視聴率はそれほど良くないようだが、舞台が地元(近く)ということもあって
それなりに楽しみにしていたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」
昨日の放送「嫌われ政次の一生」で切ないラブストーリーが終了した
この回は高橋一生が演ずる小野但馬守政次の最期とあって、よく出てくる井戸の場面も照明が夕べの色で静かな暗示的な舞台となり
思い続けた直虎の手に触れたであろう碁石を持ち続け、なにか接点を確保しておきたい男の気持ちも初めて誰にでも分かるように意味づけされ
その碁石の意味を理解する政次の弟の嫁 なつ のひたむきな政次への思いと直虎への静かな嫉妬
などが、想像力を駆使することによって、会話の内容以上のドラマが頭の中で生まれることになった
多少、やり過ぎの感は無きにしもあらずだが、最期の処刑のシーン
どうやっても救いきれぬものならば、その引導をある告白を伴って自ら渡すのが自分の役割と自覚した直虎
そこで交わされた言葉のやり取りは、長いことこのドラマを見続けてきた人たちは言ってることと思っていることは
まったく別のことだと感じたに違いない
そのように感じさせる役者さんたちの表情の変化による演技は、プロの人たちというのは、非常に細やかな
観察力と想像力をもつ人たちだと感心する
この回のドラマ、不意に以前の「親善組!」で堺雅人演ずる山南敬助の切腹シーンを思い出した
この時も妙な切実感、緊張感が漂う内容で、二度も見たいとは思わないが(せつなすぎて)
いくつかあるピークのうちでも出色のものだった
この「おんな城主 直虎」でもこれ以上のピークを作り上げることが果たしてできるか?
ところで公にされた言葉、その裏にある思い
真実はどちらの方にあるか、、このドラマに関する限り見ている人、想像力を働かせる人は
その裏にある思いこそが彼らの本音だと感じる
この様に公にされた言葉の真の意味を知るには、彼らのことを、関係を、経緯を知らなければならない
ところが話を世間に広げると、現実の世の中は残念ながら発言者の意図を読み解くほど、個人に関して情報を
もったり関心を(想像力も)もつことはない
だから、その時点での発言をそのまま受け入れ、辻褄が合うか、感情的に納得できるものかの判断をしてしまう
でも、その人の発言が信用できるか、、、?
その判断の材料は、実はそこで話される会話だけでなく、今まで行ってきたことの全人格的な判断によるはずなのだが
政治家は言葉を生業とすると言われる
しかし最近の政治家さんの言葉の軽いこと
選挙を控えて急に「住民と一緒に、、」とうたっても、1、2年前はそれができなかったばかりに
混乱を招くことになったのに、恥ずかしげもなくこのように得意気に話す人がいる
(もっとも、政治屋さんはこのくらいのメンタリティーの方が普通かもしれないが)
論語にこんなのがあったのを思い出した
「巧言令色鮮し仁」(こうげんれいしょくすくなしじん)
でも人は甘い言葉に弱いからなあ、、、