水寺の50分の1のジオラマだ
制作には1年以上の時間がかかったらしい
びっくりしたのは、その制作に対する努力ではなくて(申し訳ないけれど)
この寺のスケール感だ
なんとまあ多くのお寺さんが存在している
まるで京都で見かけるような塔頭とか末寺の集合のようだ
賑やかな往時を想像すると、競うように勉学に勤しんだ僧侶たちの会話まで聞こえてきそうだ
しかし、何故こんなに大きなお寺さんが歴史の舞台から消えてしまっているのだろう
と疑問が浮かぶ
一説には、武田信玄が今水寺に本陣を構えようとした時に、反対の僧兵たちがいて
それに怒りを覚えた信玄が寺に火をつけ、僧兵を皆殺しにし、それで歴史の表舞台から
消えてしまったということらしい
何にせよ、こんなに大きなお寺さんがこの地にあったということに単純に驚きを覚える
日本国中に言い伝えのある神出鬼没の弘法大師(空海さん)が、この地に訪れて
真言宗のお寺さんを建てたらしい(という言い伝え)
一緒にお宅を訪問した歴史に詳しい仲間からは
野田城の城主、菅沼定盈もこの今水寺まで勉強に来ていた
との話
こういう話はなかなか楽しい
そう言えば、宮城谷昌光氏の「風は山河より」の野田城攻めの場面で
僅かに今水寺の名前が登場するらしいが、自慢じゃないがそんなところは
少しも記憶に残っていない
それにしても、これだけ大きなお寺さんが跡かたもなくなっているのは
何故かなと同時に、もったいない、、
ところで、今水寺に関する新城市の紹介ページは⇒今水寺跡
今水寺に関するある人のブログ⇒あァ〜今水寺
でも、ホント知らなかったな、、