昨日行われた日本対ブラジル戦 結果は1-3の完敗
本田、香川、岡崎の経験豊かな連中がいない中で
どれだけやれるかが興味があったが、やはり予想された通りになった
ただ少しばかり白けたのは、ビデオ判定システム
前半の早い時間にビデオ判定によりペナルティーエリア内での吉田のファウルが取られてPK
これをネイマールがあっさり決めて、勝負への興味は一気に失せた
このビデオ判定システムは試験期間らしいが、個人的には賛成できない
最近の技術を利用するものとしてゴール判定のそれは仕方ないと思うが
時間を少しばかり遡ってのビデオによるファウル等の判定は、流れがバッサリ切られるので
集中力が(見てる方も)どうしても途切れてしまう
人間の行う審判という行為
間違いがないに越したことはないが、自分はこの人間が起こしてしまう理不尽な間違いも
サッカーを楽しむ要素だと思ったりする(選手たちはそれどころじゃないだろうが)
サッカーを無理やり人生に重ね合わせることはないかもしれないが
理不尽なことに(一時期は)耐えなければならないのが多分人の一生
サッカーはハーフタイムしか休む時間がない
アメリカ発のスポーツのようにタイムをとることが出来ない
流れとか勢いとかが一方的に片方のチームに行ってしまった時も
強引にタイムをとってそれを堰き止めることは出来ない
そういう時はどうするか
ひとつは選手交代をする(その際に少しタイムに似た効果があるかもしれない)
そしてもう一つは、耐える、ひたすら耐える
実はここの部分が面白い
勢いに負けて崩れてしまうか、それでもギリギリで頑張るか、、
経験者は流れがいつまでも片方に行きっぱなしではなく
いずれ、自分の方にも流れが来ということを知っている
この耐えるという行為 それは攻撃にさらされるという意味だけでなく
審判の判定の理不尽さにも耐えるってところが、とても深いものにしているように思えてならない
理不尽な判定
マラドーナの神の手ゴールも、今なら伝説にもならないで終わってしまう
あれはゴールじゃない、いや審判が認めたのだからゴールだ、、
そんな結論の出ない議論(楽しみ)もないことになる
そしてどう考えても不思議なのは、その判定の理不尽さは長い時間をかけて
公平なところに落ち着きそうなことだ
イングランドで行われたワールドカップのドイツ対イングランドの戦い
イングランドの選手の放ったシュートはゴールのバーにあたり落ちたところが
とっても微妙な位置で、入ったとも言えるが入っていないとも言える
審判はここでゴールを宣言し、接戦だったゲームはイングランドの方に流れがいく
ところが、まったく同じことが何十年後に繰り返された
やはりワールドカップ(南アフリカ大会?)でのイングランド対ドイツ戦
この時もイングランドの選手が放ったシュートはゴールのバーにあたって
またもやややこしい位置に落ちた
ところが今度の判定はノーゴール(あとでビデオを見たら明らかにゴールだった)
でもこのゲームで一番記憶に残っているのは、その時のイングランドの選手の行動だ
彼らは執拗にゴールの訴えをすることもなく(多少はしたかな?)
何事も無かったかのようにゲームを続けたのだ(それは紳士のスポーツみたいな態度で)
それは、人間の行う判定、間違うこともあるさ、その理不尽さも含めてサッカー、、
と言っているように自分には思えた
そしてそれがとてつもなくカッコいい、、と感じた
理不尽な結果も甘んじて受け入れる
そしてそこから、自分のできることをひたすら真面目に行う、、
生活のかかっている選手たちにとっては、見てるだけで勝手な想像をするのは迷惑かもしれないが
そんな自分勝手な想像ができる方が、、少しばかり考えさせられることが多くて面白そう
ということで、理不尽な(と言ってもあまりに偏った笛は問題外だが)
ちゃんとした資格を持った審判の判断に任せる、、、というのは
とても人間的で、自分にとっては好ましいが、、はたしてFIFAは今後どんな結論を出すか