パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

海外旅行欲

2017年11月03日 08時40分01秒 | あれこれ考えること

京都でも馬籠でも耳にすることの多い言語は日本語以外では中国語
少し前までは爆買のニュースが巷に流れ、まさにその通りと実感したのだが
この頃は東南アジア系の言葉の増加の方が目立っている印象を持つ
(よくわからないがマレーシアとかタイとかベトナムとかの人が多そう
   身長もそんなに高くなく小柄で、着ている服の色彩の好みが日本人と少し違う)
年配の人も多いが、目立つのはやはり若い人たち
スマホを片手に日本人以上にポイントを抑えた観光をしているかのようだ

この姿は何十年前の日本人の海外(特に西欧)への憧れに似ている様な気がする
ずっと昔、1人でソビエト経由でドイツ周辺諸国を回った時、いたるところで
自分と同じようなことをしている日本人を見かけた
彼ら(彼女ら)と話してみると人口的に多いはずの東京出身者だけでなく、名前も知らない地方都市
からの人も多く、そのきっかけもどこか熱にうなされたような、実際はよくわからない
衝動のようなものに突き動かされていたような気がする 
そういう時代だった、、、今にして思うとそんな感じ

話は変わって図書館で借りた「天皇機関説事件」の本のあるところに、
西欧に出かけた人たちのその後の生き方について書かれたところがあった
誰でも異国体験をすると知らず知らず自分の国のことを考えるようになる
いろんなところで自分の国のそれと比較する
自分たちは進んだ西欧人の仲間になりつつあるというが、日本人以外の何者でもないことを否応なく体感し
ある点では圧倒的に負けている(遅れている)と実感せざるを得なくなる
ところが、ここから先の感じ方が少し分かれてくる
ある人は、それらの国でも人として似ているところを見つけ出し「みんな同じなんだ」と感じる
そして時間をかければいつかは彼らと同じ世界・秩序を作り出すことができると考える
一方、文化文明の差にショックを受けすぎた人たちは日本の良いところだけを無理やり見つけ出し
日本は特別な存在と考えて自信回復に努める
そして、自国よりはおくれていると判断される国(地域)と比較して、それらを下に見る傾向を持つ

今の日本で起きていることは、この後の部分ではないかと思えてならない
「ネトウヨ」と言われる人たちのベースになっている感じ方はこんなところにないか
若い人に保守化の傾向が目立つといわれている
厳密な意味での保守、理性万能主義ではなくて過去の知恵を踏まえた上での緩やかな改革を
求めるのではなく、単に思考停止の現状維持を願っているのではないか
接触しやすいインターネットの世界では、自分の好みの情報が存在するとことを
探り当て、それが絶対多数だと思いたがる 
結局は相対的な世界の見方が出来ていない(のではないか) 

これに関連して若者の海外旅行の減少が伝えられている
若者の絶対人口が減っているので総数が減る可能性があるが
実感として感じるのは、「海外旅行欲」の低下
経済的な二極化とか、行ったところでその後の社会活活動に役立たないとか
インターネットで情報は得られ行かなくても行った気分位なれるとか
その他いろんな理由があげられるが、一番の理由は「焦燥感」の欠如と思えてならない

若い時期の「焦燥感」は生物としての「生命力」につながると勝手に思い込んでいるが、
仮にそうだとしたらこの生命力の減少傾向は少しばかり心配だ
(田舎のおっさんが、愚痴ってもどうなるものでもないが)

若者に特有なシュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)の時期
そんなものは今や死語になっているのだろうか

ところで、海外旅行に1人でいって自分が実感として感じたこと
それは「なんとかなる」ということと「みんな同じなんだ」ということ
行って得たものがこんなもんでは少々もったいないが仕方ない、、
 


 

 

コメント
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